電脳・日本の歴史研究会、掲示板 ログ


田中正明改竄問題 ログ抜粋 その12



 このページは、電脳・日本の歴史研究会、掲示板( http://www64.tcup.com/6416/7867zxlotion5.html )でおこなわれている「田中正明氏の改竄問題論争」について、関係あると思われる書き込みを岡田が抜粋してつくったものです。
 論争の流れが分かるように、改竄論争関係の書き込みを全て抜粋したつもりですが、もしも不適当と思われる書き込みや、抜けている書き込みがあるようなら 岡田 y-okada@muc.biglobe.ne.jp まで指摘のメールを下さい。
 このページの存在自体に対する異議や文句がある場合も 岡田 y-okada@muc.biglobe.ne.jp までメールを下さい。
尚、このページは岡田が勝手に電脳・日本の歴史研究会、掲示板の内容を抜粋して作ったものです。

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111
不思議 投稿者:白虎党  投稿日: 3月30日(金)01時57分16秒

北の狼さん、こんばんは。

>ある資料に「koreha kaizandesu」という記載があったとします。

>1)上の資料に「koreha kaizandehanai」との記載があるとして紹介した。
>2)上の資料の記載を「これは改竄ではない」と訳して紹介した。

>私は、以下のように考えます。

>1)の場合
> a)意図的(故意)に資料を書き換えた場合
>     ーーーー「資料の改竄」
> b)意図せずに、すなわち単なるミスによって資料を書き換えてしまった場合
>     ーーーー「資料の引用ミス・書き間違い」、「誤記」

>2)の場合
> a)意図的(故意)に資料を違う意味に訳した場合
>     ーーーー「資料の意図的な誤訳」、「資料の欺罔的翻訳」
> b)意図せずに、すなわち単なるミスによって資料を誤訳した場合
>     ーーーー「資料の意図せざる誤訳」、「資料の翻訳ミス」


>以上、私は、「ある人間が、資料を書き換えることにより『資料を改竄』した」と
>主張するためには、1ーa)であることを立証すべきと考えます。
>==============

>これについては、白虎党さんは、どう思われますか?

芙蓉書房版が所蔵原本との間に異同がある、改竄の疑いもある、だから
それを使わずに所蔵原本を閲覧させてもらう。南京事件の史実自体を研
究するなら、それで済むものと考えます。ただし、田中氏の他著につい
ても、その引用史料は原本に当たる必要があります。これはこの場合、
自然のことだと思います。

しかしこの段階で、これをいわゆる改竄と判断し、さらに田中氏を改竄
者と指弾する場合は、氏に改竄の意図有りを「立証」する必要が、厳密
には、あると思います。ましてや氏は、この件について弁明しているの
ですから。

(白虎党)ただし、原本には無い「文」(文字・語句のみでなく)があったり
すると、改竄の疑いは、とりあえず濃厚となると思います。

(北の狼氏)私は、それだけで「濃厚」とまでは言えないと思います。
というのは、翻訳というのは「直訳」のみが翻訳ではありませんね。「意
訳」も翻訳の一種ですので。

誰にも判読可能な楷書体へと、草書体を直すことを、翻訳とは言わないで
しょう。現代人に提供するため、書体は変えざるを得ないものの、日記原
文(文体は文語体)の、言わば転記なのであって、現代文・口語体に直した
もの、原文並記なしの口語訳のみを表記したもの、などという内容を目指
した本ではないのでしょう? ならば、原文を部分的にでも、「意訳」のた
めに変更してしまったら、それはまずいことになります。

また、濃厚、は、疑惑、でも良いのです。とにかく、そうした意識の発生
は避けられない、という意味です。

それはともかく、私が不思議でならないのは、本を出したら、史料提供で
世話になった人(この場合は原本所蔵者)に、刊行された本が出版社または
著者から、御礼、献本として届けられます。つまり、この段階で、異同が
発見される可能性が高いこと、など、著者には当然予想がつくはず。なの
に、なぜ? と不思議でなりません。なにしろ、照合可能な真正原本が、個
人の所蔵とはいえ、有るのですから。氏が、そこまで思わなかった、とい
うことも有り得ますが、ちょっとそこまでは信じられないですね。ここか
ら逆に、(悪意の)改竄ではなかった、不注意や不慣れのミスかも(大きい
ミスだが)、という考えも、私には生じてくるのです。

