99/今年の映画一覧


(◎:おすすめ ○:普通 △:今一つ)

<映画館>
<1月>
本広克行「踊る大捜査線/The Movie」○
 人気テレビドラマの映画版です。青島刑事と室井参事官、和九刑事というお馴染みのメンバーが、無差別殺人者と副総監誘拐事件の両方に巻き込まれるというストーリー。
 冒頭の、変死体の胃の中からクマさん人形が出てくるというくだりは、なかなかどきりとさせられて良いのですが、小泉今日子演じる猟奇殺人者のくだりはわずかに三カ所、カフェでのチャット中に逃げられるシーンの次には、いきなり湾岸署での逮捕劇につながってしまい、その次のシーンではレクター教授よろしく拘束衣を着ている。これだけなのだな……。何で自分から警察署に乗り込んで来なくちゃならないのかなあ。私としてはこちらの方をもっと引っ張って欲しかった。
 誘拐事件の方は、いかりや長介演じる和九刑事の聞き込みと小泉今日子演じる殺人者の分析に基づいてあっさりと片づけられるけれど、ドラマ版ならともかく、映画版としてはこのオチは少々物足りなく、ラスト近く青島刑事が刺される場面もやや取って付けた感じがしないこともない。本編のユースケ・サンタマリア演じる真下刑事の撃たれるシーンの方が盛り上がっていた様な気がするし。
 悩める室井と勝手な命令だけして責任を押しつけてくる幹部、という構図はより徹底されていて、こりゃサラリーマンには受けるなと思った。熱血漢の青島はともかく、室井さんに共感してしまう人は多いはず。実際人の命がかかっているから、プレッシャーはより大きいことは想像にかたくない。十中八九、こんな職場にいたら性格悪くなってしまいそう。
マイケル・ベイ「アルマゲドン」○
 「ディープ・インパクト」と殆ど変わらない設定のパニック映画。音楽と人物設定では「ディープ」、特撮と映像では「アルマゲ」に軍配が上がるかな。
 ステーションが爆破したり、シャトルが墜落したりと見せ場は多い。核弾頭にまたがって喜ぶシーンも、切るべきコードは赤か青かも、みんなどこかの映画で観たような場面が多くて、そうかこれは壮大なパロディ映画でもあるのだなと納得。そういう意味ではそれなりに楽しめましたよ。なまじっか周りでは評判が良くなかったので、期待しなかった分かえって得したなあ。街の崩壊のシーンも多いし。なにしろ相手は流星群なので、話の途中で唐突に上海やパリに隕石が降ってくるのだから、最後まで殆ど何も起こらない「ディープ」よりは見せ場は多いのだ。
 ヒロインとその恋人のシーンはどうも盛り上がらない。やはりここはいちゃいちゃしているシーンを見せられた後ではどうも同情しにくいわけで、その点それなりのトラウマや背景を持った人間達を配置した「ディープ」の方が引っ張りは良かったかな。観客に「勝手にやってれば?」と思われないためには、それなりの厚みのあるキャラクターにしなくてはね。
サム・ミラー「マイ・スウィート・シェフィールド」○
 脚本は「フル・モンティ」のサイモン・ポーフォイ。「フル・モンティ」はかなり楽しめた映画だったので、そのノリかと思って見に行ったのですが……。
 町の大きな送電線を240基、9月までに塗り直す仕事をすることになった男達の物語、そこにロッククライマーの旅する女性が一人参加することになって……という展開なんだけど、うーん、「フル・モンティ」に比べて個々のキャラクターの魅力が乏しく、思ったほど共鳴できませんでしたねえ。なんか、一言で言うと「おじちゃん、若い女の子とアバンチュールできて良かったじゃん」てな感じ。全体的に 淋しいトーンなんだけど、この内容ならもっとはしゃいだ雰囲気でも良かったんではないかしら。その方がピンクに塗られた送電線というラストが生きたような気もするんだけど。
 でも映像と音楽は堪能しました。高いところでひたすら手作業でペンキを塗らなければならないというシチュエーションが良く伝わってきて、解放感が楽しめました。

<2月>
ジョン・マクノートン「ワイルドシングス」○
 「あそんでア・ゲ・ル」などという軽いコピーなので、結構B級っぽいノリかと思ったら、これがドンデン返しの連続のブラックなサスペンス。遊んであげるどころではない。パンフを読むと監督はあの「ヘンリー」を撮った人。醒めた視点はこの人の持ち味なのかも。女性300人を殺した猟奇殺人者の視点から描かれた「ヘンリー」はその後味の悪さが逆に快感でしたが、この作品も決して見終わった後の爽快感はないと言っていいでしょう。レイプの冤罪が晴れた男が実は……というお約束の展開から始まっ て、次々と登場人物が殺されていく。善玉が悪玉にころりと転じるので、キャラクターに感情移入はしにくいし、展開も早いので、十分伏線を確かめる間もないという……。ビル・マーレーやロバート・ワグナーといった大御所が脇を固めているのもなかなかうまい作りですが、とにかく二時間全く退屈しませんでした。「バウンド」を超えるか? などとテレビでは紹介されていたけれど、私は大学の頃に観た「デストラップ・死の罠」のドンデン返し連続技を思い出しましたね。
「ランナウェイ」○

<3月>
ニール・ジョーダン「モナリザ」○
 同じニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」はなかなかに面白い作品でした。それよりも前に撮られたこの作品は、存在は知っていたのですが前々から観ようとは思ってたので、銀座でリバイバル上映されていると聞いてさっそく足を運んだのでした。
 「ロジャー・ラビット」に出てきたボブ・ホプキンスが主演。いかにも人が良さそうでとても感情移入しやすいキャラクター。ヒロインから服を買って貰ってにこにこと鏡を観て喜ぶシーンなんかは、思わず「そうだよなうれしいよな、うん」なんて頷いてしまいます。振り回されて悲惨な目に遭うとはいえ、離婚した妻との間にいる娘がしっかり彼の理解者となっていて、ラストシーンは意外とあっさりと救いのあるものに仕上がっています。
 物語的には、ややヒロインが可哀想な気がするので、よりほっとするラストが用意されている「クライング・ゲーム」の方が上かな、とは思うのですが、キャラクターの存在感という点では「モナリザ」の方に分があるかも知れません。
金子秀介「ガメラ3」○
 特撮ファンの間ではゴジラシリーズ以上の人気を誇るガメラのシリーズ第三弾です。
 「後味が悪い」とか「それほどでもない」とか結構私の周囲の前評判はあまり良くなかったので、正直な話それほど期待せずに観に行ったのですが……私にとっては全三部作では一番インパクトのある仕上がりでした。「お勧め!」とまで言って良いかは分かりませんが、思わず「納得!」と認めざるを得ないかも。怪獣という存在の「仰ぎ見るような巨大さ」と「悲壮感」が一番表現されていたように思います。
 第一作はスピード感と重量感とで評判も良かったものの、勧善懲悪の人間第一主義の世界を抜け切れていなかったし、第二作は自衛隊との連携プレーがなんとはなしにわざとらしかった。声援を受けて立ち上がるなんて怪獣じゃないよなあ。その点第三作では、冒頭の渋谷での対ギャオス戦では避難命令もなしの状態で人間がバタバタと死んでいくし、そこだけでもリアリティの面で前二作を上回っている。体長数十メートルの巨大生物が、アリほどの小ささのヒト共を気遣って戦えるはずがないのだ。ここには、日本の怪獣映画が描けなかった負の部分が提示されている。曰く「勝手なことを言うな!」
 冒頭のガメラの墓場といい、人間と融合することによって力を得ようとするイリスといい、最後のギャオスの大群といい、これは例の話題になった「エヴァンゲリオン」の世界観を彷彿とさせる。それは何か人一人の力ではどうしようもないような巨大な力の葛藤があって、それを目前にしながら人々はグチしか言えないような、そんな無力感の漂う雰囲気。ガメラに「復讐」しようとする主人公も、それを止めようとする者たちも決定的な説得力を持ち得ない。人間の絶滅を笑う倉田という人物も登場するが、 彼ですら何もできない。それらの有象無象の人々を前に、徹底的な破壊が続く。人を救う守護神だった筈のガメラの存在に対して、人はミサイルを撃ち込むことしかできないのだ。
 主人公の前田愛ちゃんは「さんま大先生」に出ていた頃から知っていたので、あまり凶々しい雰囲気が出せなかったのがちょっと物足りなかったですね。両親惨殺!の克明なシーンでもあれば結構そそられたかも知れませんが、そこまではやらせてはもらえなかったでしょうけど……。あれでは「全部お前のせいやんか!」で終わりかねないので、もう少し悲壮感を持たせても良かったかもなあとは思いますが。そういう意味では、「ウルトラセブン」の「盗まれたウルトラアイ」のマゼラン星雲の少女や、「新ウルトラマン」の「怪獣使いと少年」のメイツ星人を守る少年などの存在は、勧善懲悪に対するアンチテーゼとして光った存在だったなあ。

