1月


【映画】山崎貴「ゴジラ-1.0」

 2016年にヒットした「シン・ゴジラ」の後で、再度「ゴジラ」映画にチャレンジするのはさぞかししんどそう……そう思いつつも、戦後すぐの日本を舞台にしていると聞いて、興味を持ったので公開初日に観に行ったのでした。
1945年、終戦の年、主人公の敷島は小笠原諸島の大戸島で、恐竜のような生物「呉爾羅(ゴジラ)」に遭遇、恐怖にかられて零戦装備の砲弾が撃てず、島の整備兵達を死なせてしまった敷島は、トラウマをかかえたまま、核実験によってさらに巨大化したゴジラが銀座を襲撃するのを目撃することになる……。
 終戦直後で、自国の軍隊は解体され、米国も援助しない中、民間の人間達だけで巨大な怪獣を迎え撃たなければならない、そこには一撃必殺の秘密兵器も何もない、という設定が実に魅力的で、なるほどそういう手があったか! そういえば「水に浮かんでいたボール」を「泡」で沈める実験とか、昔からテレビとかで紹介されていたな! と妙に納得して、よくできた脚本ではないか、と感心してしまった次第です。熱線を発射する際、ゴジラの背びれがまるで原子炉の制御棒のように外へと引き出されるところなどにも、繰り返し扱われてきた題材に、新しい説得力のある設定を盛り込もうという意図が感じられ、好感が持てました。
会議を繰り返すうちに事態が悪化していき、それでも仕事としてその危機に対処しなければならない集団の悲哀を、一部ユーモラスな筆致も交えて「冷めた」視点で描いた「シン・ゴジラ」に対して、ある意味1954年の第一作目の作品が持っていた「熱量」を再び蘇らせようとした点において、「ゴジラ-1.0」は成功しているように思えます。アメリカで実写系日本映画の記録を塗り替えたというのも分かるような気がします。葛藤を抱えながらも前向きで共感しやすいキャラクターが揃っていて、「ジョーズ」「ジュラシックパーク」「インディペンデンス・デイ」といったハリウッド映画を彷彿とさせるシーンにも事欠きませんし。そして何より、コロナ禍やウクライナ、イスラエル戦禍を経てしまった後では、そうそう会議ばかりしている様を笑っている余裕もなくなってきたようですし……。

 ただ気になる点があったとすれば、これはSNSでも発言している人が多いようですが、あの時代を描くにあたって、原爆投下の話が全く取り上げられていないことかも知れません。1947年が舞台なら、その話が出てこないことはあまりにも「不自然」に感じるのです。もちろん、それを言うなら1950年代を舞台にした初代「ゴジラ」でもその部分は描かれてはいませんが、当時の日本では難しかったかも知れないものの、現代ならむしろ正面から扱っても良かったのではないかと思ってしまいます。夏に米国で公開され世界中でヒットしたクリストファー・ノーランの新作映画「オッペンハイマー」が、いまだに日本では公開が先送りされていることも相まって、妙な忖度を感じてしまいます。
 今の社会に現れた巨大生物の脅威、侵略者の脅威に対して、核兵器を使うかどうかという問いは、「シン・ゴジラ」でも「インディペンデンス・ディ」でもセリフの中で登場しますが、終戦直後を舞台にした「ゴジラ-1.0」の物語の中なら、より生々しい響きを持たせることができたはず。もし核を使うのなら、核で生まれた脅威に対して核で対処できるのかという疑惑が浮かび、もし使わないのなら、大量に人間を殺した兵器を巨大生物には使わないのかというジレンマが起きる……。1954年の初代「ゴジラ」において、「まだ人間達に、この破壊兵器の秘密を公開するのは早すぎる」と言ってオキシジェン・デストロイヤーを自ら封印する芹沢博士の苦悩を、より具体的に、真に迫る形で提示できたかも知れないと思うのです。

