「シャトー・ラトゥール」1924年



 毎度年末恒例のプレステージワイン会に今年も参加。今回のテーマは「熟成ボルドー」「慶応元年から昭和への浪漫飛行」と題して、あわよくば1860年代のグリュオー・ラローズまで頂いてしまおうという企画であります。

 年末のこの試飲会だけは、たった一人で参加、他のお客とも話さず、ひたすら一杯60mlの熟成ワインに30分ずつ向き合うことが慣例になりつつあります。ワインは本来、一人きりで飲むものではなく、気心の知れた仲間と一緒にやいのやいのと語りながら楽しむものだと思ってはいるのですが、たまに真摯に、個人として向き合いたくなることもあるのです。ウイスキーなどの世界は案外それに近いと感じるのですが……。
 最近読んだユヴァル・ノア・ハラリ「21 Lessons」の最後の方に、「瞑想」に関する話が出てくるのですが、曰く「鼻から出たり入ったりする息に注意をすべて向けること」。ハラリはその中で、 「自分の呼吸を観察していて最初に学んだのは、これまであれほど多くの本を読み、大学であれほど多くの講座に出席してきたにもかかわらず、自分の心については無知に等しく、心を制御するのがほぼ不可能だと言うこと」と記しています。自分を惑わせる対象物ではなく、自分の感覚そのものを観察するということ……それがハラリの説く「瞑想」の本質ということらしいのですが、ワインを一人じっくりとテイスティングするということは、これに近い感覚があるように思うのです。
 何もしないでいる中で、自分の呼吸だけに意識を集中することは難しそうですが、ワインを目の前において、ひたすらその色、香り、味に……すなわち視覚、嗅覚、味覚に集中するということは、そのまま自分の感覚に意識を集中してそれを観察することにも繋がると思うのです。アルコールがあることで、色も香りも味わいも、より華やかで心地良いものへと高められますが、ただ飲んで酩酊するのではなく、それを感じ取ろうとする自分の感覚そのものを意識し、寄り添うことで、普通に飲み食いしていては得られない何かが会得できるような気がするのです。ただ外界に反応し、怒り悲しむのではなく、その自分の怒りや悲しみの感覚を観察することで、気持ちを落ち着かせることができます。ワインを「感じる」ために自分の五感をフルに発動して、かつそれを意識し観察することが大切なのかも知れません。それはワインに限らず、他のお酒でも、あるいは音楽や絵画といった芸術でも構わないのですが、余計な予備知識もなくそのまま視覚・嗅覚・味覚に直接的に訴えかけてくるという点で、自分にとってはより自然で身近なアイテムだと思うのです。

  

 さて、今回のテイスティングは、ポイヤックの格付けワインを中心に、シャトー・ラフィット・ロートシルト1964年に始まり、シャトー・ラトゥール1924年で締めくくるという贅沢なもの。。

 

