4月


【音楽/書籍】佐村河内守「交響曲第一番"HIROSHIMA"」
 
手帳で確認すると、佐村河内守「交響曲第一番」のCDを購入したのはほぼ新発売と同時の2011年の7月、同名の講談社の本を購入したのはその年の11月…しかしCDはiPodに入れっぱなし、本は棚に置きっぱなしで、話題になっていたから手を出したもののなんか取っ付きにくいと敬遠していたのでありました。一応購入時に聴いたことは聴いたものの、マーラー的な響きに共感しつつも今ひとつその時はのめり込めなかったのでした。再び繰り返し聴くようになったのは今年3月のNHKの特集番組を観てからのこと。
 ある意味恥ずかしい限りですが、私の場合、多分に音楽的素養がないせいか、最初の1回聴いていっぺんに気に入ってしまう場合と、繰り返し聴くうちにはまってしまう場合のふた通りがあるようです。最初に聴いた時から「これは!」と思ってしまった曲は、たとえばマーラーの第9番や、ブラームスの第1番、新しい曲ではグレツキの第3番「悲歌のシンフォニー」とか、バーンスタインの第2番「不安の時代」とか。一方最初は「絶対良いから」と人から薦められたりレビューで興味を持ったりして、ある意味我慢して聴いているうちにいつの間にか夢中になってしまった曲の代表格が、ブルックナーの第9番。初めて聴いたのは高校生の頃で、比較的遅い出会いなのですが、繰り返し聴くうちに完全にハマり、いつのまにか自分の中での指標、音楽の物差しになっていました。その意味では、最近聴いた日本の作曲家の作品で言うと、吉松隆の作品が前者なら、この佐村河内守の作品は後者にあたるかと。
 80分近い長さの純粋な器楽曲で、クラシックにも関わらずエグザイル他をおさえてオリコン総合1位を獲得。しかも作曲者は被爆2世で全聾頭鳴症で24時間耳鳴りに悩まされているとなると、音楽好きの多くの人が興味をそそられるはず。ただ最初に聴いた印象としては、これはかなりきついのでは、と思うほど「重たい」曲なのでした。マーラーやブルックナーといった、百年前の後期ドイツロマン派を思わせる旋律は、どこかで聴いたなあと感じる反面、もう少し新しい仕掛けが欲しいかなと思ったりしたわけです。
 しかしあらためて繰り返し聴き直してみると、第一楽章から第三楽章まで、共通する主題が変形を繰り返しながら再現され、曲全体は確かに長いものの、それぞれの旋律は断章的で盛り上がったと思ったら遮られる、もどかしさを感じさせながらも充実した内容となっていることが分かります。ある意味、この曲のどこか一部を切り取って取り出しただけでも充分1つの作品として成り立っている、そういう印象を受けるのです。最終章の最後のコーダが最も有名で印象的と言えますが、あまりにも「短く」「名残惜しく」感じられるほど。ある意味この部分を繰り返して伸ばしていたならよりマーラー的、なのかも知れません。それ位「濃密な」曲なのです。
 あまりにも絵に描いたような不幸続きが淡々と語られる自伝を読めば、持病を抱えながら得たものを次々と失い、全てがそぎ落とされていく人生と、この曲の持つ、押しては引いていく旋律のせめぎ合いとが妙に重なります。通常の音楽業界の常識の枠を飛び越えて、遂にこの大作を世に出したということに、1人の人間の絶大な意志の強さを感じて圧倒されます。
 入手できる作品はこの交響曲第一番と、弦楽曲作品集くらいなものですが、第一交響曲が完成したのは10年前。より長大な110分の長さの交響曲第二番は既に完成しているとのことなので、願わくばこの人気の高まりに乗って次の第二交響曲をリリースして欲しいものです。


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