CMWC Relay Novel vol.2
(2004/02/07~2004/06/30)



***************** Index *****************
the first half
WRITERS
 

第一話 富山 敬
第二話 久遠絵理
第三話 雨沢流那
第四話 永山
第五話 已岬佳泰
第六話 風月



第七話 真弓
第八話 現川竜北
第九話 水乃 蒼
第十話 橘 音夢
第十一話(最終話) 九竜一三
the latter half
WRITERS
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第一話 富山 敬

 薄らと眼を開くと、当然の事ながら視界に入ってきたのは、年代を感じさせる寝室の天井だった。その天井からぶら下がっている古めかしい蛍光灯に明かりが灯っていないお陰で室内は薄暗かった。
 身体に被さっている布団を跳ね除ける力もなく、信濃重蔵はゆっくりと頭を横に向けた。視界が九十度右に傾く。
 屋敷の奥にあるこの寝室からでは、外の様子は解らない。今が朝なのか、それとも昼なのか夜なのか、それすらも解らなかった。
 時間の感覚を無くして久しい重蔵だったが、それでも現在の時間を知る気にはなれず、部屋の南側の壁に掛けられた掛け時計を見上げることなく、再び目を閉じた。
 目を開けてから目を閉じるまでに動かしたのは頭だけだったが、それでも相当な負担がかかり、既に身体は疲労に満ちていた。
 皺だらけの目許に何故だか解らないが涙が溢れ、真暗な瞼の裏に、幾人もの人間の姿が浮かび上がった。
 春香。夏江。秋季。冬美。自らが名づけた、四人の美しい孫の姿が浮かんでは消えた。
 次に浮かんできたのは、八年前に事故で他界した妻の多恵。この信濃家に相応しい器量と才覚の持ち主は、結婚してから彼女が亡くなるまでの五十三年間、常に自分を支えてくれた。
 彼女が産んだ三人の子供――康志と志貴と亜矢子。そして次男である志貴の妻、旧姓・滝川美希の姿も多恵の次に現れ、そして信濃家に長年と勤めてくれた幾人かの使用人たちの姿が消えると、太平洋戦争で南雲艦隊に同じく配属され、そして散っていった幾人もの戦友の姿が現れて消えた。自分がミッドウェイで――そしてその後に続く海戦で生き残れたのは奇跡に近かった。
 死の直前には今までの出来事が走馬燈のように浮かび上がってくると言うが、これがそうなのかもしれない。
 重蔵は薄れゆく意識の中でそんな事を思いつつ、彼の意識は闇よりも暗く、決して目覚める事のない深淵の中へと落ちていった……。


