5月

【小説】エドガー・ライス・バローズ「ターザン」
 この間公開されていたディズニー映画「ターザン」を観たけれど、実は原作を読んでいなかったので、「あなたはまだ、本当の物語を知らない」とかパンフに書かれていてもピンとこなかったのでした。原作が書かれたのは1912年、アフリカを一度も訪れたことのなかったバローズが、アニメ映画のような自然礼讃の物語を書いたとも思えなかったし。実のところ、バローズで読んだことがあるのは「地底世界ペルシダー」くらいのもので、その印象は徹底した娯楽主義といったところ。
 さて、原作を読まないわけにはいかないだろうと、映画を観た後そのまま古本屋に入って探したけれど見付かりませんでした。確か中学生の頃は結構本屋の棚に創元文庫の「ターザン」シリーズや「ペルシダー」シリーズが並んでいたような気がしたのですが。しかし最近たまたま本屋で「新訳決定版」として文庫が並んでいるのを発見。そっかディズニーアニメ公開と同時に新訳が出てたのね。なにも古本屋を探すことはなかったのか。
 映画との違いですが、これはもう予想通りというかなんというか、ターザンが育つことになる類人猿達の描かれ方が全然違います。ターザンの実父グレイストーク卿を殺すのはライオンのサボー(映画ではヒョウ)ではなく群のボスのカーチャクだし、ターザンはこのカーチャクを殺して群のボスとなるのだし、映画ではゴリラ達の捕獲を画策する悪役のクレイトンは小説ではあくまでターザンの実の従兄弟として紳士的に振る舞うし、ヒロインのジェーンはターザンの求愛を退けるし(もっとも二作目ではヨリを戻すそうだが)。
 類人猿達はあくまで野蛮で、人喰いの黒人達はあくまで未開人で、ターザンはその貴族の血筋故にいつも善である、という紋切り型の人物描写は、あくまでこの分野の原型を作ったという意味では評価できても、今読むと少々ご都合主義、というより偏見に満ちていて問題アリ、という気がしますが。原作では類人猿のボスのカーチャクが、意味なく暴力を振るって仲間を殺してしまう描写があるけれど、実際のゴリラはいたって平和主義、とても家庭的な動物ですしね。映画ではターザンを育てたのはゴリラの群ですが、原作では「大柄の類人猿」としか書かれていないし、原作の他の場面でターザンがゴリラ(ボルガニ)と戦う場面があるところを考えると、バローズはむしろ未知の類人猿を想定していたのかも知れませんけど。もっともその一方で、「男達の狂暴性はどこから来たか」という本によれば、ゴリラの子供は、その父親である群のボスの保護を失うと別のオスに殺されてしまう。すなわちゴリラは子連れのメスを奪うために相手の子を殺し、子を殺されたメスはその相手の強さ故にそのオスのもとへと向かう。まあそう考えると、なかなか「ゴリラのメスがヒトの子供を育てる」という構図は非常に起こり得ない訳ですね。もっともこれっぱかりは、実験しようにも出来ないか