それと、介在した出版社、その編集制作者の関わりが見えてません。どの
ように、どこまで、編集・制作に関わったのか、どんなやりとりがあった
のか。この問題には、あるいは無関係なのかも知れませんが、田中氏のみ
では本になりませんので、本当は押さえておく必要があるプロセスかと、
思います。

だから、全貌は見えてない、刊行史料が原本と違う部分があるという認識
が、明確に私に有るのみで、田中氏がどうの、ということは私には言えな
い段階です。







112
眠いといいながら疑問が 投稿者:北の狼  投稿日: 3月30日(金)02時18分46秒

せっかく、岡田さんが「過去ログ」を用意してくれましたので、読ませてもらいました。
そこで、ちょっと、確認させて欲しいのですが。

岡田さんは、「疑問点となっているのは芙蓉社刊『松井大将陣中日誌』の昭和12(1937)年12月23日の記述です」として、以下のようにありますね。

=========================================
松井大将の日記の原文

「尚十一月三十日再ビ右両通信員ト会見シ上海占領後ニ於ケル我軍ノ態度方針ヲ説明シ上海付近ニ於ケル列国ノ権益ヲ保護スル為予ノ執リタル苦心ノ程ヲ開陳セルニ彼等ハ我軍ノ公平ナル態度ニ感謝ノ意ヲ表セリ」

田中氏の記述(『』は原文とのズレの部分)

「尚『十二月二十三日』、再び右両通信印を『招致して南京陥落が各国に与えたる影響につき意見を微するとともに、南京』占領後における我軍の態度方針を説明し、『南京』付近における列国の権益を保護する為め、予の執りたる苦心の程を開陳し、『パネー号事件の経緯と陳謝の意を表明す。』彼等は我軍の公正なる態度にむしろ感謝の意を表せり」
=========================================


11月30日の記述は以下のとおりなんですね。

=========================================
『南京戦史』

「此日倫敦タイムスノフレザア及紐育タイムスノ「アベンド」ヲ招致シ 予ノ上海占領及ビ其後ニ於ケル態度ヲ説明シ 就中 上海ニ於ケル列国ノ権益ヲ保護スル為メ予ノ執リタル苦心ノ程ヲ説明セリ 彼等能ク予ノ意ヲ諒シ 且ツ我軍ノ公正ナル態度ニ付尊敬感謝ノ意ヲ表シ 各本国ニ向ヒ委曲通信スヘキヲ約ス」

芙蓉社刊『松井大将陣中日誌』

「此日倫敦タイムスのフレザー及紐育(ニューヨーク)タイムズのアベンドを招致し、予の上海占領及其の後に於ける態度を説明し、就中(なかんずく)、上海に於ける列国の権益を保護するため、予の執りたる苦心の程を説明せり。彼等能く予の意を諒し、且つ我軍の公正なる態度に付き尊敬感謝の意を表し、各本国に向ひ委曲通信すべきを約す。」
========================================


また、田中正明氏の芙蓉社刊『松井大将陣中日誌』では、12月23日の記述は以下のようになっているわけなんでしょ。

=========================================
 「十二月二十三日(晴)
 二週間振りに帰来す。上海情勢漸次平静に向かひつつあるも、南市の処分未だ終らず、滬西方面にある外国人の居住も一応は許可せるも、支那人の出入自由ならざる為め実行意の如くならず。
 其後の謀略に付原田少将、楠本大佐を招致して情況を聞く。是亦多少共進展の模様にて、上海在住実業家を網羅する和平、救民運動は漸く其緒に就かんとしつつあるも、未だ十分の纏りを見ず、一層の努力を要するものと思はる。思ふに先日来のパネー号事件、蕪湖事件等英米の抗議に対する東西の衝撃が兎角に上海支那人中にも鋭敏に影響するものあらん乎。
 ”此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京占領軍と其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、然る後在上海の各国通信印と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本方針及パネー号に対する善後処置なり。
 編者注 南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が「南京虐殺」に関する質問を受けたという様子が全くみられない点、注目すべきである。 ”
==========「””」は北の狼で、田中氏が挿入した部分============


