8月


【映画】ウォシャウスキー兄弟「マトリックス・リローデッド」

 一世を風靡した「マトリックス」の待望の続編。秋には三部作の完結編「マトリックス・レボルーション」がすぐに控えているということもあって、この作品単独では評価しずらいというのが正直なところ。
 既に観た知人の間では、必ずしも評判は良くなかったのですが、私自身は結構楽しめました。見せ場の中心は既に予告編でもしきりに流されている、無数のエージェント・スミスがネオに襲いかかるシーンと、延々と続く高速道路を新設して撮影したというカーチェースシーン。これらのシーン、確かに長い。
 そこで思い出しました。細野不二彦のコミック「アドリブシネ倶楽部」。自主映画を作る話なのですが、そこでせっかく撮影した特撮シーンをばしばし編集でカットする場面 があります。「せっかく撮ったのに」「だらだらこの場面を続けても間延びしてアラが目立つだけだ。切ることによってフィルムは生きるんだ」……確かそんなセリフが飛び交ったのだと記憶しています。80年代から90年代にかけての特撮シーンは実際意外と短いものです。「スター・ウォーズ」「ジュラシック・パーク」も、宇宙での戦闘シーンや恐竜の登場シーンは意外と短い。短いカットを通 常の撮影場面に挿入していくことでリアリティを出しています。しかし「マトリックス・リローデッド」のCGシーンはとにかく長い。スローモーションを挿入してあえて長くしています。そもそもスピルバーグやルーカスの作品ではとにかく細かくカット割りされていて、それによって迫力や緊迫感を倍増させていたのですが、その分とにかく観ていて疲れるという印象があります。「マトリックス」で画期的だったのはスローモーションの多用。これにより緊迫感を持続しつつじっくりCGシーンを見せてしかもあんまり疲れさせない、という手法が取られました。スローモーション自体は別 に新しい技術でもなんでもなく、香港映画あたりで銃撃戦とかに使われていたものですが、それとCGによる特殊効果 の組み合わせが意外にインパクトがあったというわけ。
 確か井筒監督あたりがテレビで「最近のハリウッド映画はエンターテイメントではなくてアトラクションだ」と言ったのはある意味的を得ています。当然非難するつもりでそう言ったのでしょうが、今の時代はそれが求められていると考えたほうが良いのではないでしょうか。「マトリックス・リローデッド」の無数のスミス襲撃やカーチェイスは、短くしてしまったら面 白くないのです。物語を追うことが最優先なら、ここは適度に切り上げて先へ進んだほうが良いというのが基本でしょう。しかし映像そのものを堪能するのなら、あり得ない角度からスピード感のあるアクションを眺め、しんどくなってきたころにスローモーションに切り替えてひと呼吸置くと共に、緩急を付けて次のアクションへと繋ぐ……という風にして引き延ばした方が良い訳です。
 ストーリー的にも、マトリックス世界と人間の街ザイオン、救世主として位置づけられるネオの存在についてある程度の説明がなされて、なかなかに説得力があります。ザイオンの街では敵の襲来を前に乱交パーティが始まっちゃったりして、やっぱり人間ってダメかも、なんて考えちゃったりして。こりゃなるほど支配者の機械達が適宜に異分子を抽出しては滅ぼす、というスタイルを作ったというのもうなずけるわい、と思った次第であります。


