98年/今年の読書一覧


(◎:おすすめ ○:普通 △:今一つ)

<1月>

瀬名秀明「BRAIN VALLEY(上・下)」◎

 思えば、二年程前、講談社の編集室へ行った時、SFとか受けないとかいう話になって、でも例えば「パラサイト・イヴ」とか売れてるじゃないですかと言ったら、副編集長が「あんなの一発限りですよ」と軽く言い切ったのを思い出します。
 きっとなまじっか反響があっただけに出版関係内部からは色々言われたんじゃないかと邪推してしまう。そのせいか上巻は殆どまるまる理論武装に徹しているし、下巻のラストは極力安易なエンディングを避けようと四苦八苦しているように感じられます。
 でもこだわってしまうのは、今書きかけの長編で私のやりたかったと思っていたシーンが割と沢山あったから。コリン・ウィルソンの「精神寄生体」みたいな実態のない超越生命のような設定を考えていたし、脳の実験のために子供の頭を切り取って標本にして、それを親が見ているなんてシーンもシナリオに書いていたのだ……。私の作品のテーマは脳の実験を目的として殺される人工受精児の子供達の悲劇、であったんだけど。
 このままではまねっこになってしまうと思って、現在修正中(ますます仕上がりが先送り)。というわけで、なかなか複雑な心境ですが、「パラサイト・イヴ」よりは夢中になった、と正直に認めてしまおう。

浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」○
 売れてるみたいですねえ浅田さん。「蒼穹の昴」がいいというのは前から聞いていたけど、SFやミステリー物は別として、ついつい人気があると聞くと敬遠してしまう私でした。でもやっぱり読んでは置こうということで、一番とっつきやすそうなこの短編集を選びました。
 抵抗感なく入れる、とっても読みやすい小説、という印象を受けました。そこが逆に巧いんですけどね。分かりやすい言葉で印象的な物語が書けるというのが理想なのですよ、やっぱり。そんなに独創的な「凄い」作品とは思わなかったけど、なんとなくいいなあ、という読後感。廃線になる北海道の鉄道の駅長のもとに死んだ娘が成長した姿で会いに来る表題作、偽装結婚で会ったこともない死んだ外国人の娘から託された心のこもった手紙、人生に挫折したエリート社員の元にやってくる自分を捨てて死んだ父親……幽霊と愛と不景気が昨今のキーワードかな? うーん、やっぱり「蒼穹の昴」も読むかな。

<2月>

井上雅彦編「侵略」◎

 「侵略」をテーマにしたアンソロジー。CVSで売っていたんで思わず軽い気持ちで買ってしまいましたが、意外と秀作揃いでびっくり。SFとホラーというのがコンセプトなんですが、やっぱり短編集も良いなあと思った次第です。 敢えて選ぶなら、草上仁さんの「命の武器」と菅浩江さんの「子供の領分」が特に良かった。かなり対照的な作品ではありますが。前者は「カッコウ」と呼ばれる異生物と人間の女達との戦いで、ラストのインパクトは確かに長編小説にも匹敵するほどの意味深さ。後者は、世界の中での孤独をリリカルに、しかし優しく描いた忘れがたい一編で、何度でも読み返したくなるような味わいがあります。

水木しげる・京極夏彦他「怪・第壱号」○
 京極夏彦先生が狐憑きを題材とした「白蔵主(はくぞうす)」という短編を載せています。あの「伊右衛門」にも出てくる小股潜りの又市も出てきますが、その内容は残酷でどこか怪しく、どこか哀しい……としか説明しようのないものです。この内容で長編一作書けるんじゃないか、と思わせるような濃い内容でした。

皆川博子「死の泉」◎
 なるほど、最後にひねりを入れています。だからミステリーベスト1に入ったんですね。
 カストラート、ナチス、成長促進剤、双子の接続、不老不死の研究……血腥い今風の素材を沢山使ってて、思わず納得。作者は1930年生まれっていうからなお驚き。京極夏彦の感覚は同年代の私にとってもとても身近なものだと思うし、酒鬼薔薇聖斗だって近い世代だなあとは思うけれど、もうすぐ70才になろうかという人が、こんな生き生きとした生々しい世界を描くとは。老人の体に若者の体をくっつけて若返ろうという話がメインとなっていますが、実際、今の医療でも同じ事ができるようになっているからなあ……。
 カストラートの歌声を聞くことはもはやできないそうですが、私はどーもカウンター・テナーの声って、今一つ面白いとは思うけれど好きになれない。「もののけ姫」の米良さんで今やメジャーって感じですが……。でも案外十年後には好きになってたりして。去勢手術なんて今ならもっと安全で確実にできるんだから(男が女になる費用は大体400万円位……何で知っているんでしょう)カストラートが現代に復活したって不思議じゃないし。(別に切り落とせば歌がうまくなるってもんでもないが…)

