電脳・日本の歴史研究会、掲示板 ログ


田中正明改竄問題 ログ抜粋 その11



 このページは、電脳・日本の歴史研究会、掲示板( http://www64.tcup.com/6416/7867zxlotion5.html )でおこなわれている「田中正明氏の改竄問題論争」について、関係あると思われる書き込みを岡田が抜粋してつくったものです。
 論争の流れが分かるように、改竄論争関係の書き込みを全て抜粋したつもりですが、もしも不適当と思われる書き込みや、抜けている書き込みがあるようなら 岡田 y-okada@muc.biglobe.ne.jp まで指摘のメールを下さい。
 このページの存在自体に対する異議や文句がある場合も 岡田 y-okada@muc.biglobe.ne.jp までメールを下さい。
尚、このページは岡田が勝手に電脳・日本の歴史研究会、掲示板の内容を抜粋して作ったものです。

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「書き加え」でなく「注記」が問題(4) 投稿者:北の狼  投稿日: 3月29日(木)00時28分26秒

>資料を翻訳する際に「書き加え」を行うことは「改竄」である。

原文(資料)と翻訳の齟齬は、原文(資料)の「改竄」ではありません。
一つには「意訳」であり、一つには「誤訳」です。
ただし、「誤訳」には「意図的な誤訳」と「意図しない誤訳」があります。



>>原本にない文章が挿入されたことについては、そこに当然「記述変更の認識」があったことになります。
>>しかし、「記述変更の認識」があったからといって即「改竄」にあたるとは思いません。

>学問の世界では、資料や文献のの記述変更の認識があったら、即改竄でしょう。

翻訳は、普通に「記述変更の認識」を伴います。
一つは、当然に、「言語」(含む「表記」)の変更という意味で。
もう一つは、「直訳」ならぬ「意訳」という意味で。

そして、「書き加え」については、翻訳の際に、「注記」しておけば全く問題はありません。
ただし、「うっかりミス」等の「意図せぬ理由」によって、「注記」を忘れたり省いたりしてしまうこともあります。


>>「善意」や「親切
>>心」、または「認識の甘さ」からそういうことをする場合もあるわけで、「改竄」という言葉が、現在は、
>>悪いイメージで使用されるのが普通ですから、やはり「悪意」というものの立証が必要と思います。

>少なくとも「善意」、「親切心」、「認識の甘さ」から資料や文献のの記述変更を
>行った場合でも「改竄」になります。

そもそも、田中氏は「松井日記」(原文)という「資料」の記述変更を行ってませんから、田中氏が改竄したかどうかについては関係のないことなんですが・・・・。
まあ、岡田さんは、そもそも「岡田は『捏造・改竄』の立証には資料の書き替えが立証されていれば、意図の証明は必要ないと主張しています」とか「意図を証明できなくても、資料を書き替えていたら『改竄』なのです」などと言ってるのですから、上は当然の言説でしょうね。「少なくとも」という意味がよく分かりませんが。

では、資料や文献のの翻訳する際に、「ミス」、「間違い」、「勘違い」等の「意図せぬ理由」によって、記述変更を行ったが「注記」をつけなかった場合も「改竄」と言うのですか?
この質問には、(「書き換え」の場合は「意図」の立証が必要で、「書き加え」の場合は「意図」の立証が不要な)理由をつけて是非ともはっきりと答えて下さい。


># 北の狼さんは藤村新一氏の事をご存じですか?
># 藤村新一氏は、自身が石器の捏造を行い、石器の捏造が発覚したために、
>#かかわった全ての発掘に対して信頼性が崩壊しました。
># 藤村新一氏の「善意」、「親切心」、「認識の甘さ」を理由に彼を弁護する人は、
>#ひょっとしたらいるかも知れませんが、「善意」、「親切心」、「認識の甘さ」を理由に
>#「捏造」を否定する人はいません。
># 田中正明氏の「改竄」も同じ事です。

(資料の)「捏造」というのは、ありもしないものをでっち上げることですね。
それで、田中氏は、ありもしない「松井日記」(原文)なるものを「捏造」したのですか?
私は、「松井日記」(原文)なるものは(「捏造」されてないものが)実在し、それを田中氏が翻訳したのだとばっかり思ってましたが。


