松尾一郎>
>南京事件が有った、無かったと言うことでは無くて、田中氏を改ざん者とするレッテルを貼る事でしか、攻撃材料が無いわけですから・・・
岡田だって南京事件を語る材料ほ他にも持っていますよ。
只、議論というのには順番が必要なのです。
まじめな議論を行う前には、まず改竄者や捏造者やトンデモさんたちにはお引取りを願いたいのよ。
>田中氏は改ざん者だ→著書は信用出来ない→南京事件は有った。
これこれ,、松尾さん
嘘はよくないよ
岡田は「田中氏は改ざん者だ→著書は検証なしでは一切信用出来ない」とは言い続けてるけど、
一度も「田中氏は改ざん者で著書が信用出来ないから南京事件は有った」等と述べていないよ。
>正直言って、このホームページ製作者である私を説得できない限り、田中氏の論文は掲載し続けます。
松尾さんにはどうやっても、「田中正明氏が他人の日記に書き加えを行ったのが改竄行為だ」
という単純な事実が理解できないようで・・・
>今時の若者だってバカじゃないですから。少なくとも納得出来る論法では無いし、第3者だって笑いますから。私の仕事場でココの掲示文を読んで笑ってました。
・・・何か笑われているのは松尾さんのように思えるのだけど・・・
岡田さんは、田中氏の事ばかり述べてますが、
>一度も「田中氏は改ざん者で著書が信用出来ないから南京事件は有った」等と述べていないよ。
じゃあ、南京事件は無かった事を否定している訳ではないのですね。安心しました。
じゃあ、田中氏の改ざん事件は事実ということで構いませんよ。私は痛くも痒くもありませんから。
でも、岡田さんが南京事件否定者とは、感激しました。いや、ありがとうございます。(笑)
松尾氏>
>じゃあ、南京事件は無かった訳ですね。
誰がそんなことを言ったのかな?
>岡田さんは、田中氏の事ばかり述べてますが、
>>一度も「田中氏は改ざん者で著書が信用出来ないから南京事件は有った」等と述べていないよ。
>じゃあ、南京事件は無かった事を否定している訳ではないのですね。安心しました。
おいおい
岡田は南京虐殺があったと判断しているよ。
岡田は田中正明氏のような改竄者の説を無視しています。
したがって田中氏以外から得た資料や文献を元に「南京虐殺があった」と判断しています。
>じゃあ、田中氏の改ざん事件は事実ということで構いませんよ。私は痛くも痒くもありませんから。
# 「じゃあ・・・事実ということで構いません・・・痛くも痒くもありませんから」?
# 上の松尾氏の書きこみをみると、松尾さんからは南京虐殺について真面目に考察しようという姿勢が伺えないような・・・
>でも、岡田さんが南京事件否定者とは、感激しました。いや、ありがとうございます。(笑)
そんな訳ないでしょう。
島流しさん>
>今回のまとめだと、「書き加え」=「捏造」ということですが、
>この一連の投稿の最初から、岡田さんが「書き加え」はすべて「うっかりミスではありえない」だと
>主張されているわけではないでしょう?
岡田は最初から「書き加え」はすべて「うっかりミスではありえない」と主張しています。
>岡田さんの最初の投稿(確か3月5日?)
