CMWC Relay Novel vol.2
(2004/02/07~2004/06/30)



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第八話 現川竜北

「辛うじて焼け残った部分から推定してもまだ若い女性ということしかわかりませんね」
 死体が発見された焼却炉全員を家の中へ集め、縦溝が言う。
「それはつまり、信代さんか秋季かまだわからないってこと? ねぇ、どうなの? 二人は殺されたの? 誰に?」
 完全に錯乱した様子で春香がわめいた。
「落ち着いてください春香さん。あなたは昨日秋季さんと一緒にお休みになったそうですが、何か変わったことなどありませんでしたか? 気になることを言っていたとか様子が変だったとか」
 一語一語を縦溝はゆっくりと言った。
「わかんない……。私は何も知らない……」
 春香はぐったりとソファに座り込んだ。
「あの、DNA鑑定とかって出来ないの?」
 亜矢子が言った。
「ああ、一般の方はそう考える方が多いようですが、DNA鑑定というものは時間もお金もかかるものなんですよ」
「そうなの……」
 と亜矢子が落胆したような声を出すと、縦溝はあわてたように付け加えた。
「いえ、それでも警察では見当をつけています。骨格や体型、身につけていたアクセサリーなどからしておそらく秋季さんの可能性が高いのでは……と。お父さんの志貴さんにも確かめてもらいましたので。そのうちしかるべき施設に送ってDNA鑑定もする予定です。今すぐというわけにはいきませんが……。ただ断定するのは危険です」
 話に出てきた志貴が顔をしかめた。あの時の人の肉が焼ける匂いと真っ黒な体の間にのぞく赤黒いじくじくとしたものを思い出したのだろう。
「そういえば、あそこにあった秋桜はどうなんでしょうか? 警察としては何かお考えが?」
 と言ったのは佐久間だった。
「確か最初の冬美さんは山茶花、夏江さんは向日葵だった。そして秋季さんの秋桜。果たしてどんな意味があるんでしょうか?」
 確か彼は夏江に頼まれて調査している男だったはずだ……と縦溝は記憶を掘り起こしながら答えた。
「目下調査中です」
「つまり何もわかっていないということですか」
 佐久間はずけずけと言ってのけた。それに縦溝は少しむっとしたが、そんなことは微塵も感じさせず事務的に言った。
「簡単に捜査内容は公開できませんので」
「僕としてはそこが一番気になるんですけどねぇ。一応冬美さんのサザンカは冬、夏江さんのヒマワリは夏、秋季さんのコスモスは秋という解釈はつけられるんですが、それが一体どういう意味なのか……」
 一人思案にふける佐久間を残し、縦溝は続けた。
「さて、ここで重蔵さんの遺産の件なんですが……。最初の条件の二はそれぞれがお亡くなりになったので成立しないことが明らかですね。残る一と三。つまり康志さんが結婚されるか、冬美さんが相続放棄するかということです。しかし田沼さんによりますと、冬美さんの代理人と名乗る方が相続放棄の手続きを進めているそうです」
 そう言って縦溝は言葉を切った。すると今まで黙っていた志貴が突然喋り出した。
「ちょっと待ってくださいよ。そんなことは一言も聞かされてませんよ。だいたいそんな代理人なんて信用できるんですか? だって冬美は……」
「あなた」
 静かに威圧的に志貴の妻、美希がたしなめた。何か言ってはいけないことがあるのだろうか、と縦溝は思った。
「まぁそれについては後で田沼さんにお聞きになってください」
 とにかくこれで一番安泰したのは亜矢子ではないだろうか。冬美が相続放棄すれば亜矢子が遺産の多くを相続することになるのだ。
「そこでもう一度お聞きしますが春香さん。何か覚えていらっしゃいませんか?」
 放心したように春香は座ったままで、縦溝はひとまず聞くのを諦めた。が、ぽつりと春香は言った。
「携帯……」
「えっ? 何とおっしゃりましたか?」
「携帯、そう携帯だわ。秋季の携帯が夜に鳴ったのを覚えてるの」
 予想外の反応に縦溝は驚いたが、急いで部下に確認をとらせた。
「携帯電話ですか……。私の記憶が正しければ遺体の近くにはありませんでしたね」
 春香はこれ以上話す素振りを見せないので、縦溝は仕方なく信代の行方について知っていることはないか一同に聞いたが、収穫はゼロだった。


 黒い影は息を殺していた。そんな必要もないのだが、なぜか音を立ててはならないという強迫観念に襲われる。秋季の携帯電話が今、手元にある。秋季の携帯電話の話が出た時はどきりとしたが、そう簡単に見つかるはずもなかった。これからのことについて考えていると、携帯電話からパガニーニの「ラ・カンパネラ」が静かに流れ出た。予想していたことだったので、べつだん驚きもせず、黒い影は音色を聞きつつそのまま放置した。画面にはかけてきた名前があり、その下には電話番号が表示されている。一分ほど経って、音楽が佳境に入っても切れる気配がなかったので、黒い影は携帯電話の電源を切った。そして金槌を持つと、携帯電話を跡形もなく叩き潰してしまった。


 春香は電話を切ると、物憂げな様子でベッドに横になった。次に殺されるのは自分だという恐怖は否応にも高まる。一応自分の部屋の周りを警察が警備しているが、いつ殺されるかわかったものではない。聞こえない足音が迫ってくるような感覚に、春香は震えていた。

 康志は電話を切ると、思わず爪を噛んだ。相続放棄などという入れ知恵を冬美にしたのは誰なのだろうか。弁護士の田沼か? それとも代理人とかいうやつが冬美に? このままでは遺産が自分のものではなくなってしまう。康志は言い様のない不安と焦りを感じていた。

 太陽が沈み、周囲が黒色にすっかり染まってしまった中、信代は逃げていた。恐ろしい存在から必死で逃げていた。最後の頼みの携帯電話は「圏外」という二文字によって無情にも使えなかった。
 確実に追っ手は迫っていた。走る。息が切れる。声を出そうにも、屋敷からは離れていて届きそうにない。そもそも自分が馬鹿だったのだ……。あいつが……。
 ――このままじゃ殺される
 信代はただひたすら、がむしゃらに走った。途中で何かを落としたような感覚があったが、そんなことを気にしている暇はなかった。もう振り切れただろうかと、ちらりと後ろを見るが、誰もいない。ほっとして立ち止まった時、信代は頭に大きな衝撃を感じた。殴られたと認識する前に、信代の意識はかき消された。
 それは焼却炉から死体が発見される数時間前の出来事だった。

 黒い影は闇を背景に立っていた。どくどくと心臓が鳴る。がくがくと膝が鳴る。ひゅうひゅうと息を吐く。一仕事終えた後はどっと徒労感が体を襲う。既に周りは真っ暗である。全く予想外の展開だった。まさかあんな事になるなんて、想像すらしていなかったのだ。黒い影は残りの作業を片づけるため、懐中電灯をつけた。右手にはカーネーションの花が握られていた。