<4月>
ロベルト・ベニーニ「ライフ・イズ・ビューティフル」◎
 外国語映画で初めて主演男優賞を獲得したということで、話題になった映画の登場です。ストーリーはあちこちで紹介されていたので、大体予想はつきました。イタリアのチャップリンと呼ばれている人が、「キッド」の様に子役を使って、「独裁者」よろしく第二次大戦を批判する、ということなんだろうなと思いました。チャップリンのペーソスは、なんだかんだ言っても好きなので、やはりこれは見に行かねばなるまいと、いそいそと雨の中出掛けて、映画館に並んだのでした。
 正直言って、前半は完全なラブ・コメディで、しかもあまり出来が良くない、と感じてしまったのです。主人公は早口過ぎて、やることなすことうまく行き過ぎてかえって好感が持てない。普通こんな奴に惚れるかよ、という感じ。お姫さまと呼ばれるヒロイン、ドーラも少々オバさんっぽい。
 ところが後半、子供が出てきてからは俄然引き締まる。茶化した言葉の一つ一つに重みが出てくる。「パパ、何でユダヤ人と犬はお断りなの?」「あそこの店はユダヤ人が嫌いなんだ」「僕はクモが嫌いだ」「パパは西ゴート族が嫌いだ。うちの店はクモと西ゴート族お断りにしよう」収容所の中で、主人公は必死に息子にこれはゲームだと思い込ませようと悪戦苦闘するわけですが、当然二人きりではないのでそんなに説得力があるはずもない。「僕たち、石鹸やボタンにされちゃうって言われた」「お前、馬鹿だなあ。人間が石鹸やボタンになれるはずないだろ?」
 前半は嘘のように全てをごまかせた主人公の手練手管も、収容所の中では半分くらいしか通用しない。 だが主人公は弱音を吐きながらも決して涙は見せないのだ。全編涙を見せるのは収容所の中のドーラのみ。ラスト近く、銃を突きつけられながらも、隠れている息子の視線を感じて、おもちゃの兵隊よろしく笑いながら気取って歩く主人公の姿は泣かせます。
 現実には、こんな風にして助かった子供は皆無だったかも知れません。主人公が収容されても髪の毛を刈られたりしていないこと、収容所にいるにも関わらず子供があまり汚れて見えないことなど、突っ込みたくなるような部分も多いと言われるけれど、これは童話なのだと最初に断っているのだから気にすべきではありませんね。ホロコーストを舞台にコメディを描き上げて見せた手腕はさすがだと思います。
ダニー・ボイル「シャロウ・グレイブ」○
 創元推理倶楽部の東京分科会で上映されたビデオ。監督も主演もあの話題になった「トレイン・スポッティング」と同じということで、何とはなく興味を持って観てしまいました。
 いや、意外と面白かったですね。これが。シナリオとしては「トレイン……」よりも面白いんじゃないかしら。幻想的なシュールなシーンは「トレイン……」の方が盛り沢山だけど(例えばトイレの中にダイビングするとか、赤ん坊が天井を這うとか)、展開の妙は登場人物を絞り込んだ「シャロウ……」 の方がうまいなあ。まあ言ってしまえば主要キャラ同志の騙し合いで、「ワイルド・シングス」にも近 い。物語中意味なく登場するぜんまい仕掛けの赤ん坊のおもちゃなんかの不健全さは、「トレイン… …」も彷彿とさせてくれるし。
 「SHALLOW GRAVE」は直訳すると「浅い墓」。確かに掘られた墓が浅かったのが結構ポイントになっているのですが、なかなか内容を暗示した題名になっています。
T. マリック「シン・レッド・ライン」○
 二十代で監督デビューし、三十才で「天国の日々」を撮った後二十年もの間沈黙を保っていたというテレンス・マリックの新作。その間哲学を大学で教えていたらしい。
 「プライベート・ライアン」が登場人物達の個性をうまく描き分けていたのに対し、「シン・レッド・ライン」の人物達は皆似たような顔をしているので、主人公のウィットとベルの区別もつかなかったくらいである。しかし映像と音楽の美しさはこちらの方に軍配が上がる。印象的なシーンが随所にあるが、なかでも戦地で銃弾に倒れる兵士達の手前を青い色の蝶が飛び去るシーン、戦闘シーンに樹から落ちて傷付いた雛鳥が地面を這い回るシーン、戦闘の最中木陰に隠れている兵士がそっとおじぎ草をみつけ、それをなでるとそっと葉が閉じるシーンなど。
 殺される側の日本兵達の描写もユニークで、手を合わせて座禅を組む者、男同士抱き合う者、狂って惚けたように笑っている者……さりげない一瞬の映像に色々な要素がこめられている。
 「お前は死ぬんだ」「貴様もいつかは死ぬ」そういう言葉の押収の中で、登場人物達は生きる意味を失っていき、彼らの想いは報われないままに終わる。冒頭で原住民達と泳いでいたウィットは最後の戦闘の前に訪れた村で拒絶され、ベルの白昼夢に頻繁に現れる彼の妻は彼を見放す。大自然の中で殺し合う不条理を嘆く者もあれば、大自然は殺し合いに満ちた非常な世界だと言い切る者もいるが、答えは出されない。冒頭とラストを飾るのはあくまで静かな自然の描写だけであり、報われない命そのものがただ存在するだけなのだ、という世界の姿をそのまま映し出すことが、この監督の狙いだったような気がする。
S. スピルバーグ「プライベート・ライアン」○
 公開されてから大分日にちが経っていましたが、同じく第二次大戦を扱った「シン・レッド・ライン」も公開されるし、アカデミー云々で再上映となったので、終わらないうち観ておこうと思ったのでありました。
 とにかく冒頭のノルマンディー上陸のシーンが凄い。歩兵達が海から上がろうとする所を容赦なく地上から撃たれまくる訳だから、悲惨なのは当たり前なのだが、水の中を弾丸が突き進んで潜っている兵士を貫くシーン、撃ち落とされた自分の腕を拾い上げる茫然自失の兵士、飛び出してしまった内臓を抱えて泣き叫ぶ兵士など、確かにこの場面のリアリズムだけを堪能するだけでも観る価値があるかも知れない。もっとも、手持ちカメラで現場の生々しさを伝えようという演出は理にかなっているとはいえ、あまりに画面がぶれるので少々しんどかったが……。  
 多くの場面にある意味で日常的な「笑い」が散りばめられているのがもう一つの魅力となっている。それはリアルな戦場が舞台であるだけにかなりブラックな効果ももたらしている。ヘルメットに弾が当たって「運が良い」と思わずそれをはずして痕跡を確かめた途端に頭を撃たれたり、銃を突きつけられたドイツ兵が片言で「アメリカ大好き、ベティ・ブーブいい、ヒトラーくたばれ」とぎこちなく笑いながら命乞いをしたり、ライアンが自分の長兄が女の子と抱き合っているところを次兄に見付かった話を 大笑いしながら語ったり……ある意味で戯画的なシチュエーションを敢えて挿入することによって、無個性・画一的に描かれがちな兵士達を存在感あるものにしている。
 オープニングとエンディングに星条旗がはためくシーンが置かれているのはお国柄ですかね。最後が敬礼と国旗掲揚では正直なところ少々興醒めな気がしました。日本映画なら、最初と最後に日の丸がでてきたらなんかあぶない映画じゃないかしらと思ってしまいそうですけど。あえて星条旗をくすんだ色合いで映すことによって、そこにアイロニーが込められているという話もありますが……どうなのかなあ。
ジョン・ラセター「バグズ・ライフ」◎
 フルCGですが文句なしに楽しいアニメーションでした。ノンストップだし、細かいところに凝っているし、会話は軽妙だし、全然人工的な感じがしない。キャラクターの中では、特にレディ・バグ(てんとう虫)であるが故に女に間違われる顔が可愛くて口が悪いフランシスと、瞬きがリアルな可愛くて恐いトリさんが気に入りました。
 ベースは「アリとキリギリス」なのですが、この童話自体は実はあんまり好きな話ではないですね。いかにも怠け者は食うべからず、まじめにこつこつと……という話が説教臭くて、日の当たらないアリなんかより精一杯歌うキリギリスの方が余程マシだろうに、と常々思っていたのでした。しかしこの「バグズ・ライフ」では、バッタ達は堂々とアリ達の食料を横取りする略奪者として描かれていて、まじめにいいなりになっているだけじゃ駄目だ、ととてもポジティブなのが良いですね。結局まじめに一粒 一粒実を集めるのに飽きたらない発明好きのフリックが、皆から「秩序を乱す」と白眼視されながらも、見事に皆を引っ張っていくことになるわけで、これはもうイソップの童話の説教とは逆のスタンスになっています。これはどちらかというと「七人の侍」に近い話ですね。
最後にエンドクレジットでは、NG集として演技に失敗している虫達の楽屋落ちまであって、極力CGの冷たさを感じさせないようなアットホームな楽しさを強調しています。実際、CGを観ているというよりは、セサミストリートのマペット達を観ている様な気になりました。

