【映画】ベネット・ミラー「カポーティ」
フィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー賞主演男優賞を獲得した作品。その演技がなかなかユニークだということで、カポーティの代表作「冷血」も読んでいないままに劇場に出向いたのですが、30分近く前に辿り着いた日比谷シネ・シャンテの前には既に長い行列が……。人気あるんだなあ。殺人事件を取材する作家の物語という地味な内容ながら、ここまで評判が高いのはアカデミー効果
かしらと思いつつ列に並びました。
殺人の生々しさやセンセーショナルな描写は一切無く、淡々とつづられる物語の中で、一人ホフマン演じるカポーティだけが異彩
を放っています。平和に暮らしていた農村の一家を惨殺した二人組の犯人すら凡人に見えるほど。冒頭、社交界で得意げに、しかも少々おカマっぽく自慢話をしているカポーティは少々嫌みな人間として登場します。新聞でたまたま見かけた記事を切り抜いて、いきなり取材に出掛ける訳ですが、しょっぱなから開口一番、警察署長相手に「これは高級品だ」と言って自分の着ている服を指差し反感を買ったりして。田舎町で一人上等そうな服を着て得意げにうろつく彼はしっかり周囲から浮いてしまう。頼りになるのは同行する幼なじみの女性ネル・ハーパー・リーだけなのですが、彼女にも自作「アラバマ物語」の出版と映画化という転機が訪れ、次第にカポーティからは離れていく。殺人犯が捕まった後、犯人に面
会した彼は、自作「冷血」の執筆のために相手の信頼を勝ち取ることに成功するのですが、書き進めていた小説の内容もタイトルさえも隠していた彼は、犯人の一人から「友達じゃないのか?」と責められて答えに窮することになります。
処女作の裏表紙に美少年だった自らの写真を大写しで載せたカポーティは、ナルシストで自己宣伝家の一面
も持っていたわけですが、まさにそうであるがゆえに、自らの作品の順当な出版のために犯人の死刑を望みつつ、相手への執着が故にそれが耐えられないという自己矛盾に陥ります。話が進むにしたがって、彼はどうしようもなく孤立していきます。物語の後半では、犯人と対峙する監獄の中でも、華やかなパーティ会場の中でも、それどころか自宅のベッドの中でさえも、彼は居心地が悪そうに見えます。
映画のあおり文句には、カポーティは「冷血」のあと1冊の本も書き上げることができなかった……とあります。それだけこの事件の取材が彼を精神的に追いつめたということなのでしょうが、実際には彼は「冷血」成功の後社交界でさらに大成功をおさめ、その後に社交界のゴシップを作品に書き連ね知人達の反発を喰らい、それ故に書けなくなったというのが真相のようです。むしろそちらの方が、結局のところ他者となじむことのできなかったカポーティらしいような気もしますね。
劇中、監獄の中で犯人と向かい合うカポーティが、食べることができなくなった犯人に瓶詰めのベビーフードをスプーンで与える場面
があるのですが、後半彼は自ら瓶詰めに酒を加えて自分でそれを食べているという象徴的なシーンがあります。他人と馴染めない彼は、結局のところ相手への働きかけを自分に対しても反芻することでしか、前に進むことができなかったのかも知れません。
「あまりにも恐ろしいものに直面すると、ホッとするんだ……」そう告白する彼が、「冷血」という作品を完成した段階で書けなくなったとは考えにくいのです。むしろ犯人の死刑を目に焼き付けた後に、この作品を書き上げることができたということが、彼の孤立が本物であることの証明のように思えます。物語のラスト、カポーティは「彼を救えなかった」とネルに告げるのですが、彼女はそれに対し「あなたは彼を助けたくなかったのよ」と答えます。ここにこの作品のテーマがあると監督も語っていますが、確かにこのさりげない一言の持つ重みは、カポーティ本人だけでなく観ている観客さえも打ちのめすだろうと思うのです。
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