6月


【映画】樋口真嗣「シン・ウルトラマン」

 庵野監督による「シン・ゴジラ」「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」に続く「シン」シリーズの第三弾。次には「シン・仮面ライダー」が控えているそうです。

 さて、特に予備知識もないまま予想していたのは、「怖い」「異界から来た正体不明の巨人」が登場するというイメージでした。本来巨人の存在というのは怖いもの。例えばゴヤの「巨人」のように、頭の部分が雲に隠れるくらいのシルエットで、いきなり天空から飛来し、敵か味方かも分からず、その圧倒的な存在感と破壊力に、ひたすら人類はひれ伏すしかない……。それはあたかも、つげ義春の「ねじ式」にあるように、「背中の方からからだんだんと巨人になっていくような恐怖」をそのまま映像化したような、不気味な銀色の怪物だった……。「シン・ゴジラ」の後に作品化するのなら、それくらいのインパクトを持たせる必要があるでしょうと、勝手に思っていました。実際のところ、本編のウルトラマンは旧作シリーズとそれほど変わらない、着ぐるみプロレスという雰囲気でしたが。

 冒頭からいきなり怪獣(本編では「禍威獣」だそうですが……)のオンパレードであります。「シン・ゴジラ」のタイトルが破れて「シン・ウルトラマン」のタイトルが登場するのは、放映当時の「ウルトラマン」のタイトルの前に「ウルトラQ」のタイトルが現れるのをそのまま流用した訳ですが、「シン・ゴジラ」の場面が出てくるわけではなく、「ウルトラQ」に登場したゴメスやパゴス、ペギラが続けざまに一瞬画面に現れては「駆除される」とテロップが流れて死体がアップになるという、正直勿体ない使われ方をしています。本編に入って登場し、ウルトラマンこと銀色の巨人と対峙するのはネロンガとガボラで、他にもいくらでも魅力的な怪獣がいただろうにと思いきや、本編の中でも「頭だけ改造して再利用されているみたい」などという台詞が……。これはもちろん、「フランケンシュタイン対地底怪獣」のバラゴンの着ぐるみを改造してパゴス、ネロンガ、ガボラと流用されたことを下敷きにしてのことなのですが、とにかく全てにおいて「ウルトラQ」から「ウルトラマン」における世界観と言うより、当時の制作事情まで知っていることを前提に楽しまなければいけないような構造になっていたりします。それならいっそ、「ウルトラQ」の物語から始めてもらった方が……何しろガボラ以後、ウルトラマンが戦うのはザラブ星人とメフィラス星人(いちいち本編では「星人」とは呼ばないようですが……)、そしてゼットンと呼ばれる超巨大な最終兵器(使徒?)となってしまうので、怪獣が暴れるシーンなど殆ど出てこないわけです。

 作中一番「人間的に」見えるのが、「私の好きな言葉です……」と会話の合間に格言を引用する山本耕史演じるメフィラスというのも、もちろん敢えてやっているのでしょうし、斉藤工演じるウルトラマンこと神永と居酒屋で酒を酌み交わすというのも、旧作のウルトラシリーズに垣間見られた、ちゃぶ台の前に座るメトロン星人などのイメージに通じるものがあるわけですが、メフィラスの言い分が妙に腑に落ちる分、ウルトラマン側の「人間を好きになってしまったのだから仕方ない」語り口が、妙に一方的でストーカー的に見えてしまう。その好意がどこから来るものなのか、作中のエピソードからは今ひとつはっきりしないのです。

 カラータイマーのないウルトラマン、カラーリングの異なるゾフィー(本編では「ゾーフィ」だそうですが……)等々、成田亨デザインを踏襲するというのはまあ分かるのですが、むしろ成田亨にリスペクトをというのなら、カラータイマーの有無とかいうレベルではなくて、「成田亨作品集」(羽鳥書店)に収められている数々の異形生物を映像化して欲しかったなあと。ウルトラシリーズ放映時には、着ぐるみにできないということで断念せざるを得なかったデザインも、CG技術の発達した今なら、バランスを無視して独特の形状を追求した数々の素晴らしい異世界の住人達を、しっかり映像で再現できると思うのです。そもそも、無理にゴジラやウルトラマンのような過去に一時代を築いたシリーズ作品の焼き直しにここまでこだわらなくても良いのでは? 優れた才能によって生み出されたものの、まだまだ世に知られていない数々のビジュアルイメージが沢山埋もれたままになっているはずなのだから、もっと新しい作品を世に出していく方に注力して欲しいものだと考えてしまいました。。 

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