>での主張では、そうはなっていなかったと思われます。
岡田の最初の投稿でも書き加えはすべてうっかりミスではありえないと主張しています。
只、ここで島流しさんが岡田の文章を誤読されたのも無理の無いことで、
最初の投稿の元になる文章を書いた時点(1998年9月)では、問題の文章の書き加え部分を
勘違いしていたのです。
>その投稿の内容を
>私流に翻訳すると、(これは改竄ではないですよ)
翻訳というより要約ですね。
要約には間違いがあっても、普通は「改竄」と呼ばないでしょう。
島流しさんの「翻訳・要約」は不正確なので、岡田が当時の主張を要約します
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>田中氏の「書き加え・書き換え」を仔細に検討してみると、どうも
>でたらめに「書き加え・書き換え」が行われたというよりも、ある意図を
>もって行われているような印象を受ける。
原文と田中氏の訳の違いを仔細に検討してみると、以下のような不自然な点がある。
(1)単独の間違いなら矛盾が発生するはずなのに、複数の間違いが組み合わさって
見かけ上矛盾が消えている。(日付だけ間違えたなら、日記内容に矛盾が起きるのに
日付と都市名の両方間違えているために、見かけ上矛盾が消えている)
(2)原文にまったく存在しなかった一文が追加されている。
(3)間違いが、全て田中正明氏にとって都合がいいものである。
>すなわち、南京で大虐殺が無かった
>という主張に有利になるような印象を与えるように、「書き換え・書き加え」が
>行われているようだ。
「うっかりミス」なら(1)(2)(3)のような事は通常起こり得ない。
したがって、原文と田中氏の訳の違いは「うっかりミス」ではありえない。
>従って、私は、このことを一つの証拠として、
>田中氏は、自分の主張に有利になるように、松井大将の日記の一部を
>「書き換え」たり、「書き加え」たのではないかと推測する。
「うっかりミス」でありえない(1)(2)(3)が含まれているので「改竄」である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
# 島流しさんの「要約」では、岡田が単なる「印象」を元に田中正明氏が
#「改竄した」と推測したことになっている。
# 実際には、岡田は「具体例」を例示して田中正明氏の「改竄」を立証してる。
>ということですよね?これは、つまり、「改竄・捏造」には
>「意図性」を示す証拠が必要だ、ということに(たぶん無意識のうちに)
>気づいていたということですね?
岡田は当時から「書き加え」は「改竄」であると考えていましたよ。
田中氏の原文にはない文章の挿入行為については
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/7kaizan.htm
このページが詳しいと思います。
また
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/s-kokusaiho.htm
このページによると「上海戦と国際法」には
「漠然たる嫌疑位で之を行ひ、甚しきは確たる證據なきに重刑に處するなどは、形勢危胎に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、理に於ては穏當でないこと論を俟たない。」
という記述があるそうですが、松尾さんのページには
http://www.history.gr.jp/nanking/nanking.html#09
引用されていませんね。どうしてこの部分を省略されたのでしょうか。教えてください。
あとユス・コーゲンスについてはどうお考えでしょうか。これも教えてください。
>おいおい
>岡田は南京虐殺があったと判断しているよ。
>岡田は田中正明氏のような改竄者の説を無視しています。
>したがって田中氏以外から得た資料や文献を元に「南京虐殺があった」と判断しています。
田中氏以外の人物で虐殺肯定派というと洞富雄、藤原彰、笠原十九司、本多勝一、秦郁彦、板倉由明といった人物を上げる事が出来ます。
虐殺があったとするなら、それらの人物達の根拠を用いているか、もしくはそれなりの資料を根拠に述べている様子ですから。
>したがって田中氏以外から得た資料や文献を元に「南京虐殺があった」と判断しています。
との事ですから、その根拠をお示し下さい。それとも田中氏の話題以外は怖くて話せないのでしょうか?だっとしたら討論になりませんね。
私は、「南京大虐殺」という事件は物理的にも有りえないと考えておりますし、何も自分のHPで田中氏の論文だけを根拠に申している訳ではありません。
阿羅健一先生の「聞き書 南京事件」には陥落当時から翌年の「南京大虐殺」があったとされる当時に南京に滞在していた人たちの聞き取りインタビュー記事が掲載されています。
いずれこれらの記事も掲載しますが、記事だけではなく、フィルムも数多く残されています。特に注目できるのは3つのフィルムで、記録映画「南京」は南京陥落翌日の朝から、翌年の2月までの記録が映されてます。さらにパラマウント映画のアーサー・メンケン達が陥落当時に撮影したニュースフィルム、マギー牧師の16ミリフィルム。特にマギーが日本軍を憎悪しており、意図的に下を撮影していたにもかかわらず、それら死体には日本軍との戦闘で死亡した兵士や、後ろでに縛られ(針金で・・・日本陸軍は針金を携行していない)殺害されて、城内で(支那の方法で)処刑を受けた平服を着て(多分民間人かも?)一見して国民党の殺害であると理解出来る映像も数多く存在します。これらの映像の中では平穏に暮らす多くの南京市民が撮影されています。これらを根拠としても洞富雄、藤原彰、笠原十九司、本多勝一らの主張する「南京大虐殺」なるものは、ウソであると証明されます
>田中正明氏に悪意の推定がある場合、(悪意のなかった事の)立証責任は田中正明氏に移るのです。
浅見さん、何度もくり返しますが、「推定」のみでものを言っては、せぜいが「疑惑」にすぎませんよ。
「推定」に対して、何を「立証」せよとおっしゃるんですか?