<3月>

マッキャモン「スワン・ソング(上・下)」◎
 世界を救う」少女という童話的な設定と、核戦争後の荒廃した世界で殺戮を繰り返す人間達という描写とが、何の違和感もなく同居している不思議な長編です。この種の作品は、メッセージ性が強い分、得てして説教じみた話になりがちですが、気弱な少年ローランドがマクリン大佐と出会い次第に狂気へ走っていく様が実にリアルで、その為に全体として緊迫感のある作品に仕上がっています。
 善と悪とがここまで徹底して描かれているのは、今ではむしろ珍しいパターンかなとは思いますが、どちらかというと悪の描写の方がより徹底している分魅力的かも知れない。もしああいう状況に自分が置かれたら……ロビン君にはなれそうにもないが、ローランド君みたいにはなっちゃうかもなあと思いました。

森博嗣「幻惑の死と使途」○
 マジシャンが活躍するミステリーということで、興味深く読みました。かなりスタンダードな出来映え。トリックには「封印再度」ほどのインパクトはないものの、登場人物にも深みが出てきて、「名前」に対するこだわりもきちんと最後のオチに繋がっていて納得のいくものです。……でもやっぱり、つけ髭だけでは他人の目をごまかし切れないと思うんですけど……。

西澤保彦「人格転移の殺人」○
 人格転移とは、全く持ってSFしていますなあ。充分中身もSF的な面白さだと思うんだけど、何でSFと言ってはいけないんでしょうか。結構人がばたばた殺される割には明るいラストでした。

島田雅彦編「変身」○
 短編集第三弾! というところなんですが、全体的には前作の「侵略!」よりもあっさりした印象でした。「命の武器」「子供の領分」に匹敵するようなインパクトのある短編には出会えなかったのが残念。

森博嗣「夏のレプリカ」◎
 「幻惑の死と使途」と対をなすミステリー、何ですが、杜萌というキャラクターが割と突っ込んで描かれているので、「幻惑」よりも一層「幻惑」されました。私はこっちの方がインパクトがあった。結局ウェットな話の方が好きということなんだろうか。

水木しげる・京極夏彦編「ゲゲゲの鬼太郎・解体新書」○

リチャード・ランガム「男の狂暴性はどこから来たか」◎

  原題の「DEMONIC MALES」がとてもぴったり来る本。以前から何となく思っていたことが、チンパンジー、ゴリラ、ボノボの観察を通してとても科学的に整理されているのがとても納得。

マーク・ダウィットジアク「刑事コロンボの秘密」◎

倉知淳「星降り山荘の殺人」◎
西澤保彦「幻惑密室」○
ダニング「死の蔵書」○

<4月>

バクスター「タイム・シップ(上・下)」○

 ウェルズの世界を忠実に再現、利用して続編が試みられた、という点はなかなかの物なんだけど、うーん、今一つ後半の流れが読めない。無理に繋いだような気がしないでもない。「未来は白紙である」というのとは逆のメッセージを織り込もうとしたんだとは思うんですが。

京極夏彦「塗仏の宴〜宴の支度」◎

 待ちに待った京極堂シリーズの最新作、ということですが、未完というか、前編に過ぎないので、作品に対する評価はまだ何とも、といったところか……。独特の文章と世界観は健全で嬉しいけれど。

テモショック「がん性格」◎

 自分の健康維持に役立つかどうかは別として、「これは『リリパット・ケース』の改稿に使える! と思わず手に取った次第。精神が免疫と密接に関連している、理系の世界と文系の世界が混然となりつつある今の時代の、一つの方向性だと思う。