 最初は「シャトー・ラフィット・ロートシルト1964年」。1964年はヴィンテージ的には局地的な大雨が収穫期に重なり、シャトーによってかなり評価が分かれます。色調的には、タンニンが落ちてどちらかというと明るいルビーを思わせます。香りを確認すると、最初にヨーグルトのような甘い風味が。これは昨年のラフィットの古酒テイスティングでも感じられたものですが、どこか乳酸的な、そしてトロピカルフルーツを思わせる柔らかい甘い香りが感じられ、熟成ワインに見られる獣的な、ムスクのような香りはむしろ控えめと言って良いかと思います。味わってみると、バランスが良く複雑というよりはむしろピュアでストレートな印象。なめらかで、シルキーで、やはりラフィットは繊細で綺麗なワインなのだなあとあらためて感じた次第です。ちなみに、1時間ほど置いておくと、ヨーグルト的な甘い香りは落ち着いて、レーズン系の香りが支配的になっていきました。
 次に「シャトー・ラトゥール1964年」。マイケル・ブロードベンド「ヴィンテージ必携」には、ラトゥールはベトリュスと1964年のトップを争う、とまで記されたワインです。個人的は、ラトゥールの方がラフィットよりもシャープで骨格がはっきりしているという印象があるのですが、今回の1964年比較では、こちらの方が甘酸っぱい香りを持ってはいるものの、かなり近い印象。若干金属的な風味があり、酸もいきいきとしているのですが、しばらく置いておくと、ラフィットと比べてかなり香りは落ち着いていきました。はかなく優しい印象の強い熟成ボルドーでした。
 「シャトー・ランシュ・バージュ1959年」は、香りの総量では前述のラフィット、ラトゥール1964年を上回り、味わいの濃さも同様に上回っているという印象。ポイヤック5級に甘んじるワインですが、よく知られているように、格付け以上の実力を備えたワインなのだと改めて納得した次第です。熟成由来のムスク香や、アプリコットやプラムなどの果実香に加えて、水仙やスミレ、椿といった花の香りも感じられ、より複雑な風味を備えたワインとなっていました。味わってみると、凝縮感もかなりのもの。パワフルで、いわゆる構成力structureとはこのことか、と思わず納得してしまった次第です。しばらく1時間ほど置いておくと、香りはより紅茶的な風味に移行、インパクトという意味では今回のワインアイテムの中で一番力強く感じられたワインでした。1959年は、1950年代の中では世紀の当たり年とされているので、ヴィンテージ的にもより恵まれた年であったことは確かなようです。
 「シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランド1945年」、終戦の年のワインです。第二次大戦の終戦の年でありながら、20世紀で最も偉大なヴィンテージの一つとされている年です。五月の霜の影響でもともとの収穫量も少なく、夏の炎暑も影響して抜群の濃縮度を誇るとか。実際に味わってみると、特に香りについて独特の金属的なニュアンスがありました。しばらく置いておくと、醤油、せんべいや餅に醤油を塗って少し焼いたような独特の香ばしさがありました。酸も強く余韻に残り、あらためてかなりの長期熟成を経たワインは、タンニンではなく酸が決め手になるのだなと実感しました。
 さて、次に供されたのは「カリュアド・ラフィット1937年」。ラフィットのセカンドワインの古酒です。これは本来出される筈だった「グリュオー・ラローズ1860年代」が抜染したところ健全な状態ではなかったため、急遽代わりに用意されたもの。五大格付けシャトーそのものではないにしても、十分な品質を備えたボルドー、メドック、ポイヤックのワインには違いありません。  色合いはかなり明るく、殆ど抽出度の低いブルゴーニュワインを思わせます。香りはどこか野菜的というか、カベルネの持つピーマン香を兼ね備えていました。ピーマンの肉詰めを想起させるワインでした。味わってみると、こちらも心地よい酸の余韻が長い。後から若干の渋味も重なります。ある意味、ここまで飲んできた四つのワインの中では一番渋味というか、タンニンが感じられました。  
 「シャトー・ムートン・ロートシルト1928年」、いよいよ1920年代のワインが登場。色合いは透明感のあるルビー、香りをチェックすると、控えめなムスク香が感じられます。熟成させたブルゴーニュワインを思わせる風味。1920年代のボルドーと言えば、以前にテイスティングした「シャトー・オー・ブリオン1929年」の黒糖のような色の濃さと味わいが大変印象的でしたが、他の名門ボルドーはそれほど濃厚な色合いを持ったものは殆どありません。どちらかというと濃厚でこってり感のある「ムートン」ですが、この1928年物は非常にピュアで、余計な物が全てそぎ落とされ、すっと喉を流れ落ちるような感じを持っていました。
 大トリは「シャトー・ラトゥール1924年」。大正13年、昭和天皇御成婚のヴィンテージ。こちらも外観は熟成ブルゴーニュを思わせる明るい色調。香りはどこか植物的で、ムスクなどの風味は殆ど感じられず、どちらかというとソテーしたマッシュルームのような、グリーンではないもののどこか控えめな風味となっていました。味わってみると、こちらもやはり熟成ブルゴーニュ的。旨味が強く、まさに出汁を思わせるような独特の味わいがあります。1時間ほど置くと、アプリコットなどの独特の甘さのニュアンスが加わりより味の深みが増していったように思います。1964年のラトゥールは非常に大人しい仕上がりでしたが、この1924年はより複雑味があり魅力的でした。  

 パワーを兼ね備えた総合的な味わいでは「ランシュ・バージュ1954年」、深みのある趣という点では「ラトゥール1924年」に軍配が上がる、といったところでしょうか。

  

 7つのワインをすこしずつグラスに残して、さてこれに合う料理に合わせるなら……と選んだのがトリュフ入りコロッケと、エゾジカのロースト。脂が多かったり風味が強かったりする肉料理はこの際避けた方が良いと判断しました。

 

 ちなみに期待の「1860年代のグリュオー・ラローズ」、これはヴィンテージ不明ではありますが、インドネシア海域において1991年に海洋調査団が引き上げた商船マリー・テレーズ号に積んであったワインとのこと。1872年の2月にマリー・テレーズ号が難破した記録が残っていることから、このワインはそれ以前のものと推測され、1869年1865年の二つのヴィンテージに対する賞賛のコメントが裏張りに書かれていることから、どちらかのヴィンテージではないかとされています。上記ラベルを見ると、ラベルデザインは基本的にその頃から変わっていないのですね。今回の試飲会のまさに目玉であったはずなのですが、抜栓してみたら状態が良くなかったので急遽お店側で供出をとりやめたとのこと。せめてどんなものか香りだけでも確認させて欲しいと言ったら、グラス一杯出してくれました。かなりきつい刺激臭。フルーツの傷んだ種の周囲の果肉を思わせるような、揮発性の強いツンとくる匂い……さすがにこれは、腐敗臭と思われます。他のお客さんからは「ドリアン」との声も……。お恥ずかしながらドリアンを食べたことはないのですが、何となく分かるような……。今まで飲んだことのある古酒でもっとも古い物は「ラフィット1919年」でしたが、もしこのグリュオー・ラローズが健全なワインだったら、古酒のキャリアをさらに昔まで推し進めることができたのですが……残念なことです!



◆トップページに戻る。
◆「宇都宮斉作品集紹介」のコーナーへ。
◆「宇都宮斉プロフィール」のコーナーへ。
◆「一杯のお酒でくつろごう」のコーナーへ。
◆「漫画・映画・小説・その他もろもろ」のコーナーへ戻る。
◆「オリジナル・イラスト」のコーナーへ。
◆「短編小説」のコーナーへ。