岡田さんが冒頭で指摘している部分は、どういうことなんですか?


113
白虎党さんへ 投稿者:北の狼  投稿日: 3月30日(金)03時13分35秒

こんばんは。

>ただし、田中氏の他著についても、その引用史料は原本に当たる必要があります。
>これはこの場合、自然のことだと思います。

原本にあたらずとも、他の人も(原本から)引用しており、それと齟齬がないか確認するということでもいいと思いますが。
現在は、田中氏が用いている資料は、殆ど他の著書で確認できる状況なのではないかと思います。

こうなると、田中氏を「信用するか」「信用しないか」という問題になってきますが、一度の「ミス」ぐらいで人を全く信用しなくなるほど私は疑り深くないですし、『松井日記』以外は別にそういった問題は無いんじゃないでしょうか。

>誰にも判読可能な楷書体へと、草書体を直すことを、翻訳とは言わないで
>しょう。

この場合「翻訳」とは、広い意味で理解していただきたい。
私は、同じ日本語でも、普通の人が「解読」できないような文字・文体・文章を、普通の人が分かるように書き直すことは「訳(する)」とした方が適切だとは思いますが。 「訳(する)」には、「古文を現代文にする。解釈する。」という意味もありますよね(『広辞苑』)。
実は、私も、「翻訳」ではちょっとマズイかなと思ってましたので、当初は、単に「訳(する)」としていたのですが、語呂が悪いので途中から「翻訳」としたのですが。
また、(字が汚いとかで)読みにくい文字や文に対して、「誰か、これを訳してくれよ」なんてこともいいますから。
従って、ここで使っている「翻訳」は「訳」とお考え下さい。

>原文を部分的にでも、「意訳」のために変更してしまったら、それはまずいことになります。

この辺は、私は柔軟に考えています。
理解しやすい、読みやすい、ということでしたら、意味・内容を変更しないという条件で、「意訳」してくれた方がいいと思う場合もありますので。

>ここから逆に、(悪意の)改竄ではなかった、不注意や不慣れのミスかも(大きい
>ミスだが)、という考えも、私には生じてくるのです。

田中氏の著書で、「メモ」の挿入は別として、原文の意味・内容を変えたというような部分は殆どないと思いますよ。どこか、ありましたっけ?
「メモ」にしたって、「注記」しておけば全く問題ないわけですしね。
殆どが「言葉使い」の違いという程度ですよね。それらについては、私としては特に「大きいミス」とは考えてはおりません。「原文の直訳」との断わりでもあれば別でしょうけど。

私は「改竄」では無いと考えています。「松井日記」(原文)を(読める人が)読めば、すぐに分かることですから。「ミス」は誰にでもあることです。


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岡田さんへ(1) 投稿者:北の狼  投稿日: 3月30日(金)22時50分12秒

>要するに北の狼さんは「改竄に意図/故意が必須か否か」について議論したいわけですね?