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「書き加え」でなく「注記」が問題(最後)  投稿者:北の狼  投稿日: 3月29日(木)00時29分06秒

>「書き加え うっかりミスでは ありえない」

田中氏が言っているように、メモの挿入という「書き加え」自体は意図したもので「うっかりミス」ではありませんが、それについての「注記」をつけなかった場合は「うっかりミス」でありえます。

問題点が明かになったでしょう。

#「書き加え」自体は問題では無いのですよ。
#「書き加え」たことを「注記」で示さなかったことが問題なんですよ。

従って、岡田さんが「書き加え」を「改竄」と証明するためには、「注記」を「意図」的に省いたということを立証する必要があるんです。でなければ、「過失」により「注記」を付けなかったのか、「故意」に「注記」を付けなかったのか(「改竄」)、分かりません。そして、「意図」の立証無しに、「改竄者」よばわりするのは「中傷」なのですよ。


103
白虎党さんへ 投稿者:北の狼  投稿日: 3月29日(木)00時31分28秒

>まず、『田中氏の著書は、「松井日記」を原文のまま、すなわち「草書体」で
>公開したのですか?』とのご質問ですが、答えは「いいえ」です。

言葉の用法として、私は、この部分に一つこだわりたいと思います。
何度か言ってきたことですが、つまり「資料の改竄」という場合は、「資料」そのもの、ないしは「資料」そのものとして紹介・引用した場合に用いるべきであって、「資料」の翻訳については「資料の改竄」という言葉は用いるべきではないということです。
私の考えを以下に再掲します。

============
ある資料に「koreha kaizandesu」という記載があったとします。

1)上の資料に「koreha kaizandehanai」との記載があるとして紹介した。
2)上の資料の記載を「これは改竄ではない」と訳して紹介した。

私は、以下のように考えます。

1)の場合
 a)意図的(故意)に資料を書き換えた場合
     ーーーー「資料の改竄」
 b)意図せずに、すなわち単なるミスによって資料を書き換えてしまった場合
     ーーーー「資料の引用ミス・書き間違い」、「誤記」

2)の場合
 a)意図的(故意)に資料を違う意味に訳した場合
     ーーーー「資料の意図的な誤訳」、「資料の欺罔的翻訳」
 b)意図せずに、すなわち単なるミスによって資料を誤訳した場合
     ーーーー「資料の意図せざる誤訳」、「資料の翻訳ミス」

以上、私は、「ある人間が、資料を書き換えることにより『資料を改竄』した」と主張するためには、1ーa)であることを立証すべきと考えます。
==============

これについては、白虎党さんは、どう思われますか?
まあ、私は、他の人と話しを合わせるために、上の区別を曖昧にしたまま論を進めている部分もありますが(でないと話しが前に進まないので)、常に上のような問題意識はもっているのですが。

>次に、うっかりミスや誤訳か否か、改竄か否かは、真正の原本との突合せ
>により、どのくらい、どのような異同が、対象史料との間に認められるか、
>を調べて判断する以外にありません。もちろんこの場合、対象史料の取材
>や編集などに関わった人の説明もまた、十分な判断材料の一つとなると思
>います。

その通りですね。だから、私としては、「改竄」と判断するなら、(うっかりミスや誤記等と区別するために)「悪意」があったことを合理的に確信させる程度に立証せよ、と言っているのです。


>ただし、原本には無い「文」(文字・語句のみでなく)があったり
>すると、改竄の疑いは、とりあえず濃厚となると思います。

私は、それだけで「濃厚」とまでは言えないと思います。
というのは、翻訳というのは「直訳」のみが翻訳ではありませんね。「意訳」も翻訳の一種ですので。


>しかし、それは注釈部分で、注、や、他の何らかの方式で、本文と明別し損なっ
>た、ということも、これまたあり得ることです。この場合、これを竄入というそ
>うですが。

「竄入」ですか。いろいろな言葉があるもんですね。
「改竄」とは言わない、ということですね。

「ラーベの日記」については、厳密にはおっしゃる通りでしょうね。まあ、「通称」、「俗称」として、私は「ラーベの日記」という言葉を使っていますが。

>上のように、私の書き込みは、語義から入った一般論として受け取ってく
>ださい。各氏が述べられたことでもありますが、私の考えでもあります。

白虎党さんの意図は了解しましたし、勉強にもなりました。
ただ、私としては、「改竄」という言葉に悪い意味が込められている以上、「改竄」と非難するのであれば、「悪意」の立証をあくまで求めますが。