「名作漫画いきなり最終回PART-1〜4」○

西村繁男「さらばわが青春の少年ジャンプ」○
松本徹「イタリア夢幻紀行」△
唐沢俊一「まんがの逆襲」○

<5月>

アレック・ロス「キングダム・カム」

 前作「マーヴルズ」も、緻密な絵と叙情的なストーリー展開に驚かせられましたが、今回の「キングダム・カム」は、スーパーマンの他にバットマンやワンダーウーマンが出てくるわ、新しいデザインのキャラクターが湯水の様に登場するわで、より派手で贅沢な作りになっていました。
 ストーリー的には、悲哀や無情を感じさせる「マーヴルズ」を気に入っていますが、絵的にはこの「キングダム」がさらに勝っていると言えるでしょう。
 それにしても、向こうのコミックはフルカラーが当たり前で、うらやましい限り。日本では寺沢武一が「コブラ」シリーズで試み始めてはいるけれど、まだまだ定着しているとは言いがたいですから。 

小林道雄「日本警察の現在」○
淀川長治「新々・私の映画の部屋」△
高橋克彦「総門谷」○
コリン・ウィルソン「至高体験」○
辺見庸「反逆する風景」○
河上和雄「犯罪捜査基礎知識」○
鍬本実敏「警視庁刑事」○

高村薫「リヴィエラを撃て」◎

高村薫「レディ・ジョーカー(上・下)」○
 ビール会社を舞台にした企業恐喝の話。上下巻とかなりボリュームがありますが、重量級の「リヴィエラを撃て」やロマンティックなサイコ・サスペンス「マークスの山」に比べると、やや規模の小さい話だなという印象を受けました。
 業界のことはさすがに良く調べてあるなあと感心。私自身ビール会社勤務だから頭の下がる思い。市販のビールに着色料入れるだけでそこまで企業を脅せるかしらと思ったけど、昨今PL方で消費者の反応にはなにかとうるさいこの業界では、こういうこともあり得るかなあと思ってしまった。今の日本なら、小人数でも企業を脅せますよ、なんて皆が思うようになったら問題だろうけど。

ツワルスキー「スヌーピー達の性格心理分析」○

立花隆「100億年の旅」○

<6月>

重金敦之「ソムリエ世界一〜田崎真也物語」○

皆川博子「瀧夜叉」○

<7月>

コーディー「イエスの遺伝子」○

 日本でも「二重らせんの悪魔」「パラサイト・イブ」「らせん」等々、遺伝子をモチーフにしたSFやホラーが花盛りですが、アメリカでも「ジュラシック・パーク」以来遺伝子ネタはもはやエンターテイメントの王道となっています。恐竜の代わりにキリストを復活させようという話なのですが、さすがに簡単にキリストをクローン再生しましょうなんて安易な展開は避けられていますね。
 娘の命を救うため、キリストの再生に賭けようとする主人公は、今一つ感情移入できないのだけれど、暗殺者マリアの描かれ方には鬼気迫るものがあり、この部分だけでも一つの収穫だと思います。
 映画化されるとオビには書かれていたけど、映像的には地味なような気がしましたが……そういえば「ネアンデルタール」が映画化されるという話もあったけど、その後どうなったのかな?

帚木蓬生「臓器農場」○

<8月>

井上雅彦編「ラブ・フリーク」○

<9月>

マクドナルド「火星夜想曲」○

 原題は「DESOLATION ROAD/デソレーション・ロード」。すなわち、「荒涼街道」。舞台が火星であることは物語中盤に明らかになるので、題名に「火星」と入れちゃうのは一種のネタばらしになってしまうのですが……「荒涼街道」ではSFかどうか分からなくなってしまうからなあ。
 火星のデソレーション・ロードに人々が住み着き、町を作り、そしてそこが再び砂地に戻るまでを描いた群像劇。なかなか読ませるというか、凝った作りになっています。最初凡人っぽく登場してきたキャラクターが、それぞれねじ曲がっていったり英雄になっていったりと変貌していく様が面白いなあと思いました。欲を言えば、この設定で半世紀の期間というのは少し短いかなと。もっともっと話をこんがらがった方向へ持ってきても良いのでは?
 SFマガジンで去年好評だったのにも関わらず、文庫本は初版のまま……SFは売れないなあという意見もありますが、内容的には地味だから、そりゃ「ジュラシック・パーク」並のヒット、という訳にはいかないでしょう。