「議論したいわけですね?」というか、私はもう既にさんざん主張もし議論もしているのですが。
以下に、私の意見を簡単に再述しましょう。


・「改竄」(字句を改め直す)という言葉には「悪しきこと」という意味が込められている。
何故かと言えば、その行為の背景に「悪しき意図」すなわち「悪意」が想定されているからである。
「悪意」がなければ、その行為は単なる「ミス」、「過失」である。
この辺は、「刑法」でいう「殺人罪」と「(過失)致死罪」の違いと同様である。
従って、ある人間の行為を「ミス」や「過失」ではなく「改竄」と称して非難する者は、「故意」、「悪意」があったことを立証すべきである。それを立証することなく「改竄」と非難する行為は、「中傷」に他ならならい。

ちなみに、「悪意」とは、「どうせ誰にも分からないであろうから、自分に都合がいいように書き直してやれ」とか「ここは一つ、読者を騙してやれ」などといった悪しき意図のことである。



「改竄」という語の用法については、以下のような意見も再述しておきます。

・「改竄(する)」というからには、当然、その対象(目的語)が前提されている。
その対象とは「資料」であり、資料とは「松井日記(草書体の原文)」に他ならない。
しかし、田中氏は「松井日記(草書体の原文)」そのものを改め直して出版したわけではない。
あくまで、それを氏なりに訳したもの(「訳本」)を出版したのである。
従って、この意味で、「田中氏が資料=『松井日記(草書体の原文)』を改竄した」というのは事実に反する。

参考として、私は、以下のような分類法をとるものである(既述したものを、一部改変)。

=====
ある資料に「koreha kaizandesu」という記載があったとする。

1)上の資料に「koreha kaizandehanai」との記載があるとして紹介した。
2)上の資料の記載を「これは、改竄ではない。」と訳して紹介した。

1)の場合
   a)意図的(悪意的)に資料を書き換えた場合
         ーーーー「資料の改竄」
   b)意図せずに、すなわち単なるミスによって資料を書き換えてしまった場合
         ーーーー「資料の引用ミス」

2)の場合
   a)意図的(悪意的)に資料を違う意味に訳した場合
         ーーーー「資料の意図的誤訳」
   b)意図せずに、すなわち単なるミスによって資料を誤訳した場合
         ーーーー「資料の単純誤訳」

そして、私は、ある人間に対して資料を改竄したと非難するからには、まずは、その行為が1ーa)に該当することを立証すべきと考える。
=====


・田中氏の行為で、特に問題とされているのは、「メモの挿入」である。
「メモの挿入」自体は、非難されることではない。
ただし、そのこと(メモからの引用・転載であること)を「注記」して示しておく必要があった。しかし、田中氏は「注記」しなかった。
そして、(「メモの挿入」について考える場合は「竄入」という表現が適切なようだが)「注記」の欠落を「改竄」になぞらえて非難するからには、「ミス」や「過失」によるものではなく、「故意」や「悪意」によるものであることを立証しておかなければならない。


私の考えは、だいたい、こんなところです。


115
岡田さんへ(2) 投稿者:北の狼  投稿日: 3月30日(金)22時51分54秒

>ちなみに、北の狼さんが「意図あり」と判断する必要条件と十分条件はどのようなものでしょうか?
># 「意図あり」と判断する必要条件と十分条件が明確になっていないと、北の狼さんの説は意味が無いと思うが?



岡田さんの質問に答える前に、まずは以下の説明をしておきましょう。

(1)「意図(悪意)あり」ということを「改竄」の構成要件とするのか、しないのか?
(2)「意図(悪意)あり」ということをどのように判断するのか?

(1)と(2)は、同じく「意図あり」に関して問題にしていますが、本質的に別の問題ですね。
(1)は、「定義」や「構成要件」の問題ですし、(2)は、実際に判断する「技術」や「手法」の問題ですね。

今回の岡田さんのいう「必要十分条件」というのは、(2)についてですね。
私は、ここではもっぱら(1)について論じてきましたが、だからといって私の説に「意味が無い」ということにはならないですね。というか、まずは、(1)の問題について結論を出さないと、(2)を論じる意味合が殆どないのです。
もっとも、(2)について、技術的、手法的に絶対に判断不可能ということであれば、(1)を論じる意味が無いのですが(そういう意味では岡田さんの指摘は正しいです)、現実には「裁判」という場で日常的にその判断を下しているわけですから、判断不可能と決め付ける理由はない。