104
真剣な 議論の前に ごみ掃除 投稿者:岡田  投稿日: 3月29日(木)00時50分13秒

>>したがって田中氏以外から得た資料や文献を元に「南京虐殺があった」と判断しています。
> との事ですから、その根拠をお示し下さい。

 もちろん南京虐殺があったという論を展開する際には根拠を示しますよ。

>それとも田中氏の話題以外は怖くて話せないのでしょうか?

 このような掲示板で議論を行う際に、同時に複数の論点を出すと、相手に逃げられやすいので、
一個ずつ議論しようとしてるだけです。

 そして、真面目な議論をする前に、まず済ませておきたいのが、改竄や捏造やトンデモの排除です。
 だから、「田中正明氏の改竄」を論点にしてるのです。

# 岡田が「田中正明氏の改竄行為」を話題にするのには、もう一つ理由があります。
# 岡田は「真面目に議論をする気がなく、プロパガンダをたれ流すだけの人」とは、
#あんまり議論をしたくないです。
# 岡田の知る限りでは、相手が真面目に議論をする気があるか否かを判断するのに、
#「田中正明氏の改竄行為」の話題は、かなり有効な試金石です。

# 岡田の知る限りでは、「田中正明氏の改竄行為」について具体例をあげて立証すると
#(虐殺を否定している人でも)真面目に議論する気のある人なら、田中正明氏を非難します。
#(もっとも、田中氏を非難しても、虐殺を肯定するよう態度を変える人はいなかったと思うが)
# どんなに明確な証拠を示されても、「田中正明氏の改竄行為を擁護」する人は、
#プロパガンダを語りたいだけで、真面目に事実関係を語るつもりが無いものと思っています。
# どんなに明確な証拠を示されても、間違いを認めない人との討論はやりたくないです。

>私は、「南京大虐殺」という事件は物理的にも有りえないと考えておりますし、何も自分のHPで田中氏の論文だけを根拠に申している訳ではありません。

 根拠の一部に「改竄者田中正明氏の論文」を使っている時点で、松尾さんの説も信頼性が無くなるのだよ。
 真面目に議論したいのなら、「改竄者田中正明氏の論文」以外の物を根拠にしないといけない。
 どうしても「改竄者田中正明氏の説」と同じ説を唱えたいなら、自分で改竄者田中正明氏の
引用前の原本にあたり、検証しなければいけないのだよ。


105
松尾氏の 証明説は 冗談か? 投稿者:岡田  投稿日: 3月29日(木)00時52分27秒

松尾一郎>
>阿羅健一先生の「聞き書 南京事件」には陥落当時から翌年の「南京大虐殺」があったとされる当時に南京に
>滞在していた人たちの聞き取りインタビュー記事が掲載されています。
>いずれこれらの記事も掲載しますが、記事だけではなく、フィルムも数多く残されています。特に注目でき
>るのは3つのフィルムで、記録映画「南京」は南京陥落翌日の朝から、翌年の2月までの記録が映されてま
>す。さらにパラマウント映画のアーサー・メンケン達が陥落当時に撮影したニュースフィルム、マギー牧師の
>16ミリフィルム。特にマギーが日本軍を憎悪しており、意図的に下を撮影していたにもかかわらず、それら死
>体には日本軍との戦闘で死亡した兵士や、後ろでに縛られ(針金で・・・日本陸軍は針金を携行していない)殺
>害されて、城内で(支那の方法で)処刑を受けた平服を着て(多分民間人かも?)一見して国民党の殺害であ
>ると理解出来る映像も数多く存在します。これらの映像の中では平穏に暮らす多くの南京市民が撮影されてい
>ます。
>これらを根拠としても洞富雄、藤原彰、笠原十九司、本多勝一らの主張する「南京大虐殺」なるもの
>は、ウソであると証明されます