<5月>
「スター・トレック/叛乱」△
 「ファースト・コンタクト」に続くピガード艦長物の映画の第二弾。もっともちゃんとテレビシリーズを観ていないので、世界観を十分理解しているとは言いがたい。うーん、新シリーズのビデオは借りたままでまだ一巻も観ていないのだ。我ながら不勉強な……。
 冒頭、いきなりアンドロイドことデータの反逆から始まり、少々話が見えず面食らうが、いざ物語が滑り出してみると、「ファースト……」よりはかなりわかりやすい展開。遺伝子に影響を与える宇宙線? の影響で、長寿が約束された惑星の600人の住人を守るために、エンタープライズの面々が奮闘するというもの。ピガード、連邦に叛乱か、とはいっても、ちゃんと副官を連邦評議会に向かわせて了承を取るのだから、別に反逆と言うほどのものではないです。
 スタートレックシリーズは、テレビシリーズを踏まえての映画版特別編といった体裁をなしているので、興行的に盛り上がりに欠けますが、まあ最近こういうパターン多いですしね。「踊る大捜査線」しかり、「X-ファイル」しかり、「エヴァンゲリオン」しかり……。大体はテレビの人気を反映しての企画なので、テレビシリーズ本体の方が面白かったりして。

<6月>
ジョージ・ルーカス「スターウォーズ/エピソード1〜ファントム・メナス」◎
 待望の「エピソード1」の堂々の登場であります。結局待ちきれずに7月10日公開の前に先先行オールナイトに行って来ました。
 9:50開演を前に、7時少し前に渋谷の渋東タワーに向かったところ、既に地下鉄通路まで長蛇の列。どうやら朝から列が始まっていたらしい。といってもこの段階ではまだ並べば座って見れるということなので、固い通路の床に腰を下ろして待つこと二時間、何とか日本公開第一回目を観ることができました。周囲はスターウォーズグッズを身につけた若い人達で一杯。ううんこれなら何か身につけてれば良かったかな。でも前の方に座っていた人の来ていたスターウォーズTシャツ、パンフで確認したら15,000円もする……。
 既にアメリカでは「オースティン・パワーズ・デラックス」とディズニーの「ターザン」に抜かれていると聞いていたので、少々不安もあったのですが、馴染みのキャラクターと特撮が観れればそれだけでも満足。それこそ先行オールナイトで見た方が醍醐味があるというものです。前に「ターミネーター2」を先行オールナイトで観たときは拍手喝采でとても盛り上がったので。
 今回もオープニングタイトルが始まるとさっそく拍手の嵐。滑らかに動くクリーチャーや流線型の戦闘機の戦闘シーンなど、見所は多いけど、感心したのはダース・モール対ジェダイ二人のライトセーバー戦。これが実際とても格好良い。旧三部作では日本のチャンバラと比較しても少々見劣りがしたものですが、スピードもテクニックも段違いで、なるほど失われたジェダイの戦法はこんなにも華麗だったのか、と納得できる出来映え。
 中盤にポッドレースの見せ場、ラストに総力戦と、ある意味では第一作「エピソード4」を彷彿とさせる構成になっていますが、主人公の少年が幼き頃のダース・ベーダーということで、ラストに一同に会する面々の表情にはどことなく翳りが見られ、後に銀河皇帝になる元老院議員パルパティンも三作目の皇帝と同じ人が演じていることもあって、当然ながら一作目ほど手放しの喜びようともいかないわけで。エンドタイトルの音楽も今までと違ってアナキンのテーマを緩やかに演奏しながら消えるようにして終わっており、先行きの不安を暗示しつつ終わっています。
 おそらく三年後公開のエピソード2で、パルパティンを中心に元老院議会が没落し、ジェダイ評議会も危機に見舞われるという陰謀劇が描かれ、その後エピソード3で、アミダラと結ばれる筈のアナキンは暗黒面へ転落するほどの悲劇に襲われるのでしょう。C-3POはアナキンの母親と共にまだタトゥーインにいるので、再びタトゥーインが舞台になるはず。どうせならどんどん進めて、エピソード7までやって欲しいものです。よぼよぼのおじーさんになったソロが出てきて、「やっぱりワシがいなくっちゃ!」とか言ってくれないかしら。