【漫画】TEZUKA2023プロジェクト「ブラックジャック/機械の心臓」

 戦後華々しくデビューし、「鉄腕アトム」で一世を風靡したものの、1970年頃には低迷していた手塚治虫が、秋田書店「少年チャンピオン」連載となる「ブラックジャック」の成功で息を吹き返した、とはよく言われています。1972年に編集長に就任した壁村耐三氏のテコ入れにより、部数を増やすために全編を読み切り形式に変更する改革が行われ、虫プロ倒産後苦境にあった手塚治虫に対しても「死に水をとろうか」といった形で短期の読み切り依頼があったのだとか。実際のところ、「ブラックジャック」が連載されていた1973年から1978年にかけての「少年チャンピオン」掲載作品といえば……。
 「ドカベン」「魔太郎がくる!」「恐怖新聞」「キューティーハニー」「がきデカ」「エコエコアザラク」「750ライダー」「マカロニほうれん荘」……まさに蒼々たる連載作品群です。
 
これにより1972年に20万部台だった「チャンピオン」の発行部数は1977年には200万部を超え、「ジャンプ」を抜いて首位に立ちました。「ドカベン」はともかく、「魔太郎」も「恐怖新聞」も「がきデカ」も「マカロニ」も全て一話完結型の連作物で、毎週これが読めたのですから、それはもうある意味納得の黄金期だったわけです。その代わり作家に対する負担は相当なものだったようで、手元にある大泉実成著「消えたマンガ家」(太田出版)にある「マカロニほうれん荘」の作者、鴨川つばめ氏のインタビューによれば、デビューした集英社での原稿料が当時1枚3,000円、秋田書店はその半分の1,500円。月刊連載と週刊連載をアシスタントなしでこなし、眠気覚ましに大正製薬「ピロン」を飲みながら五日間一睡もせずに描いたのだとか……。
 たしかに「ブラックジャック」は画期的で、大ヒット長期連載も当たり前の名作なのですが、いかにもそれまでの手塚作品が今ひとつだったような受け止められ方をしているのは正直不本意ではあります。「ブラックジャック」の前に「チャンピオン」で連載されていたのは、アニメ化もされた「ミクロイドS」であり、透明人間という素材に対して全く新しいアプローチに挑戦した「アラバスター」であり、SF短編連作いう形をとった「ザ・クレーター」であり、いずれも傑作揃い。本人が「暗すぎた」と酷評する「アラバスター」は、半透明の身体を持つダークヒーローを描くことで、昨今のルッキズム問題にすら繋がる痛烈なアプローチを備えていて、海外で実写映画化すればきっと画期的な作品になりそうな意欲作だし、「ザ・クレーター」などは今読み返しても、なぜこれが隔週連載できたのか信じられないほどクオリティが高くバラエティに富んだ短編集となっています。「ブラックジャック」以前の手塚治虫がスランプだったなどというのは、あくまで本人の謙遜程度にとらえておくべきでしょう。「ブラックジャック」も最初の1年くらいはアンケートで低評価が続いていたそうで、正直なところ「少年チャンピオン」の知名度アップそれ自体が「ブラックジャック」の人気をさらに高いものへと押し上げた、という側面も大きいのでは、と思っています。