井上雅彦編集「水妖」○

井上雅彦編集「屍者の行進」◎
 廣済堂文庫のこのホラー・アンソロジー・シリーズ、「ラヴ・フリーク」「侵略!」「変身」「悪魔の発明」ときて、「水妖」「屍者の行進」とそのレベルを維持しつつ、順調に刊行されており、喜ばしい限りです。CVSでも気軽に買えるというのも有り難いです。「侵略!」の「命の武器」と「子供の領分」は、それぞれ残虐性と悲哀さにおいて精彩を放っておりましたが、「変身」と「悪魔の発明」は今一つかな、などと思っていたので……。
 特に「屍者の行進」はなかなかの粒ぞろいの短編集です。ひねりの利いたオチのある小林泰三の「ジャンク」(処女作の「玩具修理者」よりもこっちの方が好みかな)、シンプルだが印象的な津原泰水の「脛骨」、死なない世界のスプラッタを軽快に描いた友成純一の「地獄の釜開き」、諸星大二郎を思わせる岡本賢一の「死にマル」……どれもなかなか凄い。まあもちろん、これは僕自身ネクロなネタが好きだというのが一番の理由ではありますが。それにしてもこれだけアイデア勝負の短編が並ぶと壮観ではあります。少し暇を見て著者と作品の傾向を分析して見たいような気がするなあ。

 <10月>

北川歩美「金のゆりかご」◎

 私は基本的に本を「見つけだす」のが下手な方で、放って置くとしょうもない物ばかり買ってしまうことも多いので、最近では若干慎重になり、結構人から薦められた本を選ぶことが多いです。(まあ単に買い物が下手なだけなんでしょうけど……それにもう本、置くところないしなあ……)この「金のゆりかご」も、人が誉めているのを聞いてじゃあ買ってみようかな、と思ったわけです。あれは確か夏のイベントの後の軽い飲み会でした。大森望さんとかが誉めてましたね。
 別名「金のゆりかご」と呼ばれる早期教育装置。このシステムのために精神異常をきたした子供らがいる……その謎を追うジャーナリストと接触した、元天才児の主人公……実際、出だしのプロット自体はそれほど目新しいものではありません。半分くらいまで来ても、それほど進展がなかったので、面白いとは思うけれどどこら辺が画期的なのかなあと感じていましたが……。
 しかし後半、特に最終章に至るまでの展開はなかなかのもの。がぜん面白くなるのです。ミステリとしてどこまで親切に作られているかは難しいところですが、ちゃんとどんでん返しがあって、意外な犯人がいて、しかも余韻の残るラストに仕上がっているという……。どこか突き放したような最終章の描写が、逆にある種の切なさをもって訴えかけて来ます。早期教育、才能へのこだわり、臓器移植、屈辱……主人公は見事に最後まで振り回され、黒幕となる真犯人の悪魔的な想念さえもがどこか「かなしい」。
 「天才少年」という、いささか通俗っぽい題材から、ここまで様々な展開がなされたというのも興味深いことです。シニカルな少年、純情な少年、あぶない少年、くわせものの少年……彼らは喝采を浴び、屈辱に苦しみ、不安におびえ、醜態をさらし、正気と狂気のはざまで揺れ動く……変な言い方ですが、ここまで生き生きとした……というより、どこか生々しい少年達をさりげなく描くことのできた作者には正直、敬意を払います。「金のゆりかご」という装置は、映画「CUBE」のトラップ同様、必ずしも決定的な破滅の要因とはならない、というところにも作者の計算が感じられます。登場人物達を追いつめているのはシステムそのものではなく、それに振り回される他者であり、同時に自分自身なのです。愚かで賢い、健気であくどい……我々にはどこかそんなところがある……大人であれ、子供であれ。何だか、あまり楽しくもなかった自分の子供時代のことを思い出してしまいました。幸か不幸か、早期教育なんかには縁がありませんでしたが、心理的にも肉体的にも常に見えないプレッシャーから逃れられず、子供故の無力感にさいなまれていた様な記憶があります。あの頃感じていたあの圧迫感は何だったんでしょう。もっとも……おそらく今も、その圧迫感からは逃れられずにいる様な気がします。

