【映画】ニコラウス・ゲイハルター「いのちの食べ方」(渋谷イメージフォーラム)

 孵化した雛達はぴよぴよと声を上げながら、ベルトコンベアによって運ばれ、まるでボールのようにカゴへ撃ち込まれる。養鶏場にびっしりと詰め込まれたプロイラーの群は掃除機のような装置で工場へと吸い込まれていく。人工授精で産み落とされた子豚達は、キイキイと泣きわめきながらも手際よく手袋をした人間の手で股を開かれ去勢される。成長した豚はそのまま機械の中へと追い込まれ、吊り上げられた状態で一気に腹を裂かれ、飛び出した内蔵は手際よく取り除かれる。豚と同様に人工授精で産まれた子牛は帝王切開で母牛の横腹から取り出される。成長した牛はやはり機械に追い込まれる。穴から頭だけが出され、脳天へ電撃ショックが加えられると、その直前危険を察知してばたばたと暴れ始めた牛は無表情のまま一瞬にして気絶する。血が固まらないよう殺さず心臓が動いたままの状態で吊り上げるのだ。意識を失った牛が右へと投げ出され吊り上げられると同時に、左側の機械の穴からまた次の牛が顔を出した。まさに効率重視の流れ作業。吊り上げられた牛の喉元がナイフで切り裂かれると、そこから滝のように血が流れ出し、同時に口から滝のように胃液が流れ出す。受精から屠殺まで、その工程全てがすべてにわたってまさに実にうまくできている、のである。
 最初から最後まで、工場での動植物の飼育・栽培から解体作業までが延々と映し出されるのだが、その間インタビューらしきものもなく、ナレーションも字幕も全く入らない。観客に先入観を与えず自ら考えてもらうために、 あえてこのような手法を取ったらしい。従って最初から最後まで聞こえるのは繰り返し単調に流れる工場の機械音だけ
 作業に携わる人々は、無表情のまま、黙々と仕事をしている。工場の音がかなりうるさいため、皆ヘッドホンのような物で耳を覆っているが、その姿は不自然ではないもののどこか無機質で機械的だ。時折、作業の手を休めて食事を摂っているシーンが挿入される。血で汚れた作業着のままで、カップを片手に、もう片手のパンを頬張っているのだが、その様子も美味しそうとか不味そうとかいう以前に、どこか無表情で機械的な反復運動のように見える。何のために産まれるのか、何のために殺すのか、何のために食べるのか……あまりにも当たり前のこととして了解しているにも関わらず、観ているうちに次第に分からなくなってくる。生も死も、食さえも全て機械的な作業に過ぎず、機械的に流れる時間の中に組み込まれてしまうような印象を与える。生物はまさに有機物でできた自動機械、それ以上でも以下でもないのだろう。
 想像していたほど、残酷ではない。暴れる動物達、ほとばしる血しぶき、まさに阿鼻叫喚……などといった光景を想像しているとむしろ肩透かしをくらうだろう。この映画を観て、お肉が食べられなくなった……などという話は考えにくい。少々刺激が足りない、という方は、とりあえずブタやウシのシーンを、ヒトに置き換えて想像しながら観ると良いかも知れない。ヒトが永久に食物連鎖の頂点にいられるはずもないのだし。この映画の前に日比谷で「ヒトラーの贋札」という映画を観たのだが、果 たして骨と皮になるまで収容所に閉じこめられていた生身の人間と、工場の中の檻に閉じこめられていた動物達との間にそれほどの隔たりはないように思えた。第2次大戦下、大量 殺戮が現実のものとなることによって、人の命の価値が著しく下ったのと同様に、ゆりかごから墓場まで機械が面 倒を見ることによって、牛肉の値段は文字通り下がり、我々は普通に毎日ファーストフードでたいして有り難みを感じることなくそれらを食することができるようになったわけだ。産まれた時も死ぬ 時も、白衣を着た者達に手袋で取り扱われる点では、トリもブタも、ウシもヒトも今では大差あるまい。
  良くできた作品だと思うし、現代の世に生きる人々はこの映像を見る必要があると思う。DVD化されたあかつきには、ナレーションのない映像をただ居間のテレビに流しっぱなしにして、日々の糧がどのように工場で作られているのか思いをはせよう。ただ、この作品を観た後は何となく気持ちが沈んでしまった。この淡々としたドキュメンタリー映像は、どこか我々を憂うつな気分にさせるものを持っているように思う。それが何なのか、うまく説明はできないのだが、もしかしたらこの映像は、いのちの大切さというよりも、いのちの無意味さを、より直接的に視覚化してくれているからかも知れない。


【映画】ピーター・グリーナウェイ「レンブラントの夜警」(新宿テアトルタイムズスクエア)

 保守的な舞台装置と革新的な映像表現という両極端なスタイルを持っている点で、グリーナウェイは特に気になる映像作家の1人です。特に「コックと泥棒、その妻と愛人」「プロスペローの本」「ベイビー・オブ・マコン」の3作品は、広がりがありながら重苦しい閉塞感を備え、極彩 色で血なまぐさい残虐な物語を描きながら、隅々まで抑制が利いていてそれが逆に精神を刺激するという……まさに個性的でかつインパクトの強い映画でした。約10年前の「枕草子」……これは妙な日本趣味が逆に笑いを誘うような風変わりな作品でしたが……からしばらく新作の話を聞いていなかったので、あのグリーナウェイがあのレンブラントを描くとなると果 たして……? と思ってさっそく公開当日に観に行ったのでした。
 冒頭、目を潰される夢にうなされて性器もあらわに裸でころげまわるレンブラント……グリーナウェイ先生、さっそく冒頭から飛ばしています。相変わらずの露出趣味! 天下の名画家もグリーナウェイの手にかかると単なるおしゃべりで女ったらしの困ったオジサンであります。演じるのは「銀河ヒッチハイクガイド」でも主演をつとめたマーティン・フリーマン。キャラのノリにはどこか共通 するものが。
 人物描写は「アマデウス」のように衝撃的で、名画をめぐるエピソードは「ダヴィンチ・コード」のように魅力的……とはパンフレットに書かれた言葉ですが、確かにこの二つの映画を彷彿とさせるキャラクター設定とストーリー展開ではあります。実際、この絵は画集で何度も目にしているはずなのですが、指摘されてみると確かにそこかしこに謎めいた符合が……。鶏を腰から下げたきらびやかな服装の少女、男の股間に伸びる手の影など、言われなければ気付かない謎が一杯。そのあたりの映像処理は確かに「ダヴィンチ・コード」的で、それ故にあまりグリーナウェイらしくない……というか以前の作品の独特の色彩 感がやや足りないのであります。「夜警」の謎をめぐるエピソードはそのままに、もう少しシュールな味付けと派手な色使いを……と思ってしまったのは私だけでしょうか?


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