 さて、最近刊行された「週刊少年チャンピオン・2023年12月7日号」には、「B・J連載50th記念企画」と称して、AIが挑む新作読み切り「ブラックジャック・機械の心臓」が掲載されています。以前にも、「TEZUKA2020プロジェクト・AIが挑む手塚治虫の世界」と称して、「ぱいどん」という作品が講談社から刊行されましたが、今回もそのスタイルを引き継いだものとなっているようです。
 作成過程の詳細が雑誌の冒頭に紹介されていますが、それによれば使われているのはテキスト生成アプリの「GTP・4」と、画像生成アプリの「Stable Diffusion」で、いずれも一般の人が入手可能で、既に広く使われています。これらが作成したプロットやキャラクターを元に、編集スタッフがプロットを修正し仕上げて、画家が人物や背景を描いたそうです。「ぱいどん」同様、これも果たしてAIが作ったと言えるかどうかは正直疑問ではありますが……。
さて、その新作「機械の心臓」はどんな話かというと……ブラックジャックは人工臓器を開発する会社のCEOから、身体の殆どを人工臓器に取り替えている娘の心臓に血腫が発生したので直して欲しいとの依頼を受ける。本間血腫の手術に失敗した経験を持つブラックジャックはいったんその依頼を断り、代わりに安楽死を専門とするキリコが呼ばれるが、キリコの心臓にも疾患があって施術ができない。気が変わって再び患者の元を訪れたブラックジャックは、臓器ネットワークを一度遮断して再接続することでプログラムの修正を促し、患者の蘇生に成功する。その場に倒れていたキリコも、人工心臓を使って手術することで助けようとする……。
 人工心臓の欠陥に挑むストーリーは、単行本15巻収録の傑作「本間血腫」から引用されているし、コンピューターで管理された医療センターという舞台は、単行本10巻収録の「U-18は知っていた」を想起させます。
 新作ではブラックジャックの恩師であり、自ら本間血腫の患者を死なせたことによって引退へと追い込まれた本間博士が、「私には本間血腫の治療法は見つけられなかった。だがきみならできる! その謎を解き明かしてもらいたい」と語りかける場面が登場します。原典の「本間血腫」にもそれに相当するくだりはあるのですが、その後も本間博士の言葉は続き、むしろそちらの方が重要なセリフとなっています。「……きみに一つだけ忠告しておく、病気の謎がはっきりするまでは、決してきみがこの病気の患者を手術してはいかん。もししたときは、きみは医学の限界を思い知るだろう」どうしても本間博士の仇をうちたいブラックジャックは、恩師の忠告に逆らって自ら開発した人工心臓を使うことでその疾患に挑むものの、開胸した結果、本間血腫が人工心臓に発生する疾患であることが分かり、「あれほど精巧な人工心臓でも完全ではなかった……本間先生……私はおろかでした……」と嘆くシーンで物語は幕を閉じます。
 また、原典の「U-18は知っていた」では、アメリカのサイバネティクス医療センターで数多くの患者の診察と手術を行うコンピュータが、自らの回路に発生した異常を治療するために、センターの全患者を人質に取って、48時間以内にブラックジャックを連れてこいと強迫します。コンピュータを修理するのは技師の仕事だと返答するセンターの責任者に対して、コンピュータはあくまで医者を寄越せと迫る。センターを訪れたブラックジャックは、医師が患者に接する態度でコンピュータと向き合います。人工知能が制御する医療センターという設定は、原典の方で既にさらに進んだ形で展開されていて、どこまで人工知能に判断を任せるのかというテーマも、「アトム」や「火の鳥」といった問題作を残した手塚治虫だけあって、所詮人工知能なのだから技術者に任せれば良いだろう、などという安易な解決策には向かいません。
 今回の新作「機械の心臓」が今ひとつの仕上がりに感じられるのは、確かに手塚作品の素材を全部トレースして、その物語構造から法則性を導き出して並べてはいるものの、結局のところこの物語の落としどころは、「命は大切なのだから、救わなければいけませんね」という一言で集約されてしまい、いくらブラックジャックがしかめっつらをしていても、登場人物達は現状に対して何もジレンマを抱いていないように見えてしまうところでしょう。作品の最後には、医療監修:ニューハート・ワタナベ国際病院院長とあって、正直さもありなんと思ったのですが、医学界に反逆して無免許医であり続け、安楽死を専門とするキリコとことあるごとに対立し、本間博士が罵倒されるとところ構わずキレてしまう一匹狼のブラックジャックを描くことは、当時編集担当者さえ直接会うことが難しかった一匹狼の手塚治虫本人にこそ描けた作品であって、今のAIにというよりも、そもそも今の出版業界には難しいように思われます。
 これからAIが作成する漫画は増えていくのかどうか……。今回のプロジェクトによる作品の出来が良いかどうかは別として、かなり大きな反対運動の起きている海の向こうと比べて、日本ではあまり抵抗ないのではないかと思っています。「サザエさん」「クレヨンしんちゃん」「ちびまる子ちゃん」等々、既に作者が亡くなった後も続いている作品は他にいくらでもありますし、テーマ性や独創性が要求される作品よりも、キャラクター中心で、決まり文句が繰り返され、マンネリ化がむしろ望まれるようなタイプの作品なら、作者の死後、シナリオがいつの間にかAIに置き換えられていても気にならない、というより気付かないかも知れません。もしまだそれらが試されていないとすれば、それは挑戦が困難であるというよりも、手間を掛けてAIを導入して調整するほどの費用対効果が得られないという判断なのではないでしょうか。
 AIの導入は、おそらくクリエイティブと思われている業界でも今後普通に進んでいくでしょう。それに対して強く抵抗を感じるほど、我々はクリエイティブなものに対して、敬意を払ってきたわけでもないし、費用を払ってきたわけでもないと思うのです。

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