京極夏彦「塗仏の宴/宴の支度・宴の始末」◎
 「姑獲鳥」は短い割に時間がかかった。「魍魎」はモロ好みの題材なので結構早く読めたような気がする。「狂骨」はじっくり読んだ筈だけど意外と印象が薄い。(これ一作だけ取り上げても相当な傑作なのだが、「魍魎」と「鉄鼠」という大作に挟まれて少々損をしている?)「鉄鼠」は「薔薇の名前」ではないかと思ってしまい途中は少々しんどかったが、ラストのインパクトは強い。「絡新婦」(漢字変換できない……)はとにかく登場人物が多いので、生身の人間ですら名前を覚えられない私はノートを取りながら読んだ。(もろ勉強って感じ……)
 これが今までの京極作品の印象。私のベストは「魍魎」ですが、結構人によって意見も違ってて面白い。
 さて、今回の盛り沢山、上下巻組の「塗仏」ですが、これも読んだ人の意見がかなり異なりますね。さすが京極、という声もあれば、やや期待はずれ、という声もありました。否定派の意見としては、後半少々活劇っぽい仕立てになっているのと、推理小説にしては事件→推理→解決、という段取りが殆ど取られていない、というのが主たる要因でしょう。背表紙が「ミステリ・ルネッサンス」「超絶のミステリ」から「本格小説」「小説」と変わっていった過程で、既にミステリであるという意識が作者にもないのかも知れません。
 個人的な意見としては、この内容なら、後半を少し削って1000ページの本一冊にした方がより凝集感が出たと思います。ラストの皮肉な「種明かし」の場面の緊張感を大事にするのなら、前編の6つの物語に続く第七の物語としてつなげた方が良かったし、その分下巻に関口君をはじめ何人かの人物が殆ど出てこないバランスの悪さも解消できるのでは、と勝手に思っています。
 これは家族の崩壊と心の危うさを主題に次々と新しい旋律を紡いでいく、長大な変奏曲です。少なくとも私はその様な印象を受けました。自分自身もっとも惹かれるテーマでもあるし、「オウム」や「酒鬼薔薇」の事件を経験した我々にとって、新興宗教の対立や洗脳、残酷な子供の登場などはとても身近に感じる題材でしょう。ただ、「魍魎」のラスト、京極堂の「幸せになるのは簡単なことなんだ。人を辞めてしまえばいいのさ」のセリフにしびれた私としては、「宴」のラストの「大佐」との問答に今一つ冴えを感じることができませんでした。そう言えば今回京極堂は「中禅寺」という本名で呼ばれることが多かったようです。これはかなり意識的に書かれていると思うのですが、「中禅寺」と呼ばれている間は、彼も人間的なしがらみを越えられない一個人として描かれています。
 今回の作品に限って言えば、昭和二十年代を舞台にしている意味があまりないようにも思えました。題材があまりに現代の我々の抱えている問題に直結している印象を受けるからかも知れませんが。その点ではまさに「鉄鼠」とは対照的。「鉄鼠」を読んだときは、この作品の舞台は戦後よりもより昔へとさかのぼった方がしっくりくると感じたものです。それにしても……昭和38年生まれでどうしたらこんな小説が書けるんでしょうか。はっきりいって、漢字変換するだけで根をあげてしまいそう。 