<8月>
ガイ・リッチー「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」◎
 「SWEP-1.」は失敗作、「となりの山田君」は愚劣、「アイズ・ワイド・シャット」は笑える、……となかなかに辛口の知人が唯一お勧めの映画がこの「ロック・ストック……」でした。「トレスポやタランティーノよりも一枚上手のクライムコメディ。脚本はしっかりしていて、笑えます。オススメ!」とのことです。
 というわけで他人の意見に左右されやすい私はさっそく見に行ったのでした。「エントラップメント」につづいて一日に連続で高価な物を盗んでそれをさばくのに腐心する、という映画を楽しんだ訳で……。タイトルは正直言って何かよく分からなかったのでした……もう少し分かるタイトルでないと一般の人はなかなか足を運ばないのでは……もっとも「トレイン・スポッティング」が当たったので最近では無理に日本語訳にしない様ですけど。パンフによれば、「ロック・ストック&バレル」とは「全て」を意味する古いイギリスの表現で、「トゥー・スモーキング・バレル」とは発砲した銃口から立ち上がる煙をイメージしている、とのことです。
 監督は若干29才! すごいなあ。それにしても最近のイギリス映画にはヒットが多いなあ。実際この作品も、賭博に明け暮れる若者達と、麻薬を製造する学生達と、麻薬の売人グループ達と、ポルノ界の帝王を名乗るギャング達とが四つ巴となって殺し合う、全編殆どワルばっかり、良心の葛藤も死の恐怖もないひたすら殺伐とした世界での騙し合い……なのに笑える、という非常に凝った作りになっています。とにかく登場人物がやたらと多く、それぞれひとくせもふたくせもある個性的な連中なのに、途中で訳分からなくなることもなくちゃんと全てに決着が着くという見事な脚本でした。水責めが得意でバプティスト(洗礼者)と呼ばれているギャングの用心棒とか、一見ごきげんな黒人だがテレビのチャンネルを変えられると怒って相手に火を放つ麻薬王とか、子供好きでいつも息子を連れていて、相手を責めたてている時にその子供が汚い言葉を使うと父親としてたしなめる取り立て屋とか、メインのメンバー以外の脇役達がとても魅力的で、一人一人あげていったらキリがないほど。結構出来すぎた話、ではあるけれど、なまじ死ぬのが悪人ばかりなので案外後味が悪くないのでありました。
ジョン・アミエル「エントラップメント」○
 監督はあのシガニー・ウィーバー主演の「コピー・キャット」と、ビル・マーレー主演の「知らなすぎた男」を撮った人だったんですね。それだけになかなか仕掛けは魅力的。広告ではショーン・コネリー演じる円熟した美術画泥棒とそれを追うためにキャサリン・セタ・ジョーンズ演じる保険会社の調査員が仕事を依頼するという名目で近付く、という構図なのですが、その構図は二転・三転する。まあ登場人物は絞られているので、意外性という点では「交渉人」には負けると思うけど。ラストの舞台がマレーシアのモダンなビルで、2000年問題を扱っているという設定も新しい。
 キャサリン・セタ・ジョーンズは決して表情豊かではないけれど、色々と七変化を見せてなかなかに魅力的。対するショーン・コネリーは、なんだかんだいっても振り回されているおじいさんといった感じで、最後にそれなりにまとめてくれるとはいえ、息切れしたりなんかしててちょっとしんどそう。やはりコネリーは「薔薇の名前」を最高峰として、「アンタッチャブル」「ザ・ロック」「インディー・ジョーンズ最後の聖戦」「レッド・オクトーバー」あたりの、男を相手にして貫禄と知力を発揮してくれる役がいいよなあ。「007」シリーズの女たらしは今一つ乗れなかったし。
シュニッツラー「夢奇譚」&キューブリック「アイズ・ワイド・シャット」○ 
 本屋で見かけたシュニッツラーの「夢奇譚」がキューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」の原作だと知って、さっそく読むことにしました。本来なら、映画の原作を先に読むのは考えものなのですけどね。展開が分かってしまうし。でもキューブリックに関しては、「時計仕掛けのオレンジ」の原作を映画より先に読んでも失望することが一切無かったので……。
 医師とその妻が舞踏会に行き、妻は夫に浮気願望の夢を語り、夫は夜の街をさまよって謎めいた秘密の仮面舞踏会に足を踏み入れる……。その仮面舞踏会の秘密は最後まで語られず、夫婦は互いの心の中の闇の部分をかいま見ることになった。この小説が書かれたのは1925年、大戦前のウィーンが舞台。世紀末の退廃的なウィーンには4万人の娼婦がいたそうで、そういう意味ではその時代の不安な雰囲気を充分に反映させているのかも。フロイトの「夢分析」が発刊されたのが1900年ですから、小説で夢が奥底の願望を現すものとして扱われているのも納得できます。
 キューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」を観て、一番に思ったのは、舞台が現代のアメリカであること以外は、確かに原作の「夢奇譚」通りの展開だ、ということ。勿論、「時計仕掛け」にせよ「2001年」にせよ「シャイニング」にせよ、ほぼ原作通りの展開ではあるのですが、いかんせん原作が1925年の作品と言うこともあって、従来の作品よりもより「道徳的・倫理的」な色彩が濃くなっています。18禁のR指定、というほど過激な性描写も暴力描写もないし。作品最後の結末も原作通りとはいうもののやや無難に終わっているような気も……。「博士の異常な愛情」のブラックユーモア溢れるラストや、「時計仕掛けのオレンジ」のアイロニーに満ちたそれでも解放感あるラストを賞賛するものにとっては映像的にもうひとひねり欲しいところ。狂人が出てこないところもやや物足りない。ただ、最後の作品にまで共通していたのは、キューブリックという映像作家が、あくまで人間の無意識、本質的な部分に闇が、獣性が潜んでいることを告発し続けたことでしょう。「時計仕掛けのオレンジ」の主人公は暴力を振るっている時が一番生き生きしていたし、「シャイニング」の主人公は狂ってしまってからより生彩を放つ。それと同様に、「アイズ・ワイド・シャット」の主人公がもっとも表情豊かになったのは、黒魔術とも乱交パーティーともつかぬ怪しい舞踏会の中で、仮面を付けたままさまよっているシーンではなかったかと思うのです。
ゲイリー・グレイ「交渉人」○ 
 前評判も高く今年のベストとの話も聞いていたので、しばらくやっているだろうと思っていたら、今週で終わると聞いて慌てて見に行くことにしました。公開が始まったの確か7月の頭じゃなかったっけ? 何か終わるの早くない? 期待はずれだったのかしら?
 サミュエル・ジャクソンとケビン・スペイシーという演技派の共演。サミュエルはいかにもだけど、ケビン・スペイシーはなかなかにいい味。凄腕の交渉人でありながら、登場シーンが娘の前で妻のご機嫌取りに四苦八苦するというのもいいし、プロだけあって簡単に相手のペースに乗らないところもいい。サミュエルは相棒殺しの汚名を晴らすために内務捜査局に立てこもるわけだけど、その突入してくるSWAT達をかわしながらの真相解明の進行もいいし、最後の最後に判明する真犯人もそれなりに意外性があります。
 タイトルも控えめ(「ネゴシエーター」と表記した方が今っぽいけど、なんかそんな題名の映画すでにあったかな……)、「ダイ・ハード」とかに比べても地味な展開だし、ヒロイン不在のサスペンス劇だし、もはやおきまりの「警察内部の裏切り者」パターンではあるしで、そういう意味ではいまいちブレイクしなかったのかも知れないけれど、リアリティのある緻密な脚本は、従来の「お母さんも見ているぞ〜」式の古くさい説得&最後は突撃パターンを一切排除していて、なかなか見応えのあるものでした。