「推定」というのは、確たる根拠が無いから「推定」なんです。
そして、「無かった」ことを理論的に立証することはできません。
あくまで、「有った」とする方の根拠をつぶしていくことによって”間接的”に立証するしかないんですね。
浅見さんの言うとおりなら、以下のような事態も生じるわけです。
ある日、ある場所で、人が殺された。そこへ、ある人が通りかかり死体を発見し、警察に通報した。駆け付けた警察または刑事がその発見者に対して
「経験則から言うと、第一発見者が犯人と推定される。そのような推定がある場合、お前が犯人でないことの立証責任はお前に移るのです」
と言ったとします。「犯人でないことの立証責任」とは「無罪の立証責任」のことです。
こんな無茶な話しがありますか?
刑事裁判では、「殺人罪」の適用を求める場合、「殺意」の立証責任は検察側にあります。
ところが、検察官が
「本件被告は被害者Aを死に至らしめたのであり、そのような行為をなした者は『殺意』があったと『推定』されれのである。そのような『推定』がある場合、『殺意』のなかったことの立証責任は被告側に移るのです」
と主張したとしましょう。はっきり言って、こんなこと言った検察官は、もう法廷には立たせてもらえないでしょう。
>ここは単線型掲示板の性質と投稿数の多さから流れが早いので議論がきついですね。
確かにそうですね。議論の跡をたどるのが結構つらいですね。
>まあ、お互いに議論を延期できるなら延期したいということで停戦に合意しますよ。
そうしますか。私と浅見さんの考え方の違いが、明らかになりましたから。
>将来、「中日自由討論留言版」で再開しませんか?参照URLにしときます。
そうですね。それまで、浅見さんには是非、「疑惑」と「判断」の違いと、「無いことの立証」について考えておいてみて下さい。
>>>田中正明氏の訳文には、原文に存在しない以下の文が書き加えられている。(岡田氏)
>>私は、(岡田さんが引用した部分に関しては)「書き加え」について論じているのではありません(「書き
>>加え」については、また別の話しです)。
>あの〜
>岡田が「改竄」断定の根拠にしてるのは、田中正明氏による「書き加え」の部分なのですが・・・
>(岡田氏)
まあ、ここでは、私は「書き換え」と「書き加え」を区別して論じているのですよ。
改竄とは「字句などをあらため直すこと」(『広辞苑』)です。「書き加え」より「書き換え」の方がしっくりくるでしょう。そして「書き加え」については、白虎党さんから「竄入」という言葉の提示もあった。
従って、「改竄:書き換え」、「竄入:書き加え」というふうにも整理できるわけです。
そして、私はまず「書き換え」から論じているんですよ。ものには順番というものがありますからね。
それが岡田さんのいう「厳密な定義」の実践というもんですよ。
岡田さんは、「書き換え」については、問題にしないということですか?
そうだとすると、以下の岡田さんの投稿はどういう意味があるのですか?
============================
岡田には以下の文章は、田中正明氏の「責任を認めない言い訳」にしか読めませんが。....
