2月


【映画】ピーター・ジャクソン「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還」

 三時間半に及ぶ大作で、しかも三部作の最終話。「ロード・オブ・ザ・リング」、 「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」と続いて、大団円を迎える本作にはいやが上にも期待が高まります。
 冒頭、静かに始まるオープニングは、ゴラムことスメアゴルが、指輪を見つけた仲間を殺してそれを奪うシーンから。卑屈で小心者のこのサブキャラクターが物語の結末を左右する存在となることを暗示する場面 であります。フロドとサムの間には亀裂が生まれ、ローハンとゴンドールの二つの国は疑念にかられて歩み寄れずにいる。そしてゴンドールの城を襲うサウロンの軍団。巨大なトロールや、巨象ムマキル、空から襲いかかるドラゴン達……ローハンでの戦いとは異なり、戦争というよりは巨大生物による一方的な殺戮が開始される……。

 万能の英雄も存在せず、キーポイントとなる魔力を帯びたアイテムは登場人物を苦しめるばかり……ファンタジーの王道と言われつつ、その実普通 のご都合主義的設定の逆を行くこの物語が、ここまで胸に迫ってくるのは何故だろう。それはこのドラマが、あくまで身も心も弱い「小さき者」達によって紡がれていくからかも知れない。敵に拮抗するだけの力を持つ魔法使いガンダルフや、王の血筋を受け継ぐ高潔な騎士アラゴルンが主役となって指輪を手にしないのは、いかなる存在も指輪の魔力に勝てないからで、まさに「小さきもの」だけが指輪を捨てる旅を全うできるからなのである。そして強さでも正義感でもなく、憎む相手をも殺さないという「心」だけが、事態を収拾できたのだということが、この紆余曲折を経た物語の辿り着いた結論だったことに気付いたとき、作者がこの物語に込めた一つの想いのようなものが感じられるのだ。
 だからこそ、「王の帰還」というタイトルに反して、サウロンを倒した後の戴冠式ではなく、指輪に蝕まれた体を回復できないフロドの旅立つシーンが物語の締めくくりとなるのである。まさに原作通 りの展開なのだが、それはこの長大な叙事詩が、戦いの発端と顛末を描いたものではなく、分かれと出会いを繰り返す我々「小さき者」達の生き様を描いたものだからに他ならない。もし映画の中にちりばめられた様々な戦闘シーンのために素直にストーリーに感動できないという人かいるなら、もう一度見直すことを勧めるしかない。自らの堕落を意識しつつ引き裂かれていくスメアゴル、「摩」の力に徐々に圧倒されながら使命感と疑惑の狭間で自らを見失っていくフロド、そして拒絶されつつも相手をまるごと受け入れ支えようとするサム……圧倒的な極限状態の中で、ハンディキャップを負った小さな命が、いかに必死にあがきながら前進していくかということ……それは良質なファンタジーやSFだけが描きうるテーマなのである。

 もし心残りがあるとすれば、原作ではフロド達がホビット庄に帰ってきた後に、生き残ったサルマンやグリマと一悶着あるシーンがカットされていること。大団円を迎えた後日談としては引っ張りづらいと判断したのだと思うけれど、クリストファー・リーをもう一度見たかったなあと思った人は多いのでは?


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