CMWC Relay Novel vol.2
(2004/02/07~2004/06/30)



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第三話 雨沢流那

「とにかく、そんな話の前に救急車呼びましょうよ!」
 そう亜矢子が叫んで、秋季は慌てて部屋を飛び出していった。しかし、それがすでに手遅れであることは、誰の目にも明白であった。
 さらに亜矢子は、
「私は、母屋に知らせてくるわ!」
 と言って部屋を飛び出す。だが、それを見送る姉妹たちの目はどれも虚ろであった。
 ――なぜ、このような突飛な出来事が? 誰もがきっと、そんなことを思いながら、遠巻きにするようにして冬美とピアノと山茶花を取り囲んでいた。
 目の前にある肉親の『死体』などというものには、誰一人として慣れているはずなど無いのに、誰も不思議と恐怖を感じなかった。それは、まるでしつらえたがごとく美しき状景であるからだろうか。それとも、血のつながった兄弟でないにもかかわらず一人で財産を受け取ることになっていた冬美への妬みからだろうか。それとももしくは、姉たちを含めた親戚に――というより、重蔵以外にはあまり懐いていなかった冬美に、誰一人として親近感を持っていなかったからだろうか。
 いずれにせよ、特に悲しいとか、怖いとかいう感情を持たぬまま、場は空白という重たい空気に満たされていた。だが、それはあっさりと破られる。電話を掛け終わったのだろう、秋季が部屋に戻ってきた。大崎が話しかける。
「警察は呼んだのかい?」
 不安そうに胸の前で手を組みながら、秋季が答える。
「……ええ、一応」
 それに大崎は首肯しながら、
「そうか……なら、現場は保存しておいた方がいいんだろうな。――このまま、死体と顔を突き合わせるのも気分のいいものじゃないだろう? 現場をどうしようも出来ないなら、とにかく母屋に行っていようよ」
 そんな提案に誰もうなずいたわけではないが、率先して動く大崎につられるようにして、みな連れ立って部屋を出る。すると、入れ替わりに亜矢子を先頭にして志貴夫妻が慌てた様子でやってきた。
「冬美は、冬美は!」
 その慌てふためいた様子は、実の娘を心配するのとなんら変わりはない様に見えた。姉妹を押しのけてリビングに入る――そして、短く鋭い美希の悲鳴が聞こえた。
 しばしの沈黙の後、漏れ聞こえてくる押し殺した嗚咽。それはこの世界中全てに響き渡るような。
 そのとき初めて、姉妹たちの胸に悲しいという感情が芽生えたように見えた。

 救急車待ちに使用人を外で待たせている間、一族は母屋のリビングで顔を付き合わせていた。ただし、美希だけはショックのあまりか自室に引っ込んでしまった。また、康志は家を留守にしていた。
「それにしても……なぜこんな」
 頭を抱えるようにして志貴がそう嘆く。それを慰めるように亜矢子が、
「しっかりしてよ、兄さん。そりゃこんなことになったのは悲しいことだけど――」
 だが、それを遮るように――夏江が言う。
「あなたにそんなこと言われたくないわよ」
 それは、暗く沈んだ声で。
「言われたくないって……どういうこと?」
 心外というようにそう言う亜矢子の方をぎゅっと睨みつけながら、夏江は言う。
「だってそうでしょう? お爺様が亡くなって遺言状が公表されたばかりで、冬ちゃんがあんな風に……。誰が一番得をするかっていうのは、目に見えてるじゃない」
「それ……何が言いたいのよ」
 明らかにむっとしたような表情で亜矢子は言う。だが、そんなことには全く怯む様子など見せず夏江は、
「何って、分かりきってるでしょう? 亜矢子さんが財産を手にできる条件は、冬ちゃんが遺産の相続を拒否した場合だけ。でももし冬ちゃんが死んじゃえば――?」
「なによそれ。あたしが殺したとでも言いたいわけ!?」
 そう亜矢子は激昂したように立ち上がる。だが夏江も負けじと立ち上がり、
「だってこんなタイミングで冬ちゃんが死んじゃうなんてあまりにもしつらえたみたいじゃない! あんたが財産ほしさに殺したんじゃないの?」
 そう言って二人はにらみ合い、あわや取っ組みあうかのような形になる。慌てて大崎はそれを宥めるように間に入った。
「まぁまぁ夏江ちゃん、もうちょっと冷静に考えようよ。そりゃたしかに、冬美ちゃんがああなって一番得するのは亜矢子だろうさ。でも、考えてもみなよ。亜矢子はどうやって冬美ちゃんを殺せる? 僕らずっと一緒にいたろう? 冬美ちゃんが踊り場から飛び降りたときに踊り場の上で亜矢子が立ち尽くしてたっていうなら疑うのも分かるけれど、あの時なにか不審なものを見つけてみんなで外へ出ていたじゃないか。五人でいるときに、冬美ちゃんが落ちる音が聞こえたんだ。亜矢子に冬美ちゃんを殺せるはずがない。もちろん、僕にもね」
 そう理路整然と説く大崎に「それはたしかにそうだけど……」と、夏江は口ごもる。 春香も、場を落ち着かせるように、
「とりあえず、警察にも知らせたんでしょう? 今ここでいろいろ言ったって仕方ないわ。とにかく、警察に任せましょうよ」
 そのときだった。
 呼び鈴の音がした――警察だった。