>>隠さなければならぬことは何もないのです。そのほとんどは、私の筆耕の誤植、脱落、あるいは注記すべきところをしなかった等の不注意によるものであります。
-------------- 以上 Angelixさん(投稿番号:2675)より引用 --------------
『不注意による書き間違い、書き忘れ、注の不備はあったが』
・・・・・
>>なにぶんにも兵馬こうそうの間に走り書きされた日記で、しかも大将独特の難解な草書体で読みとることのできない不明の箇所が多く、その中の一字を判読するのに、三時間も四時間も要し、それでもなお読みとることができなかった例がいく箇所もありました。
-------------- 以上 Angelixさん(投稿番号:2675)より引用 --------------
『日記は走り書きの草書体でとても読みにくかった』(愚痴)
>>このほかに、不鮮(すくなからず)、如此(かくのごとき)、不詳(くわしからず)、併(ならびに)、方(まさに)、不審(つまびらかならず)、仍而(よって)、太(はなはだ)、此(かかる)、遽(にわか)・・・・・・・等々数えあげれば際限ありませんが、これらの漢文調の文字を、現代の読者に読みやすくする配慮から、かなまじり文になおし、あるいは新かなづかいにそって、おくりがなを付したり、句読点を付すなど、語句の扱いに配慮を欠いた点は認めますが、
-------------- 以上 Angelixさん(投稿番号:2675)より引用 --------------
『漢文調を仮名交じり文に直しただけだ』
・・・・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
田中氏の発言には「自己正当化」や「他者に対する罵倒」に相当する部分はあっても
「謝罪」に相当する部分はありませんが?
=============================(岡田氏)
岡田さんは、「『責任を認めない言い訳』にしか読め」ないとして、これらの例をあげた上で、「『謝罪』に相当する部分はありませんが?」としていますね。
「改竄問題」を論じるにあたって、「書き加え」を含まない「書き換え」なるものを、上で問題にしているではありませんか? 「書き忘れ」、「書き間違い」なんていうのもありますからね。
これら「書き換え」についても、「謝罪」に相当する部分がない、などとして非難しているではありませんか。
一方で、自分が「書き換え」を非難をしておいて、他方で、私が「書き換え」について論じたら「田中正明氏の改竄問題から外れますよ」ですか?
>「書き加え」を別な話としてしまうと、「改竄一般の話」の話にはなりえても、田中正明氏の
>改竄問題から外れますよ。
別に外れませんよ。
そもそも、岡田さんが上のように問題にしている上、板倉氏や朝日新聞が多くの「書き換え(誤訳)」を糾弾してもいたでしょ。
それらを前提にして、「田中正明氏の改竄疑惑問題」のうちの一部である「書き換え」についても言っているのであって、その問題から外れるわけでは決してありません。
>田中正明氏の改竄問題から外れたら、岡田の書き込みを中傷と非難する根拠にならないと思いますけど。(岡田氏)
私の議論は、べつに、「岡田の書き込みを中傷と非難する根拠にならない」ということにはなりませんよ。
一つは、上で述べたような理由で。
そして、もう一つの理由は、「改竄」という場合、「意図、故意」すなわち「悪意」がなければ「改竄」とは言えないのであり、「改竄」の認定においてそのことを否定している岡田さんの言説をこそ批判の対象にしているということですよ。岡田さんへの最初のレスで、浅見さんへのレスで、私は「意図」とか「故意」とか強調していたでしょ。
岡田さんは、
「岡田は『捏造・改竄』の立証には資料の書き替えが立証されていれば、意図の証明は必要ないと主張しています」
「意図を証明できなくても、資料を書き替えていたら『改竄』なのです」
「日記に書かれていないことを訳者が勝手に書き加えたら、それだけで完全な改竄行為なのよ」
「資料に訳者が書き加えを行うこと自体が改竄だと何回言ったら理解していただけるのかな?」
と言ってますが、私はここのところをこそ主に問題にしていたのですから。
>>#ある人が、ある資料から「1937年12月、日本軍は南京を攻略した」という記述を引用することにした。
>>#その人は、「(出所を明記した上で)資料には『1937年11月、日本軍は南京を攻略した』とある」
>>と書き換えて引用した。
>>
>>上の引用文では、資料の「12月」が「11月」に書き換わっていますね。
>>これは「資料の改謬」ですか? それとも「資料の引用ミス・書き間違い」ですか?