 おいおい
 「南京に滞在していた人たちの聞き取りインタビュー記事」「フィルム」「記録映画南京」
「アーサー・メンケン達のニュースフィルム」「マギー牧師の16ミリフィルム」では虐殺を
否定する証明になっていないよ。
 上記証拠から導けるのは、せいぜい「インタビューされた人たちが虐殺を見ていなかった」
「カメラのレンズの前では虐殺が行われていなかった」位ですよ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「見ていなかった人がいる、だから無かったのだと」いうのは証明になっていません。
 ほとんど冗談です。
 実際に「見ていなかった人がいる、だから無かったのだと」という屁理屈をネタにしたジョークもあります。

 ちょっと、以下の小話を読んでみて下さい。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 わが辣腕弁護士の家系は、代々弁護士である。彼の曾祖父が田舎で初めて開業したときのことだ。最初の依頼人は、豚を三匹盗んだ廉で裁判にかけられた百姓だった。
 その百姓が豚を盗むところを見た証人が三人もいた。だが、わが辣腕弁護士の曾祖父は、ちっとも怯む気配を見せなかった。彼は裁判官にこう言ったのである。
「わが依頼人が豚を盗むところを見た証人は三人です。しかし、私は依頼人が豚お盗むところを見なかった証人を十二人も用意しています。どうか、このことをよくお考え下さい。三人対十二人ですぞ」
 裁判長はしばらく熟考に沈んだ。
「十二人の人間が見ておらず、三人しか見たものがおらんのだから、本官は被告の釈放を命じる」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 上記は角川文庫の「ポケットジョーク 5巻 ブラックユーモア」という本に載っている小話です。

 松尾さんは上記小話の何処が滑稽なのか理解できますか?


106
田中氏の 「挿入」過失で 有り得ない 投稿者:岡田  投稿日: 3月29日(木)01時42分34秒

北の狼さん>
>「改竄」という場合、「意図、故意」すなわち「悪意」がなければ「改竄」とは言えないのであり、「改竄」の認定において
> そのことを否定している岡田さんの言説をこそ批判の対象にしているということですよ。
>岡田さんへの最初のレスで、浅見さんへのレスで、私は「意図」
>とか「故意」とか強調していたでしょ。
> 岡田さんは、
>「岡田は『捏造・改竄』の立証には資料の書き替えが立証されていれば、意図の証明は必要ないと主張しています」
>「意図を証明できなくても、資料を書き替えていたら『改竄』なのです」
>「日記に書かれていないことを訳者が勝手に書き加えたら、それだけで完全な改竄行為なのよ」
>「資料に訳者が書き加えを行うこと自体が改竄だと何回言ったら理解していただけるのかな?」
> と言ってますが、私はここのところをこそ主に問題にしていたのですから。

 要するに北の狼さんは「改竄に意図/故意が必須か否か」について議論したいわけですね?
 ちなみに、北の狼さんが「意図あり」と判断する必要条件と十分条件はどのようなものでしょうか?
# 「意図あり」と判断する必要条件と十分条件が明確になっていないと、北の狼さんの説は意味が無いと思うが?

> では、「書き加え」の場合は、”それに関する「注記」をつけなかった場合”、「意図」(故意)を立証せずに、どうして「過失」と「故意」(「改
>竄」)とを区別できるのですかな?

 岡田は「過失でも起こり得るような書き加え」の場合には、「改竄」とは断定しません。
 「過失では起こり得ない書き加え」の場合に「改竄」と断定します。

 日記の文を訳す場合に日記の地の文の途中に「注記」をつけて訳者が挿入する可能性があるものとしては、
(1)日記の文章の解説とか、(2)訳者の意見/主張などがあります。
 日記の文章の途中に解説以外で、作者のメモを「注記」をつけて挿入することはありえません。
 また、日記の文章の途中に解説以外で、日記の他の部分の訳を「注記」をつけて挿入することもありえません。

 田中正明氏の訳の場合は、日記の文章の途中に「メモ」だか何週間か前の日記(それも不正確な)だかが
注記なしで「書き加え」られています。
 このような「書き加え」は過失では起こり得ません。

