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【映画】ジョージ・ルーカス「スター・ウォーズ・エピソード3〜シスの復讐」

 (ネタバレ注意……何とアナキンはダース・ベーダーになっちゃうんですよ! ……ってみんなもう知ってるか……)

「共和国は富国強兵を強固に推し進める議長パルバティンにより、外宇宙へ次々と軍隊を派遣して平和の名のもとに侵略を繰り返す専制国家となっていた。議長のそばに身を置くことによりジェダイ騎士団と距離を置き始めるアナキン・スカイウォーカー。平和主義を唱え、辺境地への慰問に出掛けたパドメは、逆に共和国=帝国に反旗を翻すテロリスト達の襲撃に合い殺されてしまう。彼女の残した子らを連れて逃亡するオビ・ワン。一方、彼女を守りきれなかったジェダイ騎士団と反乱軍に対し激しい怒りを感じたアナキンは、ジェダイ騎士団と対立。結果 として帝国軍とテロリスト達の両方を操っていたパルバティンを援護する形で、皇帝を逮捕しようとするジェダイ騎士団とたった一人で死闘を繰り返すことになる。身を挺してかばったはずのパルバティンから見捨てられる形で瀕死の重傷を追ったアナキンは、まだ自分の子が生きていることを知って生きる気力を奮い立たせ、半機械人間ダース・ベイダーとして復活するのだった……」

 先先行オールナイトを観る前に、おおよそ勝手に自分で考えていたのが上記のストーリー。どう、そんなに悪くないでしょ? 大体の人がそういう展開を想像するんじゃないかしらん。パルパティンがアナキンを助けるはずがないし、ダース・ベイダーがゆくゆくは皇帝を倒そうと考えていたことは既に旧三部作で語られていることだし。実は「エピソード2」のDVDには、削られてしまったシーンが少し紹介されていて、バドメが実際に戦地で孤児になってしまった子供らを救おうとしてそれに失敗してしまったことを語るシーンがあります。彼女の理想主義は結局身を結ぶことがなかった……「エピソード3」で、もし彼女がその理想のために死を迎えてしまうとしたら、アナキンはその理想を否定する方向へ向かうことも十分ありうる訳です。
 さて、本編では、上記とは別な形でアナキンはダークサイドへの選択を迫られます。物語のトーンはあまり予想と変わらないと思いますが、期待の宇宙戦(これはやっぱり本家ならではの凄さが……)がオープニングで早々と終わってしまい、クリストファー・リー演じるドゥーク伯爵が(「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのサルマン同様?)あっさりと退場してしまうのも少々不満が残ります。それにしても…… 「殺す前に正統な場での裁きを!」とか言ってたアナキンが、5分後くらいには子供のジェダイ見習い達をセイバーで斬り殺したりしてたら、そりゃちょっと留守してたオビ・ワンだってあまりの変わり身の早さに「うっそ〜」と驚いちゃうのも無理ないかなあ。あっさり陥落しすぎだよ。もっとこう、悩んでくれないと。エピソード1,2と引っ張ってきた意味があんまりないじゃん。
 実際、DVDで観られるカットされたシーン……たとえば「エピソード1」では、子供のアナキンが同じ子供を殴りつけているシーンがあったのに削除されたそうですが、この一見母親思いの可愛い子供が、実は激昂しやすい性格を隠し持っていることを示唆する重要なシーンが省かれたために、「エピソード2」でいきなりきかん坊の弟子として登場するアナキンを観ると逆に不自然に感じられてしまう。やはり人が悪に落ちるというテーマを扱う以上、そういった部分にはもう少し気配りをして欲しかったような……。

 とはいうものの、新3部作の中では、さすがに今回の完結編が一番完成度が高いし、ところどころどきりとするシーンやセリフがあるのでやはりあなどれません。

 アナキンはパドメの死を防ごうとしてヨーダに相談する。ヨーダは答える。
「死を悲しんではならない。フォースの元へ形を変えるだけなのだから、喜んで送りだしてやらなければならないのだ。他者へ執着してはならない」
 これは重い言葉だ。ある種の東洋思想みたいなものかも知れない。万物に魂が、「理力(フォース)」がある……「帝国の逆襲」で登場するヨーダがフォースについて語るシーンは、それまでの洋画にはない独特のものだと思う。そしてこの言葉は、本当に親しい者を失った者、あるいは失おうとしている者にはおそらくはなかなか届かないに違いない。失いたくない気持ちが本当なら、笑顔で送り出せるはずがないではないか。身近な人の死に接したことがある人なら誰でもそう思うはずだ。アナキンは納得せず、ヨーダの元を離れ、助けてやる方法があるとささやくパルバティンにすがることになる。そして他ならぬ 彼の執着が、パドメを絶望させ、死に至らせることになる。
 復讐は復讐を呼ぶ。憎悪の連鎖を生み出さないために、「汝、執着するなかれ」……しかし生に対する執着なしに、他者に対する執着なしに、人はなかなか頑張れないものだ。自分のことを考えてもやはりそう思うもの。だから善が悪に転じるというアナキンのストーリーは、娯楽映画だからあまり深く時間をかけて掘り下げられてはいないかも知れないけれど、やはり身近なテーマには違いないのだ。

 今にして思うと、なぜ娯楽大作、勧善懲悪の物語だったエビソード4-6の後に、二十年近く経ってからその中の悪役の前半生をエピソード1-3として描くことが必要だったのか、何となく分かるような気がする。「平和のために軍備を増強しよう」「強力なリーダーが必要な時だ」別 に銀河帝国でなくても、世界中の至る所で聞こえている言葉だ。アメリカはテロ撲滅を名目に石油産出国に戦争を仕掛け、統合を目指していたはずのヨーロッパは分裂を始め、雲行きの怪しい中国、朝鮮半島の近くにいる日本は憲法を改正しそうだし……もはや勧善懲悪の物語は一種のノスタルジーか、下手すりゃプロパガンダにしか見えない。そういう時代なら、冒険を求めて砂漠の星から飛びだしたルークよりも、半ば強制的に組織に組み込まれ、不安定な人間関係の中で疎外感と優越感を同時に味わっているアナキンの方が余程身近に思えるのも無理はない。徴兵でもされて戦場に送り込まれれば、我々だってアナキンほどにも迷わずに子供を殺すことになるかも知れないのだから。


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