それで本題に入りますと、「必要十分条件」の「必要条件」ですが、これは”事実”そのものでしょう。すなわち、「殺人罪」で言えば「人を殺した」という事実そのものですし、「改竄」ということであれば「字句を改め直した」という事実そのものです。この事実をもとに、本人の証言や弁明、状況、証拠等を吟味・検証し、「心証」を除々に形成していくという手順を踏むことになります。
田中氏は、自分の行為については既に「ミス」であった旨弁明をしているわけです。「意図あり」の立証とは、証拠や状況に照らし合わせて、その証言・弁明を切り崩していくという作業になります。それができなければ、「証拠不十分」ということで「嫌疑」や「疑惑」にとどまることになります。

「十分条件」については、本人の自由意思に基づいた証言、すなわち「自白」ということになると思います。

==================================
==================================



> 岡田は「過失でも起こり得るような書き加え」の場合には、「改竄」とは断定しません。
>「過失では起こり得ない書き加え」の場合に「改竄」と断定します。


岡田さんの言うように、「故意」(「悪意」)の有無を基準として「改竄(竄入)」と「過失」は区別されるべきものと思います。
しかし、私は、田中氏の件については、メモの”挿入行為”自体ではなく、

#メモを挿入したことについての”「注記」の欠落”が「故意」か「過失」か? 

という観点からの議論になると考えていますが。



> 日記の文を訳す場合に日記の地の文の途中に「注記」をつけて訳者が挿入する可能性があるものとしては、
>(1)日記の文章の解説とか、(2)訳者の意見/主張などがあります。
>日記の文章の途中に解説以外で、作者のメモを「注記」をつけて挿入することはありえません。
> また、日記の文章の途中に解説以外で、日記の他の部分の訳を「注記」をつけて挿入することもありえません。


日記に限らず、資料やテキスト等の訳においては、筆者が別の情報や追加情報等を加えることは、珍しくありませんが。
「注記」という用語が悪かったですかな? 
では、「注記」ないしは”「補記」”ということではいかがですかな?


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岡田さんへ(3) 投稿者:北の狼  投稿日: 3月30日(金)22時52分40秒

> 田中正明氏の訳の場合は、日記の文章の途中に「メモ」だか何週間か前の日記(それも不正確な)だかが注記なしで「書き加え」られています。
>このような「書き加え」は過失では起こり得ません。


(メモをわざわざ挿入するなどといった)「書き加え」という行為自体は、当然、「故意」に行われます。「過失」ではありえません。実は、そもそも、「書き加え」という行為自体を「故意」か「過失」かと問うてみても意味がないのです。

例えば、車を運転していて人を跳ねたとします。その(傷害)行為が「故意」か「過失」かを判断するために、”車を運転していたこと”自体について「故意」か「過失」かと問うてみても全く意味がありません。車を「過失」で運転することなぞありえないからです。しかし、だからといって、人を「故意」に跳ねたのだ、と判断する人なぞいないでしょう。
問われるべきは、人を跳ねたという(傷害)行為自体が「故意」か「過失」か、ということですね。

他の例をあげれば、病院で、患者さんにある薬を投与する予定だったが、別の(致命的な)薬剤が投与されたとします。
”薬剤の投与”自体は、当然のこととして「故意」に為されるのであり、「過失」ではありえません。
しかし、”別の(致命的な)薬剤を投与した”ことに関しては、「故意」になされることもあれば、「過失」でなされることもあるのです。

「書き加え」という行為も、それらと同じことです。つまり、ある行為について、どういう”側面、観点”から「故意」か「過失」か問うべきなのかということです。
「書き加え」という行為自体は、当然、故意になされますが、しかし、その行為自体は「故意」か「過失」かという判断の対象にはならないのです。
「書き加え」は、そのことを「注記」ないしは「補記」で断わっておけば、全く問題はありません。
問題なのは、「書き加え」たことを「注記」ないしは「補記」で断わるべきところ、それが欠落していた、そして、そのことが「故意」か「過失」かこということにこそあるのです。