<9月>
ウォシャウスキー兄弟「マトリックス」◎
 公開が待ちきれずに先行オールナイトで見に行ってしまいました。今年最も期待の高いSF映画です。あのカメラが回り込んでのスローモーションが魅力の予告編に感化されてしまった口でして。しかも脚本と監督はあの凝った展開の「バウンド」を撮った若手。兄の方は1965年生まれだもんなあ。ボクと同じ年なんだよなあ。
 上映一時間前に行くと既に長蛇の列。やはり待ちきれなかった人は多かったみたい。
 私は基本的に好きな映画です。今年の最も魅力的な収穫の一つ。でもあんまし期待しすぎると、見せ場のシーンは結構予告で流れてしまっているので……。ヒロインが男を蹴り飛ばすスローモーションのシーンと、主人公のネオがのけぞって銃弾をかわす有名なシーンが印象的だったけど、それ以上の驚きの映像で満ち溢れていることを期待したのですが、むしろラストに近い場面の方が普通っぽいかも。でも接続された人間発電器、のシーンはなかなか有機的でとってもシュミ。この世界では人間はコンピュータの電源用に栽培されていることが比較的早く判明するのですが、ディプトリーJr.の名作「接続された女」の持つ生理的な恐怖と哀感が直接画面で表現されていて、結構恐い。普通の段取りとしては、こういう衝撃的なシーンは後ろに持っていくと思うのですが、この映画では逆に早々と主人公を絶望させて、後半の問答無用のアクションシーンにつなげていく。多分ここら辺が、アメリカで大当たりした要因かも。仲間を裏切って仮想世界に帰ろうとする人間の存在も物語を盛り上げてくれるし、基本的には娯楽作品。「ダーク・シティー」と共通する「偽物の日常世界」をより鮮明なスタイルで描いています。主人公達が縦横無尽に暴れ回るのはあくまでバーチャル・ワールドの方で、そこでは加速装置も超能力も何でもありなのだからとっても分かりやすい。仮想世界を人間達に見せているのは22世紀の機械生命の方なのだから、その中にいる主人公達と敵対する「エージェント」達が負けるはずもないと思うのだけど、香港のカンフー物もバーチャルワールドの中では充分アリさ、のノリで楽しむのが正解ですね。話の中で出てくる生身の人間の残された場所「ザイオンの街」も描かれないままですし、マトリックスの世界の中に住む「予言者」の実体も明かされないままだし、続編も十分に期待できそう。
 「リング」の完結編となった「ループ」の世界を彷彿とさせる部分もありますが、もしかしたら神とか救世主とか予言の概念もこういうものなのかなと思わせてくれます。脳に伝えられる信号が人間の知覚の全てなら、仮想世界も現実世界も同格だ、という話はSFでは結構常套手段になりつつありますが、映像化された作品の中ではこの「マトリックス」が最も説得力を持っているような気がしました。

<10月>
レニー・ハーリン「ディープ・ブルー」○
 「みんなで助かろう!」と意気消沈した他の人物達を激励している矢先に、後ろから一瞬にして鮫に喰われちゃうサミュエル・ジャクソンのCFで有名な本作。うーんあそこのシーンを予告編で見せちゃうのは反則だよなあ。あのあっけなさが今までの作品にないユニークな点なのに。
 「ダイ・ハード2」も「クリフハンガー」も意外と好きなので(どちらも悪役の描き方が良いです)、そこそこ楽しめるんでは、と思って観たのでした。(土壇場まで「ホーンティング」を観るはずだったんだけど……)
 アルツハイマーを直す研究のために鮫を飼育して、その脳組織をいじっていたら……という設定は、意外と説得力あります。実際、鮫は魚の中でもガンにかかることがないということで、確かスクワラミンという抗ガン剤が他ならぬ鮫の体を利用して作られているとテレビで観たことがありますから。最もそういったデリケートな研究のために、わざわざ巨大なアオザメを海の真ん中の研究施設で飼育することもないと思いますけど。ヒトを喰わない小さめの鮫を沢山使った方が効率も良さそうな気が……そこら辺、ノベルズとかでは説明がなされているのかなあ。
 とにかく登場人物の殆どがとても「あっさり」と殺されてしまうので、凝った展開の割には余韻が残らないのですが、その分観ている間は全く飽きが来ないです。被験者に脳波測定しながらこの作品全編を見せたところ(パンフにも載っていたけど、今日のテレビ「たけしの万物創世記」でもその実験が説明されていました。)、殆どストレスや悲しみの感情は現れずリラックスと楽しさの感情だけが測定されたそうで、確かに成る程、と納得。 「ジョーズ」や「エイリアン」へのオマージュがあちこちに見られますが、基本的には純粋な意味で楽しめる作品でしょう。もっとも登場人物達にはそれほど感情移入はできませんが。多分そこら辺が「ジョーズ」との違いかな。やっぱりあっちの方ではリチャード・ドレイファス演じるちょっととぼけた海洋学者に感情移入しちゃうし、彼が助かってホッとするもんなあ。
シェカール・カプール「エリザベス」○
 歴史物ってあまり観る気をそそられないんだけど、いざ話が始まると見入ってしまうんですよね。歴史は好きなんだけど、一方で楽しい物とは思わないし。善人滅びて悪人栄えるみたいなひどい話が多いからかな。「エリザベス」の冒頭も、有無を言わさず新教徒が火あぶりにされるシーンから始まります。人間の愚行がいかに執拗に繰り返されるか、という意味では歴史は示唆に富んでいますけど……。ピーナツ・ブックスのサリーも言っています。「(質問)我々は歴史から何を学ぶか。(サリーの答え)我々は歴史から何も学ばない。(一コマ置いて)我々は数学からも何も学ばない」
 個性的な登場人物、華麗な衣装、壮大なカメラワーク……確かに見応えのある「豪華な」映画。主人公のエリザベス役のケイト・ブランシェットは結構雰囲気出していたので、ぜひ白塗りとなってからも活躍して欲しかったんだけど、これからと言うところで終わってしまうのだなあ。せめて無敵艦隊撃退までやって欲しかった。
 リアルな描写が見事、と評判の本作ですが、歴史考証の部分では年代がバラバラ、なんか観ていて変だなあと思ったら、パンフにちゃんと説明が。それによるとエリザベスの即位が1558年、スコットランドのメアリーが死ぬのが1560年、策略家ウォルシンガムが女王に仕え始めるのが1568年、フランスのアンジュー公がやってくるのは1579年……うーん全然順番が違うんじゃないの。エリザベス一世は歴史上の人物の中でも英国をヨーロッパ随一の国家に押し上げた程の人物、いいのかなあこんなに適当で。イギリス本国ではクレームつかなかったのかなあ。
 ウォルシンガムを演じるジェフリー・ラッシュもいいけれど、後半やや地味でしたね。意外なところで「ドーベルマン」に出演したヴァンサン・カッセルがちょっと変態のアンジュー公を楽しげに演じていたのが印象的でした
カーク・ジョーンズ「ウェイクアップ!・ネッド」◎
 「わずか52人しか住んでいない村で、独り者の老人ネッドが宝くじを当てた。賞金は何と約12億円。しかし当選者のネッドはショック死してしまい……」なんともありがちな分かりやすい設定ながら、イギリスとアメリカで大ヒットした話題の映画です。あの辛口のテレビ「シネマ通信」のコーナーでもべたぼめ、5ツ星だったこの作品、いやでも期待せざるを得ません。
 それにしてもこのところイギリス映画って元気がいい。超ロングランの「トレインスポッティング」、抱腹絶倒の「フル・モンティ」、伏線があざやかな「ロック・ストック・スモーキング・バレルズ」等々、殆どはずれがなかったような。共通しているのはしゃれた会話と皮肉な巡り合わせ、そしてシンプルな人物描写。内面性を深くえぐるような真似をあえてしないのに、人物の存在感はしっかり感じさせてくれるというところでしょうか。
 基本的に徹底したコメディ。あまり深く考えずにとことん楽天家のジャッキーとお人好しで振り回されやすいマイケルのコンビのやりとりを楽しめばそれで良し! という感じ。プロデューサーの「実写版のウォレスとグルミット」という表現は言い得て妙ですね。
 ちょっとごまかしてやろう、という出来心がやがて雪だるま式にどうにも後戻りできないところまで 転がってしまう、というのはいかにもイギリス的スラップスティック。考えてみると結構ブラックだよなあ。死んだ人間から当選くじを巻き上げるのは本来なら詐欺なんだし、村の鼻つまみ者のおばあさんが密告しようとしてついには……というくだりは、オイオイこれでいいのかな、なんて思わせる展開だし。おらが故郷の山の高さを何とかしようとする「ウェールズの山」のおかしいながらもしっとりとし た後味を好む人には、よりあっけらかんとしたこの作品は少し物足りなく感じるかも。もっともどっちかというと私はこっちの方が好きですけどね。より欲望がストレートだから。