>
>岡田には上記条件だけでは資料の改謬・引用ミス・書き間違いの何れなのか判断できません。
>・・・・・
>故意か過失かが分かれば、岡田も同様に判断しますが、上記例だけでは岡田には判断できないので
>「判断保留」とします。
要するに、上の例では、「改竄」と判断するためには、「意図」(故意)の立証が必要だということですね。
上は、勿論、「書き換え」の例ですね。
では、「書き加え」の場合は、”それに関する「注記」をつけなかった場合”、「意図」(故意)を立証せずに、どうして「過失」と「故意」(「改竄」)とを区別できるのですかな?
>>「原資料」と田中氏の「翻訳」に齟齬があった。
>>↓
>>とりあえず、田中氏に「改竄者」というレッテルをはる。
>>↓
>>「改竄」には悪しきイメージがある。
>>↓
>>従って、田中氏は「悪しき人物」であるという、イメージが植え付けられる。
>>
>>こういう目的で「レッテルはり」をしているとすれば、「悪しき批判」の典型であり、その行為は批判され
>>てしかるべきです。
>こらこら、勝手に決めつけるな。
>岡田の論法は以下のようなものです
なにを早とちりして「勝手に決めつけるな」などと言っているのですか。
よく読んで下さい。私は、別に、上の論法を岡田さんのものと決め付けていませんし、仮定の上での話しをしているだけです。
例え話しをしましょうか。
A:「1タス1が3だなんていってる高校生がいるとしたらアホだな」
B:「こらこら、勝手に、俺をアホと決めつけるな。俺の計算は以下のようなものだぞ・・・・・」
主語も特定せず、仮定の上での話しをしているのに、Bはどうして「決め付け」だなんて”決め付けた”んでしょうかね。一つの理由として、まさに”図星”だったということがあげられますが・・・・。
===================
「原資料」と田中氏の「翻訳」に「書き加え」という、うっかりミスではありえない齟齬があった。
田中正明氏は書き加えた文を自説を補強するために利用した。
↓
資料を翻訳する際に「書き加え」を行うことは「改竄」である。
↓
学問の世界では「改竄」や「捏造」を行った人物の信頼性は崩壊する。
↓
学問の世界では「改竄」や「捏造」を行った人物の出した資料や文献は、第三者の検証や保証無しには、
一切評価されない。
↓
従って、田中氏の出した資料や文献やそれらを元にした主張は、第三者の検証や保証無しには、
一切評価されない。
===================(岡田氏)
岡田さんは、過去に「資料の改竄」や「資料を改竄(した)」と再三主張していますね。
この場合、「改竄(する)」の対象(目的語)は、もちろん「資料」です。そして、その「資料」とは「松井日記」(原文)に他なりません。
上では、どこにも”「資料」すなわち「松井日記」(原文)を改竄したこと”が立証されていませんね。
#「資料を改竄する」とは「資料の字句を改め直す」ことである。
#この場合の「資料」とは「松井日記」(原文)のことを言う。
#すなわち「資料を改竄する」とは「『松井日記』(原文)の字句を改め直す」ことである。
#岡田さんは、「資料」すなわち「松井日記」(原文)が改竄されたことを一切示していない。
#従って、上の論法は「詭弁」である。
「I am a boy」という資料の中の文言を、(資料からの引用として)「I am a boy, he said」として紹介したら「資料の改竄」か「間違い」である。
「I am a boy」という資料の中の文言を、「私は男である、と彼が言った」と訳したら「資料の誤訳」である。
例えば英語の試験で、「I am a boy」を「私は男である、と彼が言った」と誤訳したのを捉えて、「お前は、設問を改竄したな」と非難するバカはいまい。「お前は、誤訳したな」と言うのである。
対して、解答者が、「設問には”I am a boy, he said”とあるではないか」と反論したら、それは、設問の「思い違い、見間違い」か「改竄」かのいずれかである。