CMWC Relay Novel vol.2
(2004/02/07~2004/06/30)



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第六話 風月

 春香は洋館の自室に駆け戻ると、鍵をかけてベッドに突っ伏した。
 やがて警察が遣って来て今度こそ大々的な捜査を始めるだろうが、今や誰も信じることは出来ない。
大崎はまだ殺されたのかどうか分からないと言っていたが、冬美,夏江と相次いで死ぬ事になったのは全て重蔵の遺言が公開されてからである。 
春香は一番仲の良かった夏江が死んだ今になって、自分には相談する相手もいない心細さに目眩がしそうだった。夏江が頼んだと言っていた探偵の連絡先ぐらい聞いておけばよかったと悔やんでもいた。
「次に死ぬのは誰……秋ちゃん? それとも私?」 
 そう呟いた春香はふと、さっき見た夏江の死体の側に彼女の携帯電話がなかったのに気が付いた。慌てて机の上に投げ出しておいた携帯電話を取って、胸の鼓動を押さえつつゆっくりと夏江の短縮番号を押してみた。
思った通り、電源が入っていませんという機械的な声が返ってくるだけで、不穏な空気の濃度を一層深めただけだった。
 外で小競り合う声がしているのに気が付いた春香は、窓の側に近寄りレースのカーテンをそっと開けて外を覗いた。風花がちらちらと舞う薄暮れの中、どうやら取り乱して泣き叫ぶ美希が亜矢子に噛み付いているのを志貴と大崎が止めているところのようだった。何を言っているかまでは春香の元には聞こえてこない。元々、美希と亜矢子の間では、お互いのライバル意識も手伝ってか諍いが絶えなかった。それを目にするのが嫌で、春香ら四姉妹が洋館に移り住んだといういきさつもある。
 春香は相変わらずだと思いながら眉間に皺を寄せた。視界の端に、両手をY字型に広げ赤と白、そして黄色のコントラストの中に投げ出された夏江の死体を捕らえて、息を詰まらせて直ぐに厚手のカーテンを閉めた。暗闇の中で、脳裏を真っ赤な山茶花と黄色い向日葵が巡っていた。
 そういえば冬美の死んだときに、外に見えた白い物は一体何だったのだろう、まるで空から舞い降りてきたかのように見えたのだが……と思い起こしたそのとき、春香は思わずきゃっと声をあげた。目の前の机に置かれていた携帯電話がいきなり着信音を発して、陽気で場違いなビバルディの『春』が暗闇で鳴りだしたのだ。直ぐにスタンドの明かりをつけて携帯電話を取り上げた春香は、液晶板を覗き込んで、今度は血の気が引くほどぞっとした。なんとそこには夏江の名前があったのだ。
 震える指先を堪えて受信のスイッチを押し、耳元に押し当てて「もしもし……」とかすれながらも応答すると、一瞬息を殺している人の気配がして電話はぷつりと切れた。
 心臓が高鳴り、背中を百足が這い上がるような恐怖に身震いしながら、春香は、間違いなく冬美と夏江は誰かに殺された事を確信したのだった。

「そんなこと言ってもしかたないじゃないか」
 と、康志は重いため息を吐き出した。
「今この事を公にするには時期がまずいよ。私と君の結婚が誰にも邪魔されず、その上信濃グループの財産を全てふたりのものにするためには、ここで焦ったりしたら失敗するのは目に見えている」
「でも夏姉さんや冬ちゃんは、誰かに殺されたに違いないのよ。こうなると次は私の番に決まってるじゃない。このまま殺されるのをじっと待ってるなんて私は嫌よ!」
「秋ちゃん! 親子ほど年が離れているとはいえ、私がどれほど君のことを大切にしているか知っているだろ? 親父が残したこの巨額の富さえ手に入れば、こんな陰気臭い家を飛び出して、どこか君の好きな国で一生贅沢して暮らせるんだ。全てはそのためなんだよ」
「おかあさん達は、私が事実を知ってしまったことをまだ気付いてないわ。私には、お爺様の遺言は私達四姉妹の出生の秘密を守るために書かれたものに思えてならないの。きっと誰かが、この呪われた血を清算しようとして冬ちゃんや夏姉さんを殺したんだわ、きっとそうよ。ぐずぐずなんてしていられないわ」
 康志と秋季は、階段の上り口で声を潜めながら話し込んでいた。
階段脇の広間では、冬美の棺桶となったグランドピアノはすっかり片付けられて、じゅうたんに残った脚の跡だけが惨状を静かに物語っていた。冬美と一緒に砕けたシャンデリアの照明を無くした広間は、重蔵が金に任せて集めた美術品を照らし出すスポットライトの明かりだけが灯され、影を余計に深く縁取って薄気味悪さを存分に演出していた。
「そんな馬鹿なことがあるはずないじゃないか、私達がこの事実を知ったのはたまたま親父の……」
 と、康志が言いかけたときに、ふいに後ろで人の気配を感じてふたりは同時に振り返った。
そこに立っていたのは母屋の使用人、斎藤信代だった。信代は多恵が生前の頃から家政婦として信濃家に仕えており、使用人としては一番古い。重蔵が病床であったときも、家族の代わりに信代がずっと看病をしていたのであった。
「信代さん、な、何?」
 と秋季が不快感を露骨に声に表した。秋季達若い世代にとっては、無口で真面目一筋で仕える信代のような性格は、とっつきにくいと同時に胡散臭さも感じてしまうのだった。それに誰にも知られていない筈の康志との関係も、信代にはうすうす気付かれている気がしてならないのも、秋季の信代に対する態度を頑なにさせていた。
「警察の方がお見えになりました。皆さん、母屋の居間にお集まり下さいとの事です……」
「分かった。春香ちゃんもあれから部屋に閉じ篭ったまんまだろ。私が声をかけて秋ちゃんと一緒に連れて行くから、みんなにそう言っておいて」
 康志は秋季に目配せをした後、何事もなかった風を装って二階を見上げた。
 信代は狡猾そうな目をして康志と秋季の顔を見比べた後、「かしこまりました」とだけ言って背を向け玄関ホールを後にした。
 去っていく信代を見た秋季は、信代の襟足の髪がほつれているのを見ておやっと思った。
 信代の身なりは性格と一緒で、高価な物はアクセサリーの類から一切身に纏わず、制服のように地味な服装と昔から変わらないお団子型に引き詰めた髪型はいつ見てもきっちりしていた。それが今日に限って、後れ毛がやけに目立って気に掛かる。信代にしては珍しいので、秋季の心をよからぬ疑念が過ぎり、直ぐにまさかと自分で打ち消さねばならなかった。
 