【映画】サム・メンデス「アメリカン・ビューティー」
アカデミー五部門を押さえた話題作だね。しかも監督はこれが第一作で、まだ34才だって?
「芸術的に持ち上げられ過ぎちゃった感があるけど、本人の感性はいたってシンプルだと思う」
「まあ家族崩壊、なんてテーマだから、実は人から勧められるまではあんまし食指が動かなかったんだけどさ。まあこの脚本読んで映画化して採算が取れると思っただけでも凄いよ。ケビン・スペイシーなんか、この映画のためにわざわざ筋肉トレーニングして物語の進行に合わせて体を作っちゃったんだからなあ。まあ、並行して色々とテレビドラマかなんかやらなきゃならない日本のアクターさんには難しい話だな。それにしても向こうの話題作の監督の若いこと。邦画も30代の人間にもっとどんどん監督を任せられればもう少し観れたものになるんじゃないの?
「家族の崩壊というと、少しロマンチックな響きを感じるけど、ここで描かれているのはむしろ枠組みとしての家庭であって、既に解体は運命づけられているとしか言いようがない。主人公の家族は皆のベクトルがバラバラの方向へ向いているし、隣の家族は父親の妄執によってむりやり繋ぎ止められているだけで、結局子に執着する親も、子に無関心な親も共に不幸になる」
「まー監督自身、家族というモノに対して警戒しているように見えるね。この映画を観た後だと、つくづく家族や子供なんか持ちたくねえなあ、って思ったもの」
「人がそれぞれ大切に思う物は、美しいと思う物は異なる。だから人は引き寄せられ、反発しあう。他人の宝は私のゴミ。主人公が実体以上に妖艶な少女アンジェラの幻想に惹きつけられるように、青年リッキーは風に舞う白いビニール袋に美を発見する。そして家は緩やかに解体し、登場人物達は自分の相手を他に見出していく」
「アンジェラ役のミーナ・スバーリよりも、彼女にコンプレックスを抱いている娘役のソーラ・バーチの方が変に色っぽく見えたけど?」「最後に主人公の死に顔を見て微笑するリッキーも不思議な役回りだ。彼は本来なら、もはや家にいるべきではなかった。彼が一人の青年としてジェーンと出会い、彼の部屋が彼一人の個室であったのなら、物語の流れは変わっていた筈だから。むしろ一人の洞察者として和解と自由とを招く存在とも成り得たわけだ。この作品では、家族というくびきは、「絆」という観念は、登場人物達を抑圧するものとしてしか描かれていない
「それにしてもここでの10代の若者達の描かれ方はちょっと繊細に過ぎるような気もするけどね。17才でキレちまうのが当たり前という昨今の風潮では特にね。まあ、大人ってのは所詮、子供と同じように愚かで、モロくて、アブねえ存在だ、ってことがテーマだったんだろうから」
「この作品が広い支持を受けたのは、やや戯画的に描かれたそれぞれの登場人物に、どこか自分に似た部分を見つけるからだろう。主人公の妻にしても、『犠牲者にだけはなりたくない!』と言い続けながら結局は一番の犠牲者となってしまう。その気になれば平気で相手を罵倒できる主人公よりも余程自分に近い、と思う人もいるだろう。それぞれが待ち望んでいる世界を心の中に持っていて、しかも自らは今いる場から放り出されることをどこか恐れている……この作品はそういう人物群像で満たされている」
「オレ達、いまいち話が噛み合っていないぜ?」
「お互い想いは真剣でも、歯車が合わないとすり切れるだけだね。あの夫婦や親子みたいにさ」

【ビデオ】NHK大河ドラマ「花神」
 NHKの大河ドラマには当たり外れも多くて、いつも見ているわけではないんですが、オープニングタイトルだけは毎回一流の作曲家が映画的でダイナミックな曲を付けているのでチェックせざるを得ません。富田勲、芥川也寸志、武満徹、三善晃……うちには「花の生涯」から「独眼竜正宗」までの各オープニング・テーマ曲を収めたCDがあり、よくマンガを描いている時などBGMに使います。
 中でも一番お気に入りなのが、林光さん作曲の「花神」のテーマ曲。初めて聴いていっぺんで好きになってしまったのでした。ゆったりとした優しいメロディが、次第に盛り上がっていくところが何ともいえずいいですねえ。もっとも、「花神」の放送は昭和52年、舞台は明治維新で主役は大村益二郎、となると、当時の私には少々内容的にピンと来なかったようで、その前後の「風と雲と虹と」や「黄金の日々」なんかがまだ少し記憶に残っているのに比べていささか印象が薄いのでした。
 いつか機会があったら観てみたいなあと思っていた総集編のビデオを、大学の先輩が持っていることを知ってさっそく借りて観たのでした。
 内容的には、長州藩の側から追った維新までの物語。主人公は大村益二郎こと村田蔵六なんだけど、むしろ思想家吉田松陰、戦略家高杉晋作、技術者大村益二郎の生涯を順に追ったストーリーで、維新前夜の長州藩のいざこざがよく分かってとても為になりました。物語としてはあくまで長州側の視点から描かれているから、そこら辺はちょっと気になりますが、なにしろ明治維新のあたりって、沢山人が出てくるので整理しないと分からなくなっちゃうのだ。蘭学者として医師を志していた蔵六が、その語学力を買われて軍艦や兵器の開発に取り組むようになり、長州藩の脱藩武士らに暗殺されるまでを描いているのですが、松陰といい晋作といい竜馬といい新撰組といい、みんな若くして死んでるんですねえ。20代から30代前半ですよ。私なんかの歳にはもう殺されているか病死しているかなんだから。46才で死んだ蔵六なんかまだ天寿を全うした方なのかも知れません。
 ちなみに他に好きなテーマ曲は山本直純さんの「風と雲と虹と」と武満徹さんの「源義経」、新しいところでは三枝成章さんの「花の乱」。内容的に好きなのは「太平記」の後半と「炎立つ」の前半、通して観れたのは「独眼竜正宗」と「毛利元就」かな。反対にどうしても納得いかないのが田向正建氏脚本のもの。「武田信玄」「信長」「徳川慶喜」の三本。画面は暗くなるしテンポは悪くなるし主人公は無表情だし余計な登場人物が出しゃばるし面白いエピソードは省略されるしで、どう考えても面白くなる筈の題材がなんでここまで? と思うことしかりなのでした。
【小説】キャロル・オコンネル「クリスマスに少女は還る」
 ちょっと前に例の少女連続殺人の宮崎勤の告白文かなんかを本屋で立ち読みしたことがあったけど、唯一印象に残っているのが「私があるつまらない出来事で逮捕された時」とか何とか言っているくだりでした。多重人格とかいや演技だとか色々話題になった記憶がありますが、私に言わせれば演技だろうがそうでなかろうが同じことだと思っています。
 さて、「クリスマスに少女は還る」ですが、久しぶりに読む海外ミステリです。「とにかくお勧めだから」と言われるままに買ってしまったのですが、確かにお勧め。原題は「JUDAS CHILD(囮の子供)」なんだけど、邦題の「クリスマスに少女は還る」の方が、この胸を締め付けられるような傑作には相応しい気すらするのです。
 クリスマスを目前に、誘拐された二人の少女。州副知事の娘グウェンと、その親友でホラーマニアの問題児サディー。10才にしてホラー映画をコレクションし、友達を恐がらせては喜んでいるというサディーのキャラクターに惹かれるけれど、その事件を追う性別の異なる一卵性双生児の妹を失っている警察官ルージュと、顔に大きな傷跡を持つ女性法心理学者アリも、それぞれにトラウマを持つ魅力的な人間として描かれています。
 気がつかないうちにしっかり感情移入してしまい、おかげで思わず結末が信じられなくて何度もラストを読み返してしまったほど。
 ミステリに「意外な犯人」や「超絶トリック」を求める人は、必ずしもこの作品を支持しないかも知れないけれど、大切な者を失ったことのある人にとっては、この物語に嫌でも共鳴せざるを得ないでしょう。