<11月>
M. ナイト・シャマラン「シックス・センス」
 
「この映画のストーリーには"ある秘密"があります……」冒頭に映し出されるメッセージが逆に気になって、ついついオチは何だろうかとそればかり思ってしまうと、肝心なテーマを見過ごしてしまうおそれがあるかも知れないですね。このラストは、ミステリーを読み慣れている人にはある程度予想できる展開だと思うし、逆にそのオチにこだわりすぎているようなラストシーンにも感じられたし……。ただ、その展開が読めてしまったとしても、上映終了後にじわりと迫ってくる感動には何ら変わりがないと思うし、そこがこの映画が評判になっている理由だと言えるでしょう。
 死者の姿が見えてしまう少年……たったそれだけのシンプルな設定の中をもとに、孤独と優しさに満ちた広がりのあるストーリーが展開されていることに驚きました。少年はきっと他者には分かってもらえないだろう。そしてその恐怖から逃れる手段もないだろう。しかし、にもかかわらず彼は救われる。むしろ物言えぬ死者の訴えに応えることによって。
 ホラー的な意味ではなしに恐いシーンが一カ所あります。少年は口から汚物を吐き続ける死んだ少女の亡霊に会う。恐怖に怯える少年は、しかし少女の訴えを聞き入れ、彼女からビデオテープを渡される。そこには、病床の少女の食事の中に洗剤を混ぜ込んでいる母親の姿が映っていた……。
 生きている相手のことすら理解できない、毎日接しているはずの親しい者との間にも深い溝がある……そういう悲しい、そして恐ろしい情景を織りまぜることによって、死者と対話することができるという少年の能力が、人と人との絆を深めることもできる素晴らしい力となっていくという展開に、正直な話惹き付けられました。単に縛り首にされた死体の出現に怯えるしかなかった少年は、やがてそこに無慈悲な力によって打ち砕かれた命のかなしみを見出す。そして救いを求めていた少年こそが、まさに彼以外の他の者たちを救うことになる……これはかなり、ある意味計算され尽くした脚本だと思います。それこそ「語られてはいけないラスト」があるために、これ以上おおっぴらに言いたいことを言うわけにはいかないんですが、真相が明らかとなる時、まさに万華鏡を見るようにそれまでのシーンの持つ意味が180度変わるという点で、確かに必見の作品だと言えるでしょう。人は確かに他者を本当には理解できないのかも知れない。しかしそれでも、いやむしろだからこそ人は人を求め、人のために尽くすことが出来る。言葉にしてしまうとどこかわざとらしくなってしまうけれど、そんなメッセージを受け取ったような気がしました。監督のシャマランはインド出身の若干29才の新鋭、次回作が楽しみです。
篠田正浩「梟の城」
 日本映画はあまり観ない。なかなか入場料分得したという気分になれる作品に出会っていなかったからかなあ。多分良い作品も一杯あるんだろうけれど、やはり映像、脚本、音楽いずれにしても洋画の方により新しいアイデアを感じる場合が多いので。テレビでよく見かける人達が演じているからというのもあるかも。 今回の「梟の城」も中井貴一主演ということなんだけど、どうしてもDCカードのCMのイメージが先にあるので、「10年隠遁していた」とか言われても今一つピンと来なくて……。町へ出ていきなりナンパなんかしちゃってホントにこの人世捨て人だったんだろうかと思っちゃう。大河ドラマの「武田信玄」とか、映画の「マークスの山」とかで「寡黙系」のキャラをやることが多いけれど、この人は楽しげにコメディでもやってる方がまだ面白いんじゃないかしら。
 あらすじは、信長に滅ぼされた伊賀忍者の重蔵こと中井さんが、今井宗久の命を受けて秀吉を暗殺しようとするんだけど、それを邪魔する元伊賀忍者や甲賀忍者がいて……という非常にシンプルな話なんですが、重蔵より強いと認められたという敵役の元伊賀忍者もどこがより有能だったのか良く分からないし、顔を変えることができる敵役の甲賀忍者もその能力を肝心な時に使わないし(てっきりそれが伏線になるのかと……)。よりリアリティのある演出を狙ってアクションアドバイザーに毛利元貞さんとか使っているんだけどさほど緊迫感のある戦いがあるわけでもない。なんか肝心の虐殺シーンははぐかされちゃってる場合が多くて、結局冒頭の伊賀の里襲撃シーンの首が飛ぶシーンだけちょっとそそられたなあという程度。どちらかというと白土三平の「忍者武芸帳」とかの荒唐無稽なほどのスピード感と残虐性に夢中になった口なので、視覚的な驚きの少ない展開は盛り上がりがないなあと感じてしまいます。 とにかく主人公の重蔵に今一つ感情移入できない。彼の行動を付き動かすものが今一つ迫ってこないので、何のために命を賭けてるのかすら伝わって来ないのです。例えば、今話題になっている小山ゆうの漫画「あずみ」なら、物語の冒頭の初恋の相手を殺すことを迫られる主人公の引き裂かれそうな自我に感情移入することができるし、その後の彼女の行動に一貫したものを感じとることができました。でも重蔵の場合、妹を殺されて復讐を誓った後、信長が死んで気が変わってもう復讐はしないと言うんだけど、また気が変わってやっぱり殺そうと思って町に出て、でもなんか煮えきらないでぐずぐずしているうちに仲間が次々殺されて、やっぱり暗殺しなきゃ自分の人生意味がないとか思って城に乗り込んで、でもまた気が変わって……とどうも何だか観ていてついて行けないというか、鬼気迫るものを感じないというか……。到底かなわない相手を敵に回すのなら、三浦健太郎の「ベルセルク」みたいな、自分でもどうにもならないほどの強烈な気迫を持った主人公でないと……と思うのは私だけかしら。