 まだ午後二時前だというのに、信濃家の居間は薄暗かった。陽光が射し込まない場所に居間があるからと言う理由もあるが、それ以上に、居間に篭もるこの何とも言いようのない陰鬱な雰囲気が部屋の暗さを助長し、強調しているのは気のせいではないだろう。
 田沼誠三は和室の居間に座る幾人もの人の顔を順番にゆっくりと見回した。部屋の中にいる全ての者の視線は今、自分に集中していた。
 信濃志貴は落ち着かない様子できょろきょろと視線を宙に彷徨わせていたかと思うと、いつのまにかにこちらを射るようにみている。その瞳は多分の好奇心のような光を帯びていた。
「なぁ、田沼先生、まだですか?」
 しきりに腕時計の文字盤と田沼の顔を交互に見ていた信濃康志が、怒鳴りがちの声でそう訊いてきた。
 時刻は一時五十七分。二時まではあと三分間必要だった。
 田沼が首を横に振ると、康志は有名ブランド製の時計の文字盤をこちらに向けた。
「私の時計はもう二時を回ってますよ。先生の時計が遅れてるだけじゃないのか?」
 確かに彼の言う通り、その銀色の高級時計は二時一分を刻んでいたが、しかし再度、田沼は首を左右に振った。
「私の時計は、今朝、テレビで合わせてきました。狂っていたとしても四分も狂う筈はありません」
 きっぱりと言い切る田沼の言葉に、康志は舌打ちとともに腕時計を引っ込めた。
 そんな康志に非難めいた視線を送っているのは、志貴の妻、美希だった。もう四十を超えていると言うのに、年齢を感じさせない肌の持ち主である彼女は、娘たちと同様に美しく、そして清楚な和服に包まれたその肢体は妖艶そのものである。
 陶器のように白い顔と、唇に塗られた映えるような紅い口紅が、絶妙なコントラストだった。そんな彼女の瞳は妖しい色を帯びており、田沼はそれを直視する事ができない。
 田沼の斜交いの位置に並んで座っている彼女の四人の娘もやはり美しかったが、母親のように成熟しておらず、色気という面では到底及ばない。
 強いて言うならば次女の夏江が最も母親のそういう面を受け継いでいたが、それでもまだまだ及ばないのは明白だった。とはいっても、それでも充分な色気を有しているというのも事実ではあるし、おそらく十年後には母親とそっくりな女性になるに違いないと思われる。
 時計を見る。五十八分。あと二分だ。
「あの、先生」恐る恐るといったふうに、昨日十八歳になったばかりの四女の冬美が口を開いた。「私もこの関の同席にないといけないの?」
 田沼は彼女の方に視線を動かしてから、ゆっくりと頷いた。「ええ、それが故人となった信濃重蔵氏の希望であり、要望なのです、冬美さん」
「そう……ですか」
 そう言ってから、冬美は口と目を閉じた。
「あの、お茶です、どうぞ」
 その声に驚いて振り返ると、そこにはお盆を手に持った使用人の姿があった。お盆には人数分の緑茶が注がれた湯呑茶碗が載せられており、湯気が立ち昇っている。
 湯呑を居間の中央にある背の低い漆塗りのテーブルに全て置き終えると、お盆を抱きかかえながら大きく一礼して彼女は姿を消した。
 残り一分。正確を求めるならば四十八秒。
「あの、先生」口を開いたのは、信濃亜矢子だった。年齢は美希よりも四つほど若かった筈だが、しかし実際には亜矢子の方が五歳は老けて見える。目許の深い皺がそう思わせる一つの要因だった。
「やはり、秀明さんをここに呼んではいけないんでしょうか?」
「はい。この場で重蔵氏の遺言状の内容を拝聴する資格があるのは、信濃家の面々だけです。たとえ大崎秀明氏が貴女の婚約者であるにしろ、まだ信濃家の一員に名を連ねた訳ではないのですよ」
「……そんな事より、先生。もう二時を過ぎていますわよ」
 信濃春香の言葉どおり、既に二時を三十秒ほど過ぎていた。
 居住まいを正し軽く咳払いすると、田沼はもう一度、一同の顔を見回した。誰もが早く信濃重蔵が遺した遺言状の中身を知りたいという表情を浮かべる中、ただ一人能面のように無表情なのは、信濃秋季だった。四姉妹の中では一番大人びてはいるが、その分感情を表に出さない彼女が、遺言状の内容にどれほどの興味を持っているかは残念ながら窺い知る事は出来ない。
「それでは時間になりましたので、故・重蔵氏の遺言状を開封したいと思います」
 鞄の中から、『遺言状』と毛筆で書かれた白い封筒を取り出し、封を切った。重蔵の遺言の内容を予め知っていた田沼であるが、その手先は緊張によって震えている。紙の音が異様に大きく聴こえるのも、緊張の度合いを表していた。
「それでは読み上げます」ここで再度咳払いしてから、田沼は続けた。「信濃家の所有する動産の〇.一パーセントずつを使用人と、そして田沼弁護士に分け与え、残りの動産不動産は全て信濃冬美が相続するものとする」
 一座はざわめき、全員の視線は当然の事ながら冬美に集中した。彼女はその視線に耐え切れないらしく、俯いてしまった。
 ざわめきは一層大きくなる。
「ちょ、ちょっと待てよ!!」大声で怒鳴り声を上げるなり、膝を乗り出したのは言うまでもなく、我を取り戻した信濃康志だった。「なんで長男の私が一円も相続できなくて、志貴の娘が全額相続できるって言うんだ!!」
