「4月の独り言」


4月30日。

いよいよ待ちに待った連休の始まりです。

とはいうものの、諸般の事情により実質的には4/30しか年休にできないので、4/29〜5/5までの7連休。これで5/6、7も休みにできれば完璧なのですが、まあそうでなくても一週間はお休みなのでまあ良いとすべきかな。

毎年今度こそ充実した連休を過ごそうと思いつつ、たいしたこともしないうちにあっという間に終わってしまうのが常です。今回もやれマンガを進めてCGを練習してといろいろ思い描いたのですが、5/2-3のSFセミナー、5/4の同人誌即売会、5/5の飲み会で早くも後半は塞がってたりして。

そうなると個人的なことは前半にしなくちゃあならないわけですが、4/29、さっそく部屋を片付けて、と思いきや、部屋の隅っこから出てきた漫画にハマってしまい、結局掃除もしないままだらだらと一日終了。そして今日、とにかく午前中に掃除だけはしよう、午後は創作だ、と思ったのに結局夕方までお掃除にかかってしまった。ああもう2日目も終わる。あと一日しかないや。でも台所の掃除が終わらなかったから……ああ……。


4月15日。

テレビ東京で「永遠の鉄腕アトム・手塚治虫物語」をやっていました。

私も手塚マンガで育った世代なので、小学校の時に「チャンピオン」に連載されていた「ブラック・ジャック」を皮切りに、講談社から出始めていた「全集」で過去の作品も主要な物は一通り読んだ方であり、まさにイスラム教にあやかって言うなら「手塚治虫は偉大なり、手塚治虫の他に神はなし」というところでしょうか。

奥田英二が演じた手塚治虫は本人の風貌に意外と合っていて、やや驚き。有名俳優が手塚先生を演じた例は、他に「マンガ道」のNHKでのドラマ化での江守徹がありましたが、あちらもなかなか味が合ったけど、似ていたのはむしろ奥田さんの方でしょう。

物語の内容は手塚先生を知る者なら大体知っていることばかりだったと思います。戦後すぐにデビュー。「アトム」でテレビアニメにも進出。採算度外視だったので虫プロ倒産。借金の取り立てにあえぎながらも「ブラックジャック」で復活、懲りずに再びアニメに挑戦、ガンで倒れるまで二時間睡眠で頑張った作家。

手塚先生本人は、チャップリンのように大衆を目指すか、オーソン・ウェルズの様に芸術を目指すか悩んだこともあると言いますが、私にとってはむしろその両方を達成できた希有な人だったと思っています。

それにしても、「アトム」の様なアニメにしろ、「ウルトラシリーズ」の様な特撮にしろ、今では考えられないような高視聴率を誇りながら赤字続きだったわけで、よくまあそういう状況であそこまで頑張れたものです。なんか不思議な気がします。


4月14日。

この日は日本テレビの接待ではじめて東京ドームなるものに入りました。

巨人vs広島戦。

本来は宣伝部門の人間しかそういう機会はないのですが、今回はたまたま人数の関係上紛れ込んでしまったわけで、もとより野球には興味もないしどちらのファンでもないし……。もっともVIPルームなる物があるとは知らなかったので興味本位で参加してしまったわけです。

ホテルみたいな部屋でお食事お酒付き。

同期の人間が「こいつは良く食いますから」と余計なことを言うものだからお弁当を二人分もらってしまった。(それでたいらげてしまうから意地汚い……)

9回表巨人4-広島3で広島側の攻撃。ツーアウトランナーなし。

「もう決まりですか?」と隣にいた巨人ファンの同僚に聞くと「どうにもならないです。これで決まりでしょう」とのこと。

ところがその後一点を返して延長戦。10回の表広島で二本もホームランが出てしまい計4点が追加。なんと土壇場で逆転してしまいました。素人の私には大変面白い展開でしたが、なにしろ日本テレビの接待なもんだから、おおっぴらにおもしろがるわけにもいかないし。なにしろすぐそばに専務さんまでいらっしゃるし。