ヤン・デ・ポン「ホーンティング」△

<12月>

D.フィンチャー「ファイト・クラブ」◎
 ただ殴り合うためだけに結成された「ファイト・クラブ」。主人公のジャックは自分とは正反対の攻撃的な性格のタイラーに惹かれ、このクラブの一員となるが……。一応そういった粗筋はかなり前から予告編などで知ってはいたけれど、それだけ聞いてもあまり面白そうには思えない。もっともあの「セブン」の監督だし、それなりの仕掛けはあるのだろうと勘ぐってはいましたが。 オープニングは脳内神経細胞のかたまりの中をカメラが失踪する、デジタルと肉体感覚の一体化したスピード感のある映像から始まります。前々作の「セブン」と比べると、独特の内臓感覚はそのままに、 明暗のはっきりした映像になっているような……。主人公の性格設定も、物に振り回され、自分の部屋を計算しながら作り上げていく真面目なヤングエグセクティブということで、感情移入しやすくなっています。ジャックを演じるエドワード・ノートンもどこか普通っぽいので、「生きることに実感が持てない」という彼の悩みもとても切実に、現実的に感じることができるのです。彼は最初「痛みを知るために」死を待つ癌患者や感染症の集まりに病人のふりをして参加し、一緒になって涙を流すことによって生の実感を得ようとするのだが、結局は後ろめたさを拭いきれず、もっと直接的に「痛みを知る」こと、すなわち殴り合いの世界へとはまりこんでいきます。
 これはある意味、「シックス・センス」の様な構造を持っていて、あまり事前の情報を得ずに見に行ったのは正解だったなあと思いました。ただ殴り合うだけの会合「ファイト・クラブ」の描写はこの映画のターニング・ポイントに過ぎず、物語はあくまでジャックとタイラーのきわどい接近と対立の繰り返しが主眼となっています。生を知るために始まった筈の暴力の探求が、やがて暴力の対象を求めて無意 味に暴走する様がきっちりと描かれています。人間の脂肪で作られた石鹸、石鹸の原料を元に作られた爆弾、執拗に性への執着を見せる死を待つ患者、乳房を持った男、苛性ソーダで溶かされる手の甲……フィンチャーならではの不健康ながら皮膚感覚を揺さぶる映像に酔いながらも、生真面目に生活の中に自由を見出そうとしていた主人公が破滅していくのは何故なのか、思わず考えさせられました。特に物語冒頭の、彼の杓子定規な生活ぶり……マンションに一人暮らしで、家具を選び生活をコーディネイトしながら、退屈と無気力にさいなまれ、不眠症を訴えているという、いかにもありそうな生活に、非常に自分に近いものを感じたので。パンフレットには「欲望があるふりを演じ続ける」男と、なかなかうまい表現を使っていましたが、欲望の不在に悩むというのは、ある意味自分たちの世代に共通した感覚なのではないでしょうか。

<レンタル>
<1月>
「踊る大捜査線・秋の犯罪撲滅スペシャル」
「今泉慎太郎@A」
「ドーベルマン」
<5月>
「踊る大捜査線/歳末特別警戒スペシャル」
<6月>
「踊る大捜査線/初夏の交通安全スペシャル」◎
  映画もヒットして大評判の「踊る大捜査線」、一応お正月に人からビデオを借りて全11話を観たものの、その後テレビのスペシャル版は、お店に行ってもずっとレンタル中で借りることができなかったのでした。
 テレビのスペシャル版は「97年歳末特別警戒スペシャル」「98年初夏交通安全スペシャル」「98年秋の犯罪撲滅スペシャル」の三本があって、今回やっとブームもひと段落つき、一通り借りることができたのでした。
 「歳末〜」は青島刑事がなんとか室井のおかげで湾岸署に戻れたものの、あちこちの部署をたらい回しにされたあげく、いきなり稲垣君演じる殺人犯が署の刑事課を占拠してしまい、SATが出撃するという中刑事課に戻れるという話。「初夏〜」は内田有紀演じる新人婦警(もうそういう言い方しちゃいけないんかな)が湾岸署の交通課で活躍し、レギュラーは少しだけ顔を見せるという趣向。青島刑事はロスからの出張帰りでラストに一回顔を出すだけ。「秋の〜」は犯人の女性を自首させようとするすみれと、その行動を監視しようとする室井監察官が中心となるまさに映画への布石となる展開。そうか、これを観ていかないと、映画版のあの青島と室井の冒頭のややギクシャクした雰囲気がピンと来ないかもね。  「歳末」の稲垣悟郎も、「初夏」の内田有紀も、普段は実はあまりうまい役者とは思っていなかったんだけど、このスペシャル版ではとてもいい味を出している。とにかく俳優さんの使い方が旨いというか、壺をしっかりと押さえているなあという感じ。役者の演技力云々も確かに大事だけど、私はまずは使い方が一番だと思うなあ。
<7月>
「ジャイアント・ロボ@〜F」○
<8月>
アレックス・プロヤス「ダーク・シティ」
 SFは当たらない、というのが日本の出版事情らしいのですが、海外ではそんなこともないようで、昨年公開された映画の中にはかなりのSF作品の秀作が揃っていたように思います。抒情あふれる「ガタカ」、シンプルでシャープな「キューブ」そして「ダーク・シティ」あたりが話題になりました。今年も「マトリックス」という気になる映画がもうすぐ公開になります。この予告編は非常にそそられるものが……。あのビジュアル手法はそう言われてみればCF等で既に使われているものではありますが、もっと早くから映画の中で活用されても良かったと思います。 さて「ダーク・シティ」も、予告編を観てとても気になってはいたのですが、思ったより早く公開が終わってしまっていて見逃していたのでした。従ってビデオでの鑑賞。 うーん、凄い。最初から最後まで異様な緊張感に満ちている。12時の時報と共に全ての時計が止まり、全ての人間達が意識を失う冒頭の場面から思わず目が離せなくなりました。不安げなBGMが延々と流れているせいか、なかなか気が抜けない。古ぼけたビル街が粘土細工のように柔らかく伸びていくシーン、黒い帽子とコートに身を包んだ「異邦人(ストレンジャー)」達が立ったままの姿勢で宙を進むシーン、ラストシーンへの伏線になっている死体に刻まれる渦巻きのシーンなど、印象的な映像が次から次へと繋がっていて、非常に密度の濃い100分間でした。昼間のない世界で時折主人公の記憶の中にかいま見られる青空の元に広がる海の描写は、どこかダリの絵の青さに似た無機的でかつノスタルジックな気分を観る者に思い起こさせます。 人間の心を知るために、寄せ集めた人間達に自在に記憶を注入して別の人間へと入れ替えていくという実験を繰り返す異邦人達と、殺人鬼の記憶を注入されかけ追われる身となる、「チューン」という異邦人の超能力を会得した主人公。人々は皆過去の記憶がおぼろげで、それどころか昼の光を見ていないことを認識すらしていない。夜毎に一部の人間達は記憶を入れ替えられ、次の日には全く別の人間として生活を始めている……。盛り沢山な設定ながら、それらを魅力的なビジュアルにまで高めているのはさすが。端役ながら、笑顔でナイフを振り回す子供の姿の異邦人が実に印象に残りました。こういうのを描きたかったんだよなあ。 主人公の妻役で久しぶりにジェニファー・コネリーが出ていましたが、まともな美人でありながらどこか心ここにあらずといった表情の危なげなキャラクターが、この作品では非常にマッチしていました。
「ラッシュ・アワー」○

