【映画】デヴィット・フィンチャー「ベンジャミン・バトン」
外から見た自分のことなど、あまり考えたくない性質で、正直鏡を見るのも嫌なくらいなのですが、何となく意味なく思い浮かべてしまう未来の自分の姿というのは、一人きりで部屋でもそもそ物を食べている年寄りというイメージだったりします。そういうふうにはなりたくないものだなあと漠然に考えていることを逆に思い描いてしまうこともあるわけですが、妙に説得力もあったりして……。人間は結局一人……と思ってはいても、今一つ覚悟ができていないような。孤独というものを真剣に考えると空恐ろしくなってしまうものの、毎日おおぜいの人に囲まれていると疲れてしまって一人になりたくなる……まことに人間の生活というのは厄介なものです。
さて、映画「ベンジャミン・バトン」は、80才の老人として生まれ、次第に若返っていく人生を送った男の物語。かの有名なスコット・フイッツジェラルドの短編が原作。映画を観た後本屋でたまたま角川文庫から原作本が出ているのを見つけて読んでみたのですが、主人公の名前と基本設定以外は全く違うテイストでした。フィッツジェラルドはかの「トム・ソーヤ」「ハックルベリー・フィン」そして「アーサー王宮のヤンキー」で有名なマーク・トゥエインの残した「人が80才で生まれて18才へと若返っていくなら、より充実した人生を送るだろう」という言葉に触発されてこの短編を書いたそうですが、若返って子供となってしまう主人公は周囲と全く馴染めなくなる……という展開は、まさにマーク・トゥエインに対する反論めいたものとなっていました。原作の方は、主人公は年寄りそのままの姿で生まれ落ち、いきなり周囲の者達に向かって老人らしい愚痴をこぼし始めます。世間体を気にする父親は、無理矢理老人に子供らしく振る舞うように強要するのですがうまくいきません。年上に憧れる美女のハートを射止めて結婚するも、相手が年を取ってしまうと興味を失い、相手も若返って遊び歩く主人公に反発し始めます。戦争に行って英雄となるも、次第に若返っていくに従って息子からも邪険にされるようになり、少年になってしまってから軍隊に入り直そうとしてあざ笑われ……年齢と容姿が一致しない故に、主人公が普通
に振る舞おうとすればするほど疎外されてしまうという姿が、笑いを誘うだけでなく、どこか哀愁を帯びてくる……まさにシンプル・イズ・ベストの見本のような短編で、これが映画化に合わせて日本ではじめて翻訳されたとは思えないほど。
というわけで、「フォレスト・ガンプ」の脚本を担当したエリック・ロスが、「一途な恋愛」の要素を再びからませて仕上げた映画版のシナリオは、まさにそれ故にこそ評判となったのでしょうが、原作の風刺に満ちたシビアな持ち味とは異質のものとなっている訳です。映画のはじまりは、逆さ回りの時計のエピソードから始まります。第一次大戦前夜、一人の時計職人が息子を戦場へと送り出すが、息子は死体で帰宅した……職人は大きな駅の壁の中央に、逆さに回る時計を取り付ける……時がさかのぼれば、戦場で死んだ者達も戻ってくると宣言して。時計の秒針は逆回転を始め、職人は姿を消す。そしてその後から、老人の姿で生まれそのまま捨てられるベンジャミンの物語が唐突に始まるのです。
何しろ監督はあのデビット・フィンチャー。シリーズ随一の暗さを誇る「エイリアン3」でデビューし、全く救いのないラストが衝撃的だった「セプン」で評判となった映像作家ですから、どんな残酷な物語が展開されることやらと思いきや、映画自体は至ってノーマル、神経を逆なでするような得意の演出は影をひそめ、淡々と話が続いていきます。ブラッド・ピットも、フィンチャー監督作では「セブン」「ファイト・クラブ」に続いての名演。他の映画で印象に残っているのはテリー・ギリアムの「12モンキーズ」くらいのもので、「トロイ」も「Mr.&
Mrs.スミス」も全くピンと来なかったことを思えば、やはり俳優の演技力も存在感も監督次第ということなのでしょうか。特殊メイクと合成映像による年老いた少年時代の方が表情豊かで茶目っ気があり、年老いて若返るに従ってメイクを落とし素顔になっていくとともに、憂いを帯びた表情となっていく、そのゆるやかな変貌ぶりは正直見事なもので、このある意味荒唐無稽な設定を非常に説得力のあるものにしています。
年老いて生まれてくる……そのシーンで思い出したのが、テレビで一時期紹介されていた「プロジェリア」という遺伝疾患。800万人に一人の割合で生まれてくるという、世界に30人ほどしか例のない、異常に速いスピードで老化しその多くが10代に老衰で死んでいくという病気に罹った少女のドキュメンタリーは、実際衝撃的でした。10代にして既に髪は抜け落ち、友達も離れていく。同じ病気の少年と会って勇気づけられるも、その子は先に死んでしまう。治療法はいまだ見つからず、物語のように若返るわけでもないので、その孤独は他者には救いようもない……。人は皆孤独、それは分かってはいても、世の中にはある意味レベルの違う孤独を受け入れなくてならない人達もいるのだと思い知らされました。
注意したいのは、この物語全体が、台風の近付く中病院で最期の時を迎えようとしている老女デイジーの持っていた日記をその娘が傍らで読む……という構成となっていること。もしかしたら、全てはその老女の作り話だったのかも知れない……とふと思わせるような作りになっていることです。老人で生まれ子供となっていく主人公「ベンジャミン」は、病室で向きあう親子の前に最後まで姿を現わすことはありません。それにより、物語の荒唐無稽さは影を潜め、水の中に消えていく逆さ回りの時計とともに、登場人物の孤独な生き様だけが最後に残されるのです。老女はダンサーとしての名声を欲しいがままにする直前に、タクシーに轢かれ複雑骨折により夢を断たれます。かなわなかった未来、取り戻したい時間……冒頭の逆さ回りの時計も、ベンジャミンの物語も、共にその象徴だったのではないでしょうか。
主人公は心惹かれた少女と両想いとなることができたにも関わらず、自ら身を引くことになりますが、それでもそこで物語は終わらず、死を、別
れを突きつけられ続ける人間達の営みが繰り返されるのです。 「老人として生まれ、若返っていく」というシンプルな設定の行き着く先は、決して奇をてらった逆転劇ではなく、ラストシーンは極めて予想通
りの真っ当なもの。それでもなお、観た人は皆その光景に心奪われてしまうだろうなあと思うのです。
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