おやおやと思っていたら、試合終了を待たずしてお帰りのお時間とのお達し。おみやげにヨックモックと松井選手のホームランカードファイルをもらって追い出されるように解散とあいなりました。

あーゆー部屋で球場を見下ろして観戦できるなら野球も面白いかも。こーゆー土壇場の逆転劇なんかを見せられると野球ファンが騒ぐのも分かるような気はしますね。元気づけられるんでしょうね。


4月11日。

親戚の家の通夜に行く。

死因は膵臓がんとのこと。まだ60才で、この間お会いした時は全く元気そうだったので、今一つ実感が湧かなかった。

入院時の姿を見られたくないと、見舞いを断っていたとのことで、それは本人の意思だから仕方はないのだけど、今となってはろくにお話もできなかったのが悔やまれる。

人の死というものはある意味であっけないもので、大切な物と頭では分かっていても、それを真摯に受け止め続けることは難しい。人一人がいなくなっても、世の中は何事もなかったかのように過ぎて行くわけで、せわしない日常の連続の中で、数日のうちに忘却の彼方へと押しやられてしまう。

当然、それは自分が死ぬ時も同じことだ。

小さい頃、確か幼稚園かそこらのころ、自分が死ぬ夢を見たことを覚えている。何かの薬の作用で、一瞬にして白骨体になってしまうのだ(オキシゲン・デストロイヤーか?)。自分の死体を自分で見ている。その死体を親戚一同が見ている……そんな夢だった。大体記憶に残っているのはグロテスクな夢ばかりなのだが、子供心に強烈に恐かったので未だに覚えている。

死は避けられない。自分がどういう死に様を迎えるか分からないが、いずれは火葬場で焼かれて骨になるのだ。人間には無限の可能性がある、バラ色の未来世界が広がっているかも知れない……ひねくれてしまった大人ならともかく、それは子供にはそれなりに魅力的な世界観だろう。国境を越えて、いずれは宇宙へ……しかし人生のエンドマークはそこにはない。最後は皆一つの死体になって終わるのである。不確定な未来の中で、唯一確かなのは、自分の死だけなのだ。


4月2日。

この日は北海道に出張。東京はようやく暖かくなり、そろそろ20℃を超えようかという気候なのに、北海道は気温1℃。しょうがないのでコートとマフラーを用意して出発。

さすがに札幌は寒い! なにしろ風が冷たい。室内はともかく、外は耳が切れそう。前の日まで雪が降っていたそうで、所々に大きく雪が積み上げられていました。

放送局での収録も夕方無事終わり、夜は地元では結構人気があるという海鮮料理の店「網場」(アミバ?)でお食事。「そい」という北海道独特の白身の刺身や、えいのヒレを塩焼きにした「かすべの白焼」などを食べる。「ドラキュラの葡萄ソーダ」なんていう、真っ赤な色をした、ハスカップという果実を使った炭酸飲料も飲みました。宿泊したのはモントレというヨーロッパ調の造りのホテル。うーん、久しぶりの贅沢でありました。

4月3日。

夜の間にまた雪が降ったらしく、翌朝はまた粉雪が道路をおおっていました。気温が低い所の雪はさらさらとしているのだな。鞄一個でやって来たのに、帰りにやれお菓子やらカニやらワインやらを買ったので、家につく頃には三倍近く思い荷物になっていましたね。

その日の夕方はいったん家に戻って荷物を下ろした後、池袋サンシャインの「スヌーピー展」を見に行く。

かなりお子さま向けの企画だったなあ。

その日の夜は大学の研究室の同期と表参道で会う。学会の帰りだとのことで、卒業と同時に完全に研究室とは縁を切ってしまった私は既に一緒にいた人達の名前を殆ど忘れていました……。

というわけで、かなりヘビーな二日間なのでした。


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