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【映画】ポン・ジュノ「グエムル」

 清潔好きなアメリカ人の医師の指示で、助手らしき人物が下水にホルムアルデヒドを大量 に棄てるシーンから物語は始まる。川の中で奇妙な動物を釣り人が見つけ、巨大化したらしいその怪物を身投げする企業の役員らしき男が目撃する。河岸で売店を営むパク家の人々は、真っ昼間にいきなり現われた体長10メートルの水棲怪物に襲われる。娘はさらわれ、残された家族はウィルス汚染を理由に隔離されるが、捕らえた獲物を一時的に保管する怪物の習性のお陰で九死に一生を得た娘からの携帯電話が、絶望した家族を勇気づけ、バラバラだった家族は娘の救出のために団結するが……。
 一見、そんな今時水質汚染の怪物だなんて……と思いきや、実際に2000年に駐韓米軍がホルムアルデヒドを漢江(ハンガン)に不法投棄するという事件が起きていると聞けば、この家族目線の物語にさりげなく文明批判の視点が滑り込まされていることに気付かざるを得ない。怪物のデザインも、その漢江で実際に見つかった奇形の魚を元に作られているそうで、この怪獣が単に格好良さとか見た目のグロテスクさを追及していないことは明白なのである。実際のところ、映画の中で暴れる怪物はあまり怖くはない。
 眠りこけてばかりの父親と、学生運動に身を投じていたその弟、そしてアーチェリーの選手の妹。必死の思いで走り回っているのに、肝心なときに実力を発揮できずドジを踏み、そのたびに家族が犠牲になってしまうという展開は、どこか泥臭くユーモラスな反面 妙にリアルで、人間の能力の限界を揶揄していて説得力がある。
 本来痛烈な文明批判・反戦の物語として生みだされた映画「ゴジラ」は、続編が大量 生産されるにあたって方向性を見失っていった。後半になってくると自衛隊の中に怪獣退治の異能集団みたいなものまで用意されていたりして。そうですか未知の怪物に立ち向かうためには、自衛隊とかもっと軍備を増強し科学兵器を開発しなければということですか。でもそもそも「ゴジラ」ってそういう話だったのか?
 家族が生きているかも知れない、と主人公の父親が気付いて立ち上がった時、周囲の人々は、医師も学者も役人も軍人も、躍起になってそれを妨害しようとする。彼らは指名手配され、財産を奪われ、ありもしないウィルスのために洗脳手術さえ強制される。登場人物達の戦いは殆ど、怪物そのものよりも彼らを妨害し丸め込み闇に葬ろうとする人間達に向けられている。もっと人間が理性的に、やるべきことをやっていたのなら、そもそも怪物は生まれなかったし、たとえ生まれてしまったとしても犠牲者はそれほど増えずに済んだ筈なのだ。巨大な怪獣にひたすらミサイル攻撃する自衛隊と、組織的に個人を押さえ込み犠牲者が続出するにも関わらず体裁を繕おうとする役所や軍隊……どちらが我々にとってリアリティがあるか。わざわざアメリカのイラク侵攻や中国のSARS隠蔽の話を持ち出すまでもあるまい。
 この物語が単なるハッピーエンドに終わらない、ある種後味の悪いものになっているのは、この物語が実は家族の再生ではなく、人間の愚行への告発をテーマにしているからなのだと思う。家族の再生がテーマなら素直にめでたしめでたしで終わらせても構わないだろうが、この悲劇がそもそも無責任な人間によってもたらされたものであれば、やるせなさが、怒りが、後々まで残らなければならない。簡単には水に流れていかないものでなくてはならないのだ。手塚治虫も円谷英二もいなくなった日本では、売りに出される映像作品はすっかり生ぬ るく歯ごたえのない物になってしまったが、隣の韓国では、今後も激しい糾弾の物語が作られていくに違いない。

(ちなみにパンフレットには、物語のオチについて文章で触れられてるので、観る前に通 読してはいけません。私は読んでしまってしっかり後悔しました。)


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