5月


【映画】コーエン兄弟「バーバー」

 床屋で働く主人公エドは、理髪店を訪れたカツラの男の持ちかけたドライ・クリーニングの商売の話に興味を持ち、1万ドルの資金を工面 する約束をする。よりにもよって彼は妻の不倫相手であるデパートの社長へ脅迫状を送りつける。しかし脅迫状の出所を突き止めた社長に呼び出され、もみ合ううちに相手を殺してしまう。ところが翌日逮捕されたのは酔いつぶれて寝ていた妻の方だった。彼は腕利きの弁護士を高額で雇い、自分が殺したとすら告白するのだが、証人となるべきカツラの男は金を持って消え失せ、弁護士は「夫婦でかばいあっている」と取り合わず、社長の妻までが、主人は宇宙人に連れ去られたことがあり陰謀によって殺されたのだ……等と言い出す始末。
 うーん、ただあらすじを書いていくだけでは、この物語の絶妙な展開はうまく説明できないのですが……とにかくちょっとした思いつきが、やがて登場人物達を最悪の結果 へと招いていく、というコーエン作品によく現れてくるシチュエーションが非常に効果 的。悲惨な話の筈なのに思わずクスクスと笑ってしまい、おのれの意地悪さに否応なしに気付かされてしまう、そんな趣のある作品です。
 こういった仕掛けはコーエン作品では毎回良く使われています。「ミラーズ・クロッシング」では、命を助けてやった男から逆に恐喝されるというシチュエーションが新鮮でしたし、「ファーゴ」では偽装誘拐のつもりだったのに殺人事件にまでエスカレートしていく展開が刺激的でした。どちらかというとアンハッピーな展開が多いにも関わらず、登場人物達が皆どこかズレていてそれ故にユーモラスな印象が残ります。
 今回の作品も、主人公のエドは無口でいつも眉間に皺を寄せて困ったような顔をしながら煙草ばかり吸っている痩せた中年男で、寡黙なので利口そうに見えるのだけれど、その実簡単に詐欺にひっかかったり少女に翻弄されたりしてあんまり知能犯ではない……というところが逆に魅力的に描かれていて、「困った奴……」と思いながらも次の展開が気になって仕方がなくなります。先の読めない、細かい所で予想を裏切る展開を見せる脚本も素晴らしい。全編モノクロであることも、1940年代という時代背景の持つノスタルジックな雰囲気を醸し出すことに貢献しています。
 主人公は他人の髪を切りながら、なぜ人の髪の毛は死んだ後も伸び続けるのだろうと自問します。意味あるものにしたいのになかなか意味あるものとならない人生、ただ過ぎ去っていくのを眺めるしかない人生の空虚さを、色を落としたモノクロの映像が、表情を廃した主人公の顔が 雄弁に物語る……そんな見方も可能なんですが、一方でロズウェル事件に引っ掛けて主人公に空飛ぶ円盤を目撃させてしまうあたりの強引さは、やっぱりコーエン兄弟ですねえ。


【演劇】劇団てぃんかーべる「匣ノソトデ」

 京極夏彦の短編集「百鬼夜行〜陰」は、長編「姑獲鳥の夏」から「塗仏の宴」に至る京極堂シリーズの周辺エピソードから構成されていて、それぞれが妖怪をテーマにした短編となっているだけでなく、それぞれの長編の登場人物の背景を補う役割も果 たしています。そしてその短編の中に、別の作品に登場する人物が絡んでいたりして、なかなか一筋縄ではいかない作りになっていますが、いずれにしても全編読めば、京極ワールドの全体像がより把握できる仕組みになっています。
 この短編集をはじめて通して読んだときは、そこまであんまし考えていなかったんですが、今回の公演のパンフにそこら辺かきちんと整理されていました。「百鬼夜行」の中の「小袖の手」は、「魍魎 の匣」の柚木加菜子の家族と接触する杉浦隆夫を主人公にしていますが、この杉浦は「絡新婦の理」の主要な登場人物の一人で、同じ短編集の「鬼一口」は、「魍魎の匣」の久保竣公と接触する鈴木敬太郎が主人公ですが、こちらは京極堂シリーズではなく唯一のSF長編「ルー・ガルー」の登場人物でもあるそうです。「ルー・ガルー」も本棚にはあるんだけれど、まだ読んでいないんですよね〜。ノベルズなら厚くても持ち歩けますが、さらに大きなサイズなものでなかなか……。
 さて、てぃんかーべるの公演では、「魍魎の匣」の番外編としてこの二編を取り上げ、かつ「魍魎 の匣」のシーンを一部オーバーラップさせることによって、二つの短編がこの長編の世界にそのまま重なるような形にしています。一部の「小袖の手」の終幕を引き継ぐ形で、「匣」を抱く雨宮とそれを目撃する久保が登場し、二部の「鬼一口」へと繋がっていく……これはなかなか心憎い演出と言えるでしょう。まさに京極ワールドを熟知した人の手になる構成。単なる職業監督や演出家には真似できない、作品にのめり込んだ人でなくては作り出せない舞台だったと思います。
 前回の劇「魍魎の匣」で憑き物落としの京極堂を演じた方が、今回は一部で語り部を、二部では主人公の鈴木と鬼について議論を交わす薫紫亭の主人を熱演。薫紫亭の主人は古本屋をしていて、京極堂とは顔見知りだがより親しみやすい人物と設定されています。原作では「三十にも五十にもみえる」というこのなかなか不思議な人物を、会話のシーンしかないにも関わらず、ある時は柔和に、ある時は京極堂よろしくドスをきかせた語り口で演じていて印象的でした。
 妖怪をテーマにした長い会話、登場人物が抱く幻想世界とあくまでリアルな人間関係……そういった京極作品を味わうには、意外に舞台が一番合うのかも知れないなと思いました。次はぜひ別 の長編にも取り組んで欲しいですね。もっとも「姑獲鳥の夏」も「狂骨の夢」も「その場を見せてしまうとネタバレ」的な要素があるので難しいし、「絡新婦の理」は「魍魎の匣」以上の大作だから扱いにくいか……。



◆「漫画・映画・小説・その他もろもろ」のコーナーへ戻る。

◆トップページに戻る。
◆「宇都宮斉作品集紹介」のコーナーへ。
◆「宇都宮斉プロフィール」のコーナーへ。
◆「一杯のお酒でくつろごう」のコーナーへ。
◆「オリジナル・イラスト」のコーナーへ。
◆「短編小説」のコーナーへ。