<DVD>
<3月>
フレッド・ニブロ「ベン・ハー」(1927年版)
 1959年にチャールトン・ヘストン主演で製作された「ベン・ハー」は、ミクロス・ローザの音楽も良いので実は好きな映画なのですが、なにしろアカデミー賞を沢山受賞したというだけあって逆に「いかにもご都合主義」な大作ということであまり周囲の映画ファンからは賞賛の声を聞かないのでした。まあ確かにキリストの生涯をだぶらせているので、ラストなど確かに今観ると「おいおい」と思わないこともないのですけど、場面場面に見せ場は多いし、基本的には良くできた娯楽作品だと思うんですけどね。学生の頃社会の先生がこの映画が好きで盛んに褒めていたのが懐かしく思い出されます。 カラー版はローザの音楽と敵役のメッサラのキャラクターが好きなのですが(酷い目にあっているのはベン・ハーなのに、彼を追いつめているメッサラの方が相手をより憎悪しているのがいいですね)、 見せ場は有名な戦車競争のシーン。これは確かに盛り上がる。あえてこのシーンにはBGMが入らず、スピード感のある画面により集中出来るようになっています。
 この映画に先立つこと三十年前、戦前に既にこの「ベン・ハー」がモノクロ・サイレントで映画化されていたのは知ってはいましたが、なにしろなかなか上映される機会もないし、と思っていたところ、DVDソフトで「淀川長治監修・世界クラシック名画100撰集」の第79巻として売られていたのを発見、さっそく購入。なにしろサイレントで140分なので、とりあえず例の戦車競争シーンから観ることにしました。
 観てびっくり。1959年版と殆ど変わらないカメラワークと撮影規模。音がないし画面もモノクロだけど、これはなかなか見事なものです。ベン・ハーの戦車の馬が白で(当然主人公なので)メッサラの馬 が黒というシチュエーションもそのまま。しかもカラー版にはない地面から見上げたショットもあるし。 12万人のエキストラと200万ドルの制作費は、確かにアメリカ的物量作戦ではありますが、少なくとも 1925年の「ジークフリート」とか同じ1927年の「メトロポリス」とかいったサイレントの大作と比べると、段違いにスピード感があると言えますね。
 それにしてもユダヤ人を主人公にしたこの「ベン・ハー」が大当たりした後に、第二次世界大戦が始まってユダヤ虐殺が起きたことを考えると……なかなかにやりきれない物を感じざるを得ませんね。最後の「恨みが流れ去る」というラストが皮肉に聞こえてしまうなあ。
<4月>
フライシャー「ガリヴァー旅行記」
「ポパイ」「ベティ・ブーブ」で一世を風靡したフライシャー兄弟の長編カラーアニメ。これは1939年に公開されたディズニーの「白雪姫」に続く世界で二本目の長編アニメです。前から気になってはいたのですが、DVDソフトになって売っていたので思わず買ってしまいました。 50年前に作られたことを考えれば、これは相当な出来映えです。原作の第一編である「小人国(リリパット)」をベースにしており、巨人であるガリヴァーはリアルに(この色彩はモンティ・パイソンのギリアムによるアニメのタッチを思わせますが)、リリパット国の住民達をポパイなどに代表されるようなデフォルメタッチで描き分けています。ディズニーのアニメがそうであるように、この「ガリヴァー」もキャラクター達は歌いまくっていて、基本的にはミュージカルのような作りになっています。何しろ小人国同志の戦争が結婚式でどちらの国の歌を演奏するかでもめる所から始まるのですから。 最終的には両国はガリヴァーの力を借りて仲直りするわけで、基本的には反戦がテーマになっています。しかし公開されたのは1939年、第二次世界大戦前夜。この年、ヨーロッパでは英仏がドイツに対して宣戦し、アメリカは不介入中立を宣言していますが、1941年の真珠湾攻撃で太平洋戦争になだれ込むことは周知の通り。それを考えると、このラストも公開当時どのように受け止められていたのか気になるところです。 もっとも原作者のスウィフトは、そんな人間の愚劣さを既に「ガリヴァー」の中で描ききっているわけで、実際原作の第一編では、ガリヴァーはリリパット国と隣国との戦争の際、敵の艦隊を一網打尽にしてリリパット国を勝利に導くのですが、そのあまりの強大さと食料確保の困難さとで彼を敵視する者たちは彼を処刑しようとし、彼に味方する者もせめて目を潰すくらいで許そうと言い出す始末で、結局ガリヴァーは倒した敵国の方へ寝返り、そこから故郷へと去っていくという、アニメとは対照的な結末を迎えます。
<11月>
ジョージ・ダニング「ビートルズ/イエロー・サブマリン」
 発売になったのを知っていそいそと新星堂へ出掛けたら、既に完売で、とりあえず注文をして一ヶ月近く待たされた作品。楽園ペパーランドをいきなり襲ったブルー・ミーニーズ。提督はイエロー・サブマリンでその場を逃れ、ビートルズ達に助けを求める……。  初めてこの作品を観たのは小学生になったかならないかの頃だったと思います。テレビでやっているのをたまたま観ていて、とてもびっくりした記憶があります。鮮やかな色彩と不思議なストーリー展開。宿敵ブルー・ミーニー族のリーダーはブラック魔王の声だったような……。バキューム怪獣に翻弄される「怪獣の海」のシーンなんかはかなり鮮やかに脳裏に焼き付いてしまったのでした。実はビートルズを知ったのもこの映画からで、この後同じようにビートルズ主演の映画がテレビで流れた時には、四人が実写で現れたのでえらく失望したことを覚えています。 実は大学の漫画サークルではあまりこの作品は評判が良くなかったのでした。丁度レーザーディスクが発売された頃でしたが、以外と皆知っていて、しかも「あれはひどい」という評価が一般的。この作品は興行的にはうまくいかなかったそうですから、ビートルズ・ファンにとってはあまりすんなり入れないのかも。そもそも声も違う人達が入れているし(本当は本人達が声をやるという話もあったらしいのですが、実現しなかったようです)、絵も声もそういう意味ではあまり似てはいないし。でも私はあくまでこれをアニメーション作家ジョージ・ダニングの作品として評価したいですね。セル画の手法、切り絵の手法、フィルム直接彩色の手法などさまざまな技法が試されていて、何回観ても飽きない作品です。今回のDVD版はイギリス公開版なので、ビデオ版で観ていないシーンもあったりしてとってもお得、しかもストーリーボード集や絵コンテも一部入っていて楽しめました。同時に買ったDVD版「バグ ズ・ライフ」も、未公開NG集や短編「GERY'S GAME」も入っていて、うーんやっぱりDVDはいいなあとあらためて思ったのでした。



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