津田雅美「彼氏彼女の事情」◎
 「……信頼と云う言葉の裏には期待がありますでしょう。期待と云うのは無言の脅迫ですから」これは「塗仏の宴/宴の支度」で、登場人物の一人布由が語る言葉である。家族を惨殺した(と思っている)人間が家族について語る場面だ。このシーンに限らず、思わずそこで立ち止まらざるを得ないような鋭いセリフが散りばめられているところが、京極作品の醍醐味だと思う。上記の感想文では、何だか読み返してみるとどちらかというと批判的な事しか書いていないのだが、あくまで傑作であると認めた上での個人的意見に過ぎない。
 「新世紀エヴァンゲリオン」の映画版がビデオになっているので、再び観直すことにした。今や過熱気味だったブームも終わり、今更エヴァでもなかろうというムードになりつつあったので、逆に冷静に観ることができた。他人との境界線がなくなると自我を失い、境界線が意識されるとそこに拒絶と絶望が生まれる、この不条理な二者択一を迫る世界を前にして、主人公はただ泣き叫ぶしかない。私は以前に閉じこめられた自我というテーマで「エヴァ」と京極作品との共通点について論じた事  があったが、「塗仏」の世界観と「映画版エヴァ」も、人間関係の崩壊という点で強くシンクロしている。「塗仏」で「もう取り返しがつかない」と悩む村上に対し、「取り返しの付かないことなど何もないのですよ」とささやくのが京極堂達と敵対する刑部であるところに、同じ様な構図が見え隠れしている様に思う。いずれにせよ、もう少し考えがまとまったら「叫びの時代」というタイトルでそれについて書くつもりだ。
 「エヴァ」を手掛けた庵野秀明が次に手掛けた「彼氏彼女の事情」では、各々の持っていたトラウマが、コンプレックスが、実に都合良く解消されていく。借金を残して蒸発してしまった両親の元に生まれた有馬は、親族達から投げかけられた「あんな親から生まれた子はろくなものにならない」という言葉を胸に生きてきた。そのたった一言を否定するために、必死になって完璧を目指さなくてはならなかった。少女漫画だから、彼の孤独は恋愛によって癒される、という構図を取ることになるわけだが、そういう「癒し」は誰にでも訪れるという保証はない。勿論、絶対に得られないという訳ではない。わずかな希望がちらつかされているからこそ、人は身を引きちぎられるような焦燥感に苦しむことになる。「彼氏彼女」の主人公は、ひたすら努力するだけの日常から解放される訳だが、ある意味で「解放」を否定してしまった庵野氏が、アニメではどういう決着を付けるのか興味のあるところである。
 努力だけしている人間は、楽しんで生きている人間にはかなかわない。努力で得られた物は所詮報酬に過ぎないし、そんなものは所詮掛け替えのない物にはならないのだ。
 振り返って自分の事を思うと、高校時代までの人生は灰色のままだった。暗いと言うよりは、グレーにぼやけていて印象が薄いという感じである。親友も恋人もなく、楽しかったという思い出が全くない。あらゆる小説や評論に人間否定の意識を嗅ぎ付けては妙に納得していた。「愛が全て」などという流行り文句などには吐き気すら感じたものだ。今は「愛が全て」だと思っているわけではないが、少なくともそれ以外の生活上のさまざまないざこざは、殆ど下らないことには違いないと思い始めている。

<11月>

「SFマガジン・セレクション1981年」○

安彦良和「我が名はネロ」○
 中公新書で秀村欣二「ネロ」を読んだのは高校の頃だったでしょうか。「ローマの大火事」やキリスト教迫害で有名なネロが、キャラクターとしてもなかなか現代的で興味深いのに気付かされたものです。母親の先帝殺害、弟の殺害、妻の殺害、母親の殺害……身近な人間関係の間で起こるその展開はなかなかにドラマチックです。
 これは漫画にしても面白いだろうなあと考えましたが、何しろ大河ドラマなので、なかなか描こうと思って描ける内容ではないし……と思っていたら安彦良和さんが漫画化していました。この方はガンダムの作画で注目され、「アリオン」でギリシャ神話をもとにオリジナル漫画を描き始め、今はトロツキーとかジャンヌ・ダルクとか歴史物を立て続けに発表しています。
 おそらく安彦さんも秀村さんの著作を読んで触発されたに違いない。結構セリフとかそのまま引用しているシーンも多いもの。カリグラの妹でネロの母であるアグリッピナの描写がなかなかすさまじくて良いのですが、妻のオクタビィアや弟のブリタニクスももう少し味付けしてくれたらと思いました。タキトゥスの「年代記」とかローマ皇帝史とか読むと、ローマの権力闘争はすさまじく、そのまさに血みどろといった内容は近親相姦、毒殺、拷問、幼児虐待、自殺のオンパレードで、なかなか悪趣味もいいところ。現代の基準からすれば、歴代皇帝ははた迷惑な変態ばかりだったことになりますが、それだけに「ネロの精神のあり方は、そのまま現代につながる」という作者の言葉は説得力がありますね。

