10月


【漫画】浦沢直樹×手塚治虫「プルートゥ」

 石上三登志著「手塚治虫の奇妙な世界」において、代表作とされる「鉄腕アトム」は、画期的な描き下ろし作品である初期SF三部作や、生命賛歌を高らかに謳い上げる「ジャングル大帝」などに比べて、やや否定的な扱いをされていたように思います。全く別 な世界として発達したもう一つの地球人達との確執を描いた、まさに手塚作品ならではのSF大作として出発した「アトム大使」が、登場人物の一人に過ぎないロボット「アトム」が注目されてしまったがために、その後延々と「鉄腕アトム」という対ロボット格闘技の繰り返しに陥ってしまい、手塚作品としては十分に知的好奇心を満足させるものにはならなくなったのではないか、と。手塚治虫氏自身、この本の対談の中でそれを認めるような発言をしていました。一方で当然ながらそれに対する反論もあります。確か桜井哲夫著「手塚治虫」(講談社現代新書) だったと思うのですが、ロボットの差別という形で人間社会の矛盾を鋭く告発し続けたからこそ、「アトム」は二十年間近く連載され、支持されてきたのであり、甘い人間賛歌に終わってしまう「ジャングル大帝」よりも余程現代に通 じる問題提起をしているのだ、という意見が述べられていました。かと思うと広瀬隆氏はその著作「危険な話」(八月書館)「原子力のPRに狩りだされている人間」「私達を殺す先兵」の一人として手塚治虫の名前を挙げています。執拗なほど原爆の恐怖と反戦を描き続けた作家、と私なんかは思っているのですが、実際アトムは原子力で動いているわけだし、なるほど「鉄腕アトム」はことほどさように作家を離れて独り歩きをした作品なのかも知れません。

 浦沢直樹氏が、「鉄腕アトム」の1エピソード、「地上最大のロボット」を元に新作を月一連載で始めたとき、何故今さらと思いつつも、結局毎月立ち読みしてしまったのは言うまでもありません。ロボットが人間と同様に生活する未来でありながら、いかにも人間が着ぐるみを着ているようなスタイルででてきたり、ロビーだの「日本のモグリの医者」だのが登場したりと、徹頭徹尾生真面 目に描かれているのに妙な「可笑しさ」があります。浦沢直樹作品は、ある意味決して高いオリジナリティや目を見張るアイデアで勝負してはいません。「パイナップル・アーミー」「MASTERキートン」で原作付き漫画を長くやっていたこともあるからかも知れませんが、「MONSTER」の連載が始まったとき、これはもう、無実の罪を背負いながら真犯人を追う医者を描く「逃亡者」に、「羊たちの沈黙」などのカリスマ性のある知的犯罪者のテイストを加えたものだなと思ったし、しかもラストは「ソフィーの選択」……。その意味ではあらゆる名作のパクリを結構そのままやってしまうタイプなんだなあと思うのですが、その資質を多分本人は十分に認識していて、敢えて今回の手塚作品の焼き直しに挑んでいるようです。
  既にオチは見えています。どんなに優秀なロボット刑事ゲジヒトが必死になったところで、彼の敗北はもう決まっています。「七人の優秀なロボット」達のうち、謎の存在である「プルートゥ」から唯一逃れられるのはアトムだけ。それでも「どんなアレンジを見せてくれるのだろう」と続きが気になってしょうがありません。それはあたかも、既に何度も聴いてきた曲が、新しい指揮者の新しい解釈で印象が変わり新しい発見を促してくれるかのようです。

 それにしても、七ページしか出番のなかったゲジヒトを、あえて語り部にするというのも念が入っていますが、同じく七ページしか出番のなかったノース2号のエピソードから、見事に前・中・後編のストーリーを作り出したその手腕には頭が下ります。心を閉ざした音楽家の元に派遣されてきた戦闘用ロボット・ノース2号は、ピアノが弾けるようになりたいと言う。音楽家はデータを入力すれば創造できる音楽など音楽ではないと突っぱねる。しかし、やがて彼はノース2号を通 じて、自らの封印された記憶をたぐり寄せることになる。この間、ノース2号はあくまで職務に忠実で、正確なデータを収集するロボットとして振る舞うのですが、彼相手に感情を爆発させる音楽家は、知らず知らずのうちに相手に対して共感を抱いていく。そして彼が新しい曲を書き終えた時、ノース2号はプルートゥを迎え撃つために空へと飛び立つ。最初「お前のような破壊兵器が」と言い放っていた音楽家は、プルートゥの来襲を告げるノース2号に「おまえの友達でもやってきたんじゃないのか?」と穏やかな顔で答える。このセリフは原作通 りなのですが、音楽家の心境の変化を雄弁に語っている場面だと思います。最初彼は「機械はニセモノだ」と言い切っていました。しかしたとえピアノでもシンセサイザーでも、音楽を奏でる機械には違いなく、奏でられた音楽に偽物も本物もない。実際に何が演奏をしているかではなく、何が奏でられているかが本当に大事なことなのだと、音楽家は最後に悟るのです。
 ロボットに感情が生まれるかどうか。私は生まれてもおかしくはないと思っています。感情の存在が実感できるのはあくまで自分の感情だけ。会話をしている相手が人間なのか機械なのか、本当の意味で確かめることはできません。でもそこに会話が生まれるのなら、共感が生まれるのなら、相手が人間ではなくロボットで、数万通 りのパターンの中から受け答えを選んでいるだけだとしても、感情があることと変わらないのでは。いや、そもそも人間の感情も、有機物で出来たAIであるところのヒトの脳が、機械的な作業を繰り返して作りだしているものに過ぎないのでは……?

 ここまでくると、プルートゥに倒される最後の相手、エプシロンをどう描くかが気になります。敵であるプルートゥを救ったがために弱点を見抜かれ、子供をかばって倒されるエプシロン。このいかにも手塚漫画ならではの悲劇的なキャラクターをどうアレンジするのか……興味津々であります。
 当初連載が始まった時は、「アトム」が果たして姿を現わすのかどうか、それは原作同様子供の姿として出てくるのかどうか疑問だったのですが、割と普通 の姿で登場してきたので、次は原作にもゲスト出演する天馬博士がどう出てくるかが楽しみ。「MONSTER」のドクター・テンマの姿で登場してくれたら結構喜んでしまうのだけれど。


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