 やってきた警察官は、テレビなどで見慣れているほど多数ではなかった。おそらく、事故か殺人か、あるいは自殺か決めかねているせいであろう。
 遺族たちはやはり、母屋に集まった。だが、じっと膝を突き合わせたままというわけでもなく、あるいは警察に呼ばれ事情を説明したり、あるいは何やらこそこそと相談しあったりと不穏に動き回っていた。
 春香と夏江もまた、二人きりで奥の部屋に引っ込んでいた。夏江の方が、誘ったのだ。
 春香は茫然自失な風でハンカチを手に時折目頭を押さえる。もしかすれば、元来温厚な質な彼女が、姉妹の中では一番事件にショックを受けているのかもしれない。
 だが、夏江はそんな様子に頓着する様子も見せず、
「ちょっと春姉ちゃん! めそめそ泣いてたって仕方ないわよ」
 その言葉に春香は顔を上げ、「めそめそってそんな……」
 しょうのないというように夏江は首を振りながら、
「とにかく、泣いてたって仕方ないでしょ――財産のこと、考えなさいよ」
 そう急かすように言うと、ふっと我に返ったように春香はあっさり、「そうね」とうなずいた。
「それにしても、冬ちゃんが死んじゃって、いったい財産はどうなるのかしら……」
「さぁ……詳しいことは田代さんに聞いてみないと分からないけど、とにかく言えるのは、事は亜矢子さんに有利に働いたってことよ」
「亜矢子さん――ね」
 と、春香は苦々しい顔で相槌を打つ。それに夏江も調子を合わせるように、
「そりゃたしかに遺産は子供たちで分配されるべきものでしょうけど、でもだからって亜矢子さんが独占すべきものじゃないわ。第一、お爺様が一番かわいがっていたのは私たち姉妹よ? 亜矢子さんなんて何も親孝行してないじゃない。それに気に食わないのは、亜矢子さんだけならともかく、婚約者であるあの大崎って男が遺産を手に入れちゃうってことよ。そんなの許せないわ。どうせあの男は財産目当てで亜矢子さんと付き合ってるに決まってるんだから。でなきゃ亜矢子さんなんて――」
 そこまで言って、言いすぎたと思ったのか夏江は口をつぐむ。だが春香は構わず後を継いだ。
「亜矢子さんなんて、あんなおばさん、魅力ないものね」
 それは無表情ゆえにかえって凄みを増していた。それにやや戸惑ったように夏江は、
「とにかく――亜矢子さんに全財産を取られちゃうようなことは絶対にしたくないの。それは春姉ちゃんも同じでしょう?」
「ええ、そうね」
「だから、私たちで共同戦線を張りましょうよ。しっかり協力して、お爺様の遺産を守らなきゃ」
「秋ちゃんは、いいの?」
 それに夏江は首を振りながら、
「いいわよ、別に。まだ子供だし、遺産に執着していないみたいだし――そもそも、何を考えているかあんまり分からないんだもの。だから、春姉ちゃんだけが頼りなのよ」
 その言葉に春香も、軽く首肯した。
「ええ、分かったわ。私も協力する。――それにしても、何か具体的な方策はあるわけ?」
 春香の問いかけに夏江はにやりと笑う。
「こないだね、テレビで見たの。――遺産相続者が、遺産を手にできなくなる条件」
「条件?」
「そう。まぁ、言われてみれば当たり前な話なんだけどね。――被相続人が、自分の取り分を増やすために殺人を犯した場合」