「全額ではありません。たとえどのような遺言が遺されていたとしても、遺留分の相続は法によって保障されています」
「そんな事は関係ない!! 私は信濃グループの会長なんて地位には興味はない。ただ遊んで暮らせるだけの金が貰えればそれで良いんだ。でも、遺産の相続人に選ばれないというのはどうかしている。私は絶対にこの遺言状を認めないぞ。なあ、亜矢子もそうだろう?」
「そうね」亜矢子は頷いた。「冬美ちゃんが全額を相続するって言うのは確かにおかしいわ。変よ。もしかして田沼さん、その遺書、偽物じゃないの?」
「まさか」
 田沼は大きく首を左右に振った。確かに彼らの主張も解らなくもない。しかし――たとえ遺留分しか相続できないにしても、それでも相当な額になるのは間違いのない事だった。それを告げたが、康志は鼻を鳴らして聞く耳を持とうとはしなかった。
「ふん。遺留分の額なんかたかが知れている!! それで満足できるのは貧乏人だけだろうさ」
 彼の言う貧乏人がどれぐらいの生活水準なのかは知らないが、僅かに与えられるお金だけでも多額だと思ってしまう自分は、おそらく彼にとっては貧乏人の一人なのだろう。
「私もお爺様の遺言には納得できないわ。全員が相続できないって言うのなら納得できるけど、どうして冬美だけが相続できるって言うの? そうよね、夏江、秋季。貴女たちも不満よね?」
 春香の言葉に頷いたのは、しかし夏江だけだった。秋季はあまり関心がないらしく、「私はどっちでも良いわ、お姉さま」と呟いただけだった。彼女の本心を読み取る事は、田沼にはやはり出来なかった。
 しかし春香と夏江の気持ちを理解するのは、田沼にとって容易な事だった。
 春香、夏江、秋季たち三人と、冬美は実の姉妹ではなかった。三人は志貴と美希の間に生まれた娘だが、冬美だけは違った。彼女は故・重蔵氏の弟の妻――つまり歳の離れた義理の妹が産んだ子供であり、言うなれば従姉妹同士だった。しかし彼女の母親が娘の出産とともに他界し、父親もその三年後に他界するに及んで、彼女を養女にしろと志貴に命じたのが重蔵だった。
 実の娘と義理の娘。彼女たちが不和なのも無理のないことかもしれない。
 ふと田沼は信濃美希に視線を移した。遺産相続人の親になるの事が彼女にどのような影響を与えるかと思ったのだが、しかし彼女の表情にこれといった変化は見られない。
 大きく息を吸い込んで、田沼は口を開いた。「皆様方。氏の遺言はこれだけではありませんし、まだ彼女が――冬美さんが遺産を相続すると決まったわけではないのです」
「――どういうこと、ですか?」
 妖艶な微笑みを浮かべながら、美希が紅い唇から言葉を発した。その妖艶な声に田沼はどきりとした。
「つまり、遺言状には続きがあるのです」
 事実だった。確かに遺言状には信濃冬美に財産を譲ると言う旨が記されていたが、ある条件を満たせば、相続人が冬美から他の人物に変わってしまうのである。
 その条件とは……。
「以下の条件が満たされれば、相続人を変更する事にする。
 一。長男、康志が結婚すれば、財産は康志とその細君が四割ずつ相続し、残りの二割をその他の信濃家一門のものに均等に振り分ける。
 二。冬美の三人の姉――春香、夏江、秋季の全員が結婚すれば、それぞれが三割ずつ相続し、残りをやはり信濃家の一門で分割する。
 三。冬美が遺産の相続を放棄した場合は、財産の七割を亜矢子に与え、残りを一門で分割する。
 遺言の執行は、遺言状の公開六十日後とする。それを過ぎた後はいかなる条件を満たしても、相続の権利を得る事は出来ない。
 尚、幾つかの条件が同時に満たされた場合は、全額を福祉団体に寄付し、それを田沼弁護士に一任することとし、いかなる結果になろうとも、使用人たちへの分配は取り消される事はない。
 ……これで、以上です」
 言い終えると、田沼は目の前のテーブルの上に、遺言が書かれた白い便箋をそっと置いた。真先に手を伸ばしてそれを奪うように読み始めた康志は、怒りと憤慨に赤くしていた顔を笑顔に変えていた。
「要するに、私が誰かと結婚すればいいわけだな。六十日以内に」
「無茶苦茶よ。まったく」亜矢子が顔を真赤にして怒鳴った。「これじゃあ、私が遺産を相続できるわけないじゃない!! この娘が放棄なんてするわけないわ」
 皆がそれぞれ勝手にざわめきあっている。
 その彼らを無視するように、田沼はテーブルの上の便箋を封筒に入れ、それを鞄に仕舞い、ゆっくりと立ち上がった。
「それでは皆様。私はこれで失礼させていただきます。遺言の執行は、記されていたように六十日後とさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
 殆どのものが自分の事に気をとられる事なくざわめきあう中、田沼はそう告げて礼儀上仕方なしと言った感じで頭を下げた。
 こうして一族に多大な影響を及ぼしていった信濃重蔵の遺言状に端を発し、信濃家の面々は恐ろしい《連続見立て殺人事件》に巻き込まれる事になった。
 最初の被害者の死体が発見されたのは、この日から僅か七日後の事であった……。








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