>田中正明氏の「書き加え」は「改竄」です。


岡田さんの論法:

「過失では起こり得ない書き加え」=「改竄」である。

田中氏の「書き加え」は「過失」では起こりえない。

従って、田中氏の「書き加え」は「改竄」である。


岡田さんは、上でいろいろややこしいことを言ってますが、要はこういうことです。
そもそも、凡そ(田中氏が行ったような)メモの挿入といったタイプの「書き加え」は、「故意」になされる、すなわち「過失」ではまず起こりえないのであり、そして、そのこと自体は問題にならないのです。
問題になるのは、「注記」ないしは「補記」が欠落しており、それが「故意」なのか「過失」なのかということです。
従って、最初の「過失では起こり得ない書き加え」=「改竄」という部分に誤りがあるのです。誤った前提を基にしては、正しい結果をえることはできません。上の論法は、見え透いた詭弁の典型です。



PS.老婆心ながら、板倉氏が「虐殺否定派」だというのは、訂正しておいた方がいいですよ。


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RE:女性や子供の殺害について・・・  投稿者:浅見真規  投稿日: 4月 1日(日)12時36分49秒

松尾さんの、

>私のHPで、幾度も述べておりますが、女性、子供の殺害数はまず殆ど無い
>と言えます。
>その根拠ですが、死体の埋葬を行った紅卍字会の埋葬書類には、女性と子供
>の死体は殆ど無かった事を裏付けています。

という御指摘がありましたので、紅卍字会の埋葬書類を見ようとしました。
ただ、手元にそのような資料がないので、まず、インターネットで検索するとウヨク系とおぼしきマユツバなサイトですがデータがありました。
http://www2.justnet.ne.jp/~masayoshi_fuse/kokushi/fus79x19.htm
http://www2.justnet.ne.jp/~masayoshi_fuse/kokushi/fus79x19e5.htm
本文の内容は怪しげなのですが、データはおそらく本物だろうと思われるので、それを前提に述べますと、確かに女性と子供の死体はほとんどなく、日本軍が女性と子供の死体を独自に秘密裏に処理した等の特殊事情がなければ民間人の虐殺はほとんどなかったと結論可能でしょう。

尚、上記の怪しげなウヨク系(?)サイトでは崇善堂・埋葬者数データhttp://www2.justnet.ne.jp/~masayoshi_fuse/kokushi/fus79x19e3.htm
を批判していましたが、崇善堂・埋葬者数データでさえも(上記サイトのデータは本物と仮定)、女性と子供の死体数はかなり少ないものです。

***
岡田さんへ、上記サイトの紅卍字会や崇善堂・埋葬者数データに異存がお有りなら御指摘願います。(上記サイトの本文は非常に怪しいけれど、それは無視してください。)


118
文献の 書き換え行為は 厳禁だ 投稿者:岡田  投稿日: 4月 3日(火)01時27分13秒

北の狼さん>
>>ただし、田中氏の他著についても、その引用史料は原本に当たる必要があります。
>>これはこの場合、自然のことだと思います。
>原本にあたらずとも、他の人も(原本から)引用しており、それと齟齬がないか確認するということでもいい
>と思いますが。

 「他の人の原本からの引用と齟齬がないか確認」でもかまわないでしょうね。

>現在は、田中氏が用いている資料は、殆ど他の著書で確認できる状況なのではないかと思います。

 誰か田中氏が用いている資料を他の著書で確認して、齟齬がないか保証した人がいるのでしょうか?
# 北の狼さんは確認されましたか? 松尾さんは確認されているのでしょうか?