 康志が怯えきっている春香をなんとか宥めすかしながら、秋季と三人で洋館から母屋に向かおうと外に出ると、屋敷脇の空地ではさっそく警察の捜査員による現場検証が始まっていた。パトカーのネオンサインが躍起になって異常を告げるように闇夜で踊っていた。
 三人が居間の扉を開けたのは、信代が呼びに来てから三十分程経った後だった。既に亜矢子と大崎、そしてすっかり気力を失った美希は志貴にもたれるようにソファーに座っていた。
 そして見慣れない背広姿の男がひとり、こちらに背を向け本棚と向かい合いながら立って、携帯電話にしきりと相槌を打っていた。
くたびれた背広から察するに、おそらく刑事だろう。背広の裾に皺が寄ってクタクタだ。整髪剤で撫で付けられた薄い髪の毛も、男の年齢を老けさせている。声の質からは、案外自分よりも若いかもしれないと康志は思った。
康志はその男の背中を一瞥すると同時に、安月給で犬のようにこき使われている男の人生を哀れんだ。
 康志が春香と秋季を促してそれぞれ腰を落ち着けるのを待っていましたとばかり、亜矢子が苛々した口調で
「康志兄さん、田沼先生にはちゃんと連絡しているんでしょう?」
 と尋ねてきた。
「ああ、もちろん一番に電話を入れているさ」
 と康志が憮然として答えると、大崎が下唇を舐めながら
「これじゃまるで映画『信濃家の一族』だなぁ」
 と薄笑いを浮かべたが、直ぐに亜矢子が肘で窘めた。
 そうこうしているうちに玄関の方から田沼の声が聞こえてきて、それが合図だったように、「じゃ、そういう事でお願いします」と男が電話を切って一同に向き直った。
「いやいや、失礼しました。丁度今、冬美さんの解剖が終わってその第一報が入ったものですから……」
「刑事さん、何か分かったんですか?」
 すがるように問い掛ける志貴をやんわりといなすように
「皆さんおそろいになってからお話致しましょう。こちらの方には自己紹介もまだですし」
 と言ってこめかみ辺りを掻いた。秋季はそこから少量のフケが落ちるのを目に留めて、張り詰めていた緊張を削がれた気分になり、思わず大きなため息を吐いた。
 居間の扉が勢いよく開けられ「遅くなりました」と、田沼が外の空気を連れて入ってきた。一同は視線を田沼に向けたが、直ぐに田沼の後ろに立っている見慣れない男に気を引かれた。
「田沼先生、後ろの青年は誰?」と亜矢子が目をきらりとさせて言った。
「この青年は、夏江さんのブティックで雇われていて、生前彼女に冬美さんの件を調べるように頼まれていたそうです。康志さんから連絡を貰ったときに丁度私の事務所に来ていて、帰るところを慌てて捕まえてこちらにご案内したわけです。名前は……」
「始めまして、佐久間公一って言います」
 高価な調度品と身なりのきちんとした信濃家の人々に囲まれて、色あせたセーターにジーンズ姿の公一はかなり浮いた存在となった。だが、春香の訴いかけるような視線に気が付いた公一は、少々戸惑いながらも口唇だけで作った笑みを春香に送り返した。
「えーでは、これで皆さんお揃いのようですから、さっそく始めさせて頂きます。私はQ県警捜査一課の縦溝と申します。この事件の指揮を取る事になりましたのでよろしくお願い致します」
「で、冬ちゃんと夏ちゃんはやっぱり同じ人に殺されたの?」
 と感情を顕わにして、春香が声を張り上げた。
「今の段階ではまだ何も申し上げられません。夏江さんのご遺体は、現場の状況から明らかに他殺と判断されていますので、これから司法解剖に回されます。冬美さんの場合は、今までのところ自殺、もしくは事故という線で捜査をしていますので、行政解剖が行われました。それで、その結果なのですが、死因は転落による脳挫傷と頚椎破損が主な原因です。しかし……」
「しかしなんです、刑事さん?」と大崎が話の先を渋る縦溝を急かすように合いの手を入れた。それに意を決したように縦溝が一気にしゃべった言葉は、その場に居合わせたひとりひとりに大きな衝撃を与える結果となった。
「実は、大変申し上げにくい事なのですが、冬美さんは妊娠しておりました。検死の結果だと、お腹の胎児は三ヶ月だったとのことです」