キャドバリー「メス化する自然」◎
 環境ホルモンを扱った話題の本である。冒頭で引用されているP.D.ジェイムズの「人類の子供達」を読んだのはもう五年近く前になると思うけど、「ある日突然、全く子供が生まれなくなった」というそのシチュエーションがおそらくは現実のものとなるであろう、というのが本書のテーマでした。ビスフェノール-A、ダイオキシン、ノニルフェノールなどの化学物質が、女性ホルモンのエストロゲンと同じ活性を示すために起こる性の異常……生物学と有機化学が密接に結びつくだけでなく、その発見の過程がなかなかセンセーショナルに描かれている点で、読み物としても成功しているとは思います。若干あおり過ぎているきらいはあると思うけど……。NHKでも同様の内容を取り上げ、実際に札幌で行われた調査では日本の男性の精子数は減少してはいないと結論づけているが、果たしてどうなのでしょうね。合成エストロゲンで、年端もいかない小さな女の子をも発情させることができるという話も聞いたことがあります。あぶないですねえ。
 身の回りにある化合物で、簡単にヒトの性をいじり回すことができるというのは、SF的にもなかなか面白い話です。「メス化」は容易に引き起こされるのに「オス化」は引き起こされないという点も興味深いですね。そうかやっぱり生物の本体はメスなんだ。以前読んだ遺伝子の本でも、オスの出生率がわずかに高いのは、X染色体に比べY染色体があまりに貧弱なので、Y染色体を持つ精子の方が軽いのでより早く卵子にたどり着くからだと書かれていました。Y染色体にのった遺伝子は単体で発現してしまうので、色盲や血友病、精神異常もオスに圧倒的に多いのだそうです。オスなんて所詮できそこないなのね。そう考えれば、自然が「メス化」するというのもなんとなく理解できないこともないなあ。

星野之宣「宗像教授伝奇考・第四集」○

 今や国際的な作家になってしまった大友克洋に比較すると、星野之宣は地味な存在かも知れませんが、コンスタントに質の高いアイデアあふれる短編を発表し続けている点で、もっと評価されてもいい作家だと思います。本作品集でも、「アイデア不足か?」などと登場人物の一人に言わせていながら、やはり各作品に巧い仕掛けを用意してくれています。
 前後編の「殺生石」も原発と「もんじゅ」とダーキニー信仰とをうまくまとめていますが、「縄文の虎」と「魔将軍」がなかなかに読ませます。前者では日本にいなかった筈の虎にまつわる伝説と、パークから逃げ出した虎を追うハンターの女性の挿話とがうまくまとめられて、さすがと思わせる作品でした。「魔将軍」で扱われているのは五代将軍綱吉ですが、島田荘司を思わせる畳み掛け方で一気に読ませてしまうパワーがありました。
 短編はアイデアが勝負で、しかも長編が好まれる昨今ではなかなかしんどい分野だと思いますが、その衰えない筆致には頭が下がります。どうやったらこんなにうまくアイデアをまとめられるんだろう。

井上雅彦編「チャイルド」◎

 今年最大の収穫は、やはりこの井上雅彦編集のホラー・アンソロジー「異形コレクション」でしょう。「ラブ・フリーク」に始まり、この「チャイルド」で既に七冊目。コンビニでも手軽に買えるのに、その質の高さには毎回驚かせられます。小説の出版事情では長編が主流で、短編小説はなかなか発表の場もなくデビューも難しいそうですが、これだけ良質の作品が揃う下地があるのに、と思うと何とももったいない限りです。
 特に今回の「チャイルド」は、子供をテーマにしているということで、非常に楽しみにしていたものでした。私も「KIDS」をはじめとして子供を扱った漫画を幾つか描いています。「大人と子供」というテーマは、単に成長とか親子愛などといった単純な言葉ではとてもくくれないほどの広がりを持っています。前にも書いたとおり、今の……いや昔から人間社会は、あらゆる意味で「子供を喰う世界」なのです。
 萩尾望都の短編漫画「帰ってくる子」が収録されているのは驚き。安土萌「絆」と菊池秀行「去り行く君に」は、その秀逸なアイデアと相まって、父親の持つ残酷さがシャープに描かれていてインパクトが強い。飯野文彦「愛児のために」と山田正紀「魔王」で描かれる哀切に満ちた「子殺し」の風景は、小説ならではの表現力に支えられた印象的なもの。岬兄悟「インナー・チャイルド」と森奈津子「一郎と一馬」の技巧的な、ループ上の構造をした「終わらない世界」の描写も魅力的です。太田忠司「子供という病」などは題名からして参ってしまった。このシュールな短編は題名が全てを語っていると言っても過言はない。
 今回も傑作揃いでしたが、一作だけ選ぶとしたら高瀬美恵「夢の果実」でしょうか。畑に子供を植えるオチの里の物語。選ばれて生き埋めにされた子供の見る夢が豊かであればあるほど、そこから生えてきた木は見事な赤子の実をつける……。たった14ページにもかかわらず、美しさと残酷さをこれほどまで見事に兼ね備えた短編は他にも例がないのでは、と思います。