 田中正明氏の「書き加え」は「改竄」です。


107
岡田さんがそうならそうでいいんじゃないですか 投稿者:松尾一郎  投稿日: 3月29日(木)22時48分16秒

あえて述べませんが、岡田さんがご満足ならそれでよろしいんじゃないでしょうか。
なお、北の狼さん、Tetsuさん、皆さんご迷惑お掛けしています。
 本来は私がきちんと述べなくてはいけない部分も多々有ると思いますが、なにぶん時間が許せないところもあり、申し訳ございません。
 ところで、私岡田さんに関しては、どうぞご自由に・・・と言うことで、南京事件に関して具体的な事は話されない様子ですから、ご自由になさって下さい・・・という結論でございます。
 南京事件の真実とか、そういったモノではないようですから。虐殺があれば根拠が存在します。なければ根拠を示す訳です。小林よしのりさんがゴー宣で、殺人容疑者に対して殺人の証拠も無いが、殺してない証拠も無い・・・といったコマがありましたが、その域ですよ。
 多分、団塊世代って私達の世代をバカにしてるんじゃないでしょうか?そんな気がしました。


108
ごみ掃除 すんだら議論 はじめます 投稿者:岡田  投稿日: 3月29日(木)23時37分24秒

松尾一郎>
> ところで、私岡田さんに関しては、どうぞご自由に・・・と言うことで、南京事件に関して具体的な事は話されない様子ですから、ご自由になさって下さ
>い・・・という結論でございます。

 おいおい
 岡田だって南京事件について真面目に具体的な議論するつもりはありますよ。
 只、岡田はゴミ(改竄者)掃除を済ませた後、言葉の定義の確定を行ってから、議論を行いたいのです。

# 改竄が認められているようなところではまともな議論はできないだろうし。
# 言葉の定義が曖昧だと議論が空回りするだけだと思うし。
 現在のところ、何故かゴミ(改竄者)を擁護する人がいて、なかなかゴミ掃除(改竄者の排除)が進みません。


109
南京事件そもそも無辜の一般人殺害か始まってます。 投稿者:松尾一郎  投稿日: 3月30日(金)00時22分53秒

そもそも南京事件はどこから始まったのか?東京裁判の判決文にあるように、主に民間人や婦女、子供を20万人殺害から始まった。ところが当時100人を越える報道陣が南京にはおり、誰1人として虐殺を見たと言ったものはいない(1人はいるが同僚の記者に否定されている)。昭和40年代に本多勝一、洞富雄、朝日新聞が大宣伝をして「南京への道」「中国の旅」を出版したが、裁判を敗訴するなどとして否定されてしまった。虐殺派は東京裁判時には述べられなかった、捕虜の殺害を持ち出したり、南京大虐殺の日時、範囲を広げようとし、何とかして虐殺をした様に見せようとするが、結局は全て証明とはなっていない。つまりは、東京裁判そのものの証拠を採用とせず、独自にねつ造を始めた訳である。「松井大将陣中日誌」の原文には南京虐殺が有ったとは1言も書いておらず、虐殺を否定する事となるが、田中氏の論文に対して何ら対抗できないがために、イメージ戦で信用の失墜を行うが、冷静に文章を読めば明らかである。具体性に欠ける、論法でいくら虐殺が有ったと述べても、納得は出来ない。
 確かにこのページは虐殺は無かったとするページだが、何も根拠無しに言っている訳ではなく、虐殺派と否定派、互いに読み、資料を検討した結果の結論であり、根拠を示さない限りは納得も出来ないし、削除しようもない。


110
証拠提出の義務 投稿者:松尾一郎  投稿日: 3月30日(金)00時30分24秒

ます、述べて置きたいのが、根拠提出の義務。
これはいつも・・・思うから、・・・のはず。では話にならない。
主張をするのであるなら、その根拠を示して頂きたい。特に浅見さん。
相手に証拠を提出せよ。ではなく、どうしてそう思うのか?その根拠を示すべき。
私はホームページにてその根拠を示しています。であるにも係わらず、・・・示せ。では話になりません。その上、一方的に1つだけの資料を根拠に「改ざん」と断ずるのは自由ですが、これは「南京事件」が有った、無かったとか建設的な論議でもありません。そう思うなら、それで結構です。
 ですが 「ゴミ」 とか 誹謗中傷 の単語使用はお止め下さい。お願い致します。


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以上は、改竄問題の101番目から110番目までの記事です。