【DVD】出渕裕「ラーゼフォン Vol.1〜9」

 昨年TV放映されていたアニメーション「ラーゼフォン」は、色々と評判を聞いていて気にはなっていたものの、ついつい見逃していた作品だったのですが、SFセミナーで出渕氏の講演を聴き、やはり目を通 して置かねばなるまいと考え、思い切ってDVD全巻を揃えてしまったのでした。結果として自分の部屋には「新世紀エヴァンゲリオン」「カウボーイ・ビバップ」「ラーゼフォン」の三作が揃うことになりました。あまりアニメーションに詳しいとは言えないのですが、少なくともこの三作品はこの10年間における日本のSF作品において、その完成度の高さゆえに見逃すことのできない存在だと思います。
 とは言うものの、「ラーゼフォン」はあの「新世紀エヴァンゲリオン」と非常によく似た要素を持っています。
・兵器というだけではなく世界を変貌させる能力を備えた、ロボットと生命体の両面 を持つメインキャラクターは、物語の最後に巨大な翼を披露する。
・その模造品である量産機が多数物語のクライマックスに登場する。
・無生物的な外観を持つ不気味な敵は、ある時は圧倒的な力でもって襲いかかり、ある時は通 常とは異なる手段でコミュニケートしてこようとする。
・「資格を持つ」が故に有無を言わさずコクピットへ座ることを強制される主人公は、常に悩める内向的な存在であり、味方の集団の中でもどこか孤立してしまう。
・少年である主人公を悪食である年上の女性が同居しつつ見守り、その元恋人は殺される。
・主人公の肉親は組織のトップにおり、さらにその上に全てを知る老人が居座る。
・他人とのコミュニケーションが苦手な謎めいた少女は、主人公とは対になる存在であり、遺伝的には母親とも考えられ、最後には巨大化する。
・中盤で二体一組の敵と戦う。
・物語の後半で世界が変貌する前のエピソードが追加される。
・主人公が自らの意志とは関係なく親しい者を手にかけるシーンがあり、物語のクライマックスで主人公は自分探しの異空間へと運ばれ「対話」を繰り返す。
・戦闘に投入されるクローン。
・挿入曲として使用されるクラシック音楽。
 ざっと数え上げただけでもこれだけ共通点がありますね。違うところといえば、「エヴァンゲリオン」の主人公シンジが最後まで自分に対して確固たる自信を持つことができない自滅型の人間だったのに対し、「ラーゼフォン」の主人公アヤトはモテモテの存在でそれほど自らのアイデンティティに揺らぎがなく、それ故いまいち感情移入できないキャラクターだったことでしょうか。
 音楽を一つのキーコンセプトとし、時間のずれによって導かれた別離を描くという新機軸の部分をもっと追及しても良かったような気がするし、青い血が流れている人間が頬を染めるというのもちょっと不自然なので、逆に正常な人間の皮膚が次第に蒼ざめていく変化などをリアルに描いたほうが面 白かったようにも思います。

 とはいうものの、「ラーゼフォン」には「エヴァンゲリオン」にはない独特の魅力があるのも確かです。主人公の年齢を17才まで引き上げ、TOKYO-JUPITORという時間の速度が異なるフィールドの存在と、アヤトとハルカという年の離れた二人の恋愛感情とをうまく絡ませています。その結果 、自己と他者との境界線を巡る駆け引きのようなものが主題となっていた「エヴァンゲリオン」が、やや自己中心的な世界観に終始していたのに対し、まさに他者のために積極的に行動しようとする人間達の物語となっている点は確かに魅力的です。シリーズの中では第19話「ブルーフレンド<Ticket To Nowhere>」が最も秀逸で、そこで物語は一つの頂点を迎えるのですが、「エヴァンゲリオン」の18話と23話をミックスしたようなテイストを持ちながら、シンジがただコクピットに縛りつけられて受け身であったのとは異なり、主人公のアヤトは人のために生きることを決して躊躇していない。過酷な物語の中に流れている視線の優しさは、このシリーズ独特のものだと言えます。

 ちなみに「ラーゼフォン」には、TVシリーズとは異なるバージョンが存在します。SF小説の分野ではもはや中堅の作家神林長平による小説「ラーゼフォン 時間調律師」(徳間デュアル文庫)は、同じ死を何回も繰り返す主人公がその時間ループから抜け出そうとする物語であり、百瀬武昭作画のコミック「ラーゼフォン」は、かなり物語の対立構造をシンプルに描き直していて、それぞれ内容的にも別 個の独立した作品となっています。映画版はまだ観ていないのですが、TV版をベースにしながらも、別 のシーンを描き加えてこれまた別個の作品としているようで、確かに物語の骨組みがより理解できるようになる反面 、逆に同一人物について異なるエピソードが存在するためやや混乱を招いてしまうきらいがあります。小説版やコミック版よりはやはり原典版ともいえるTVシリーズが一番完成度が高いような気がしますが。



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