>こうなると、田中氏を「信用するか」「信用しないか」という問題になってきますが、

 違いますね。
 第三者が確認したか否かの問題です。

>一度の「ミス」ぐらい
>で人を全く信用しなくなるほど私は疑り深くないですし、『松井日記』以外は別にそういった問題は無いんじ
>ゃないでしょうか。

 松尾氏の行為は、とても「一度のミス」というレベルではないでしょう。

>>誰にも判読可能な楷書体へと、草書体を直すことを、翻訳とは言わないで
>>しょう。
>この場合「翻訳」とは、広い意味で理解していただきたい。
・・・
>>原文を部分的にでも、「意訳」のために変更してしまったら、それはまずいことになります。
>この辺は、私は柔軟に考えています。
>理解しやすい、読みやすい、ということでしたら、意味・内容を変更しないという条件で、「意訳」してくれ
>た方がいいと思う場合もありますので。

 一般人向けの読み物だと北の狼さんの意見(意訳でもいい)も成り立つ場合があります。
 でも学問(歴史学も含む)の世界では、資料や文献に訳者・編者が手を加えることは、絶対のタブーなのです。


119
書き換えで 意味が変わって いるのです 投稿者:岡田  投稿日: 4月 3日(火)01時33分09秒

>田中氏の著書で、「メモ」の挿入は別として、原文の意味・内容を変えたというような部分は殆どないと思い
>ますよ。どこか、ありましたっけ?

 田中氏の著書では、(メモの挿入以外でも)かなり多くの部分で、原文の意味・内容が変わっています。
 いくつか例をあげてみましょうか。

(『』は書き変わっている部分を示すために岡田が挿入)
(1)昭和12年11月22日
 日記の原文 両軍ノ補給ハ連日ノ追撃前進ニ伴ハス
 田中氏の訳 両軍の補給は連日の追撃前進に伴『ひて』

 内容の違い 「補給が伴わなかった」という文が、訳では正反対の「補給が伴っていた」に書き変わっている。
 日本軍の略奪の原因として、補給の不備があげられている。
 原文だと略奪があった説を補強することになるが、訳では略奪の否定を補強するよう180°変わっている。

(2)日付 昭和12年11月22日
 日記の原文 城内残留内外人ハ一時不少恐怖ノ情ナリシカ我軍ノ漸次落付クト共ニ漸ク安堵シ来レリ
 田中氏の訳 城内残留内外人は一時『多少』恐怖の色ありしが、我軍『(による)治安』漸次落付くと共に漸く安堵し来れり

 内容の違い 「外国人は最初少なからず恐怖していたが、日本軍が落ち着いてきたので安堵した」という文章が、
「外国人は最初多少恐怖していたが、日本軍が治安を回復し安堵したに変わっている。
 原文では恐怖の対象は「落ち着いていない(殺気立った)日本軍」であったのに、訳では
恐怖の対象が「治安の乱れ」に変わっている、そして日本軍が治安を落ち着かせたことになっている。
 「日本軍が恐怖の対象だった」という文が「日本軍が恐怖から救った」と言うように180°変わっている。
 尚、恐怖の量も少なからず(多い)から、多少(少ない)に変わっている。 

(3)日付 昭和13年2月8日
 日記の原文 兎ニ角支那人ヲ懐カシメ之ヲ可愛カリ憐ム丈ニテ足ルヲ以テ
 田中氏の訳 兎に角支那人を『慈しめ、』懐かしめ、之を可愛がり、憐むこと、『只其慈悲心の心』だけにて足るを以て

 内容の違い 『慈しめ、』『只其慈悲心の心』が追加されて松井大将がより中国人に対して
同情的なように変わっている。

 まだまだありますが・・・

>殆どが「言葉使い」の違いという程度ですよね。それらについては、私としては特に「大きいミス」とは考え
>てはおりません。

 ・・・言葉使いというレベルではない様に見えますが・・・


120
改竄の 議論のログを 更新す 投稿者:岡田  投稿日: 4月 3日(火)01時49分49秒

 この掲示板での田中正明氏改竄問題の議論のページを、更新しました。

http://www2c.biglobe.ne.jp/~y-okada/nannkin/matuo_1ro.html


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以上は、改竄問題の111番目から120番目までの記事です。