「SFバカ本たわし編プラス」△

田中芳樹「摩天楼」△

西澤保彦「ストレート・チェイサー」△
西沢保彦「子羊達の聖夜」○
西澤保彦「麦酒の家の冒険」△

<12月>

千街晶之「ミステリを書く!」◎
  綾辻行人、京極夏彦、大沢在昌、馳星周……今をときめくミステリ作家のインタビュー集。インタビューアは千街晶之さん。25才で創元社の評論大賞を受賞した方ですが、私の同人誌「母よ、母よ、母よ……」の解説を書いてくれたこともあるのです。うーん、今から思うと光栄だなあ。
 内容はそれぞれの作家さんのデビューのきっかけや苦労話、作家になるためのアドバイスという、きわめて正当派な対談集ですが、皆さんそれぞれ自由に語ってくれているのでとても参考になります。バブル崩壊がなかったら京極さんのデビューはなかったんだなあとか、一児の母なのに最近は殆ど月刊ペースで書いている柴田よしきさんの話とか、なかなかに興味深いです。
 あれほどの重量級の作品を書きながら、子供がいるので三時四時に寝ても朝は六時に起きて一緒に朝食をとるという京極センセイ。「小説は才能じゃないんですね。僕が何よりの証拠。だから誰にでも書けるんです」うむむ、そんなこと余裕で言えるくらいになってみたいものですね。会社でOLしながら作品を書いていたという恩田陸さんは、私とは殆ど同年齢ですが、「平日は睡眠時間が三時間くらい。さすがに限界でしたね」そりゃ限界でしょう。反対に「睡眠とか削って書くとかはしないし、する気もないんで」という山口雅也さんのような方もいます。「苦しみを味あわなくてはプロとは言えない」という大沢在昌さんの言葉に納得する一方で、「プロ意識ってあまりいいイメージがないんです。僕自身の感覚としてはアマチュアでいたい」という井上夢人さんの言葉も惹かれるものがありますね。
 本は一日一冊は読むという人もいれば、意識的に読まない、人のやっていることに興味はないという人もいます。読書に関して、小説の手法について、作家活動のあり方について、11人の作家が皆違うことを言っているわけで、なるほど創作活動に王道なしだなあと思わず納得した次第でありました。 

ヤン・ソギル「血と骨」◎
 これは父親という怪物の生涯を描いた小説である。凶暴・絶倫・酒豪・博徒・吝嗇・猜疑心……これが実在の父親をモデルにしているというのだから驚きである。「人は何のために生きるのか、という問いそのものが金俊平にはたわごとのように思えるのだった。人は死ぬまで生きているに過ぎない。それ以外にどんな理由があるというのか?」自らの欲望のままに生きる俊平は、妻からは金を巻き上げ、娘を飢え死にさせ、息子を病院送りにし、妾の頭を潰してしまう。
 一見、在日朝鮮人への人種差別をテーマに扱っているようだが、俊平の圧倒的な存在感がそんな主題すら消し飛ばしてしまう。一人の傍若無人な人間の放つエネルギーが、どこまで周囲の人間を巻き込んで不幸にしていくかを克明に描いており、それ故に単なるバイオレンス物に比べてずっとリアリティが感じられる。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の家長フョードルは、徹底的に堕落した人間であり、それ故にずっしりとした揺るぎのない存在だったが、どこか道化じみた哀れさを持っていた。それに比べると俊平は、晩年には病気にかかり下半身が萎えてしまってから逆襲されるとはいえ、最後まで凶々しい存在であり続けた。
 俊平の息子の成漢は、もはや立てなくなっても己の財産に固執する父親を最後には見捨てる。寒々しくはあるが、小気味よいラストである。父性本能などというものは、元々存在しないのではないか。自分が社会人になって、一層そう思うようになった。ゾウアザラシのオスが、そのすさまじい巨体でもって赤ん坊のアザラシを踏み殺していく様を、以前テレビで観たことがあるが、本来が動物のオスというのはそういう存在なのかも知れない。



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