【漫画】西原理恵子「できるかなリターンズ」
 
二年前に発刊された「できるかな」の続編。あの西原さんと大学時代に同じサークルだった新保信長さんが再び登場する実体験レポート漫画。
 この本の面白いところは、作者自身を含めて極端にデフォルメされたキャラクター漫画の合間に、本人達の実写真が挿入されているところで、どこへ行っても過激に怒鳴りまくっている「りえぞう」こと西原氏のキャラ漫画と、いかにもフツーの人の良さそうなおばさんにしか見えないご本人の写真とのギャップが非常に良いのでした。
 全日本ロボット相撲大会、インドネシア暴動見物、自衛隊体験入隊、ロシア訪問記……。内容もなかなか過激なんだけど、普通の人がレポート漫画描いてもここまでインパクトは強くないだろうなあ。単純な描線なのに力強さを感じさせるのは、作者の独特の構成力によるもの。見ていてコマが窮屈に感じるくらいにパワーがあります。私も体験漫画をこれくらいパワフルに描けたらなあとは思うのですが。
 今回は前作以上に新保氏のキャラクターが大活躍。「大変優しいので締め切りを最高25日くらいのばしたってちっとも怒らない」新保クンも、阪神が負けるとさあ大変……実際学生時代の灘高出身のサークルメンバーの阪神熱はなかなかのもので、作中の「押入にしまってある段ボール五箱分の85年度阪神優勝時全てのスポーツ雑誌を読みつつ、ベータビデオで優勝のシュンカンを何度も何度も流し……」というエピソードは他ならぬ新保氏自身が同人誌で漫画化しているほど。新保氏も今やフリーの編集者なんだから、自分の漫画も入れちゃえばいいのに、とか思いますけどね。とても可愛い絵を描くので、よりキャラが引き立つはず
 そこはかとなく悪意さえ感じさせる西原氏の漫画ですが、この人のエッセイを初めて週刊誌で読んだ時、そこには志半ばにして亡くなった友人の絵描きさんの話が書かれていました。ものすごい絵を描いていてある意味希望の星だったその人は、高架道路が突然倒壊するという事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまった、何故その人が死んで自分が生き残ったのか……そのやりきれなさを淡々とした文章とイラストで綴っていたのがとても印象に残っているのです。


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