「殺人を犯したって……やっぱり亜矢子さんたちが冬美を殺したって言いたいわけ? だって、大崎さんも言ってたように状況的には……」
 そう言いかける春香の言葉を打ち消すように夏江は、
「分かってるわよ、無理だってことくらい。たしかにね、私たちが一緒にいたんだから、アリバイってやつが成立するでしょうよ。でも、あの子はダウン症だったのよ? そしてそれは大崎も知っていたみたいだしね。だから、あの子があんな行動を起こすように脅したりとかしたかもしれないじゃない」
「でもそれじゃ、殺人を犯したわけじゃないでしょ?」
「そんなの一緒よ。どっちにしたって罪を犯してるんだから、そんなことをしたってばれたら遺産を相続なんて絶対に出来ないわ。――でも、このままじゃ単純な事故で済まされちゃうかもしれない。それだけはなんとしても防がないと」
 そう言って思い悩むように難しい顔をする夏江に対し春香は、
「防ぐとか、そんな生易しいことでいい訳? このさいだから、でっちあげるくらいのつもりでいかなきゃ」
 その言葉に夏江は上目遣いで、
「ふん、春姉ちゃんも悪い人だね」
「あら、心外ね。別に悪くもなんともないわ。亜矢子さんや大崎さんがお爺様の遺産を手にすることが『悪』なのよ。それを防ぐんだから、たとえどんな手を使ってもそれは『正義』よ」
 それに夏江は呆れたというように肩をすくめながら、
「まぁ、それも一つの考え方よね。でも、そんなことはどうでもいいんだけどさ。実際にどうするかよ」
「田代弁護士に相談してみようかしら?」
「ダメダメ、あんな堅物。そりゃ手なずけておくに越した事はないでしょうけど、誰かだけに肩入れするようなことなんてなさそうじゃない。下手にそんな話をするほうがやぶへびよ」
「でも、二人だけじゃ厳しいでしょ?」
「分かってるって。――実は、ちょっとしたあてがあるの。知り合いの、そのまた友達みたいなのなんだけど、何でも探偵チックなことが得意だとか、好きだとかいう人がいるのよ。どれくらい当てになるかは分からないけど、ちょっとそれに頼んでみるわ」
「うん、じゃあそれは任せるね」
 そう言って春香は軽く髪をかきあげた。
「それにしても、夏ちゃん」
「何?」
「さっきみたいな軽率な言動は控えなさいよ。あんなこと言って周りから変な目で見られることのほうがよほど損だわ――もしかしてそれが、真実だったとしてもね」
「うん、分かったよ、春姉ちゃん。気をつける」
 そう言って姉妹は、互いに微笑みあった――。


 ――今時の日本は便利だな、と思う。そしてそれは、とある誰かにとってはひどく不幸なこと。と言ってもただ「不幸」が訪れるのがわずかに延びる、というだけの不幸でしかない。
 ああ、別段そのような事はどうでもよいのだ。何も考えずとも良い。ただ、昨日は山茶花の花が咲き今日は別の花が咲くというだけ。
 今の日本は本当に便利だ。山茶花の花が咲き誇る季節であろうと、別の花を手にすることができる。もちろん、造花という偽りの花ではあるけれど。
 「とある人物」の手にある造花――それは、陽に向かってすくっと立つ黄色く大きな花。
 夏に咲くべき、「夏」の上に咲くべき――ひまわり。




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