7月


【映画】クリストファー・ノーラン「インセプション」

 物語の冒頭……レオナルド・ディカプリオ演じるコブが海岸へ流れ着く。彼が顔を上げると、砂浜ではしゃぐ2人の子供の姿が見える。彼は銃を持った男に引き立てられ、東洋風の屋敷の中に連れ込まれる。そこには皺だらけの老人と化した渡辺謙演じるサイトーが座っていた。彼はコブの所有する銃を眺めて、自分を殺しに来たのかと問う。コブはおもむろにベーゴマを手にしてそれを回す……。
 冒頭の場面はやがてラストに繋がり、物語は見事に思わせぶりな終局へと導かれるわけですが、この映画、しょっぱなからかなりぶっ飛んでいます。コブは相手の夢の中に侵入してそのアイデアを盗み出すその道のプロなのですが、冒頭に続く場面では夢から覚醒したらまたそれが夢だったといういきなりの夢2段オチ。現実世界も夢世界も全く同じリアリティで描かれるので、のっけからはやくも混乱気味になります。
 物語の本編は、夢の中でさらに夢を見て、その夢の中でさらに夢を見て、その中でさらに深層意識に侵入するというまさに4段階構造。コブは自分の妻を死なせてしまったという罪悪感を持っており、従って彼が夢の中に侵入すると、そこに妻が出てきてしまい、彼を現実世界に戻すまいとことごとく妨害する。彼はライバル企業を潰したいというサイトーの依頼に応えるために、新たに夢の設計士を仕立てなくてはならない。自分で構築した夢では妻に任務を妨害されてしまうからなのだが、有能な設計士を仲間に引き入れてライバル企業の御曹司を夢の世界に引き込んだものの、御曹司は防御訓練を受けていたために、夢の中で刺客に狙われる羽目になる。しかも結局は彼の元妻も夢の中に登場してしまい、彼を夢の世界に留まらせるべく御曹司を夢の中で殺そうとする。
 強力な鎮静剤を使っているために、夢の中の死は現実世界での昏睡状態を招く恐れがあるし、夢の中での数時間は現実世界の数分間に相当するため、夢の中の夢ではさらに時間は遅く進む。しかも特殊な薬剤を使用しているので三半規管は正常に働き、現実世界で体が180度回転すると夢の中の世界も回転を起こす……夢というものは本来物理法則無視の自由な世界のはずなのですが、この作品ではえらく制約が多いのでした。登場人物は回転する夢の世界で必死に敵と格闘するわけですが、その夢が回転しているのはその前の夢の世界で乗っている車が横転しているから……という、話が進むにつれ何をやっているのかよく分からなくなってしまうのが厳しいところ。しかもこれだけの危険を冒して御曹司を夢の世界に連れ込んだ目的が、反目していた父親と夢の中で和解させて、自立心を目覚めさせることだというのですが……。後継者が無能なら放って置いても同じことだし、有能なキーパーソンだというなら暗殺した方が早い気がするし……。
 「夢の世界の視覚化」というのは、ビジュアリストにとって非常に魅力的な分野なのですが、ロマン・ポランスキーの「ローズマリーの赤ちゃん」「マクベス」の悪夢の描写や、デビッド・リンチの「ツインピークス」などの幻想的な演出に比べると、「インセプション」での夢の描写はむしろ「マトリックス」のバーチャル・リアリティの感覚に近いです。「マトリックス」との類似性についてあまり皆取り上げていないところが逆に不思議なくらい。「マトリックス」の場合は、眠らせている人間達に逆にそれを現実世界と思い込ませているというところがポイントなのですが、今回の「インセプション」はむしろそのまま夢の中に侵入し相手の無意識に触れる、というのが主題なので、もっと現実の物理法則を無視した世界を描いて欲しかったなと思います。銃で撃たれたり、爆発で吹っ飛んだりというよりは、何か訳分からんが空飛んじゃったぞとか、3歩歩いたら別な所に来ちゃったぞ、というのが一般人にとっての夢の世界だと思うので。
 私自身、最近は疲れ切っていて夢を見ることもそれを覚えていることもまれではありますが、夢の中では既に現実では会うことすらかなわぬ人と何の違和感もなく会話を交わしていたりするので、その意味では主人公ほど夢の中で理性的に振る舞えるとはとても思えないのでした。もし選択の余地があるなら、夢の中にいる人間があえて現実世界を選ぶことはありそうもなく、いやむしろ現実世界を意識することすらないのではと考えます。夢というものは、それほどパーソナルな、自己中心的なものだと思うのです。
 ただ、初期作品「メメント」「インソムニア」、そして「バットマン・ビギンズ」「プレステージ」「ダークナイト」とノーラン作品を続けて観てきた立場から言えば、ハリウッドメジャー系にまでのぼりつめた監督にもかかわらず、初期の志を貫き通す姿勢には大いに共感を覚えます。スタイルは変わっても、最新作「インセプション」には、初期作品「メメント」のテイストがそのまま息づいています。考えてみれば、「メメント」は、10分間しか記憶の続かない脳障害に侵された主人公が、自分の体に直接メモを書き残しながら妻殺しの犯人を追うという非常に危うい設定で、そのラストは人との繋がりと自分の意志のコントロールについて考えさせられる非常にシビアなもの。失った妻というテーマはそのまま「インセプション」の主人公のトラウマに応用されていて、後に残る独特の苦味も、最新作のラストに受け継がれています。「インソムニア」は、同僚を撃ってしまった主人公が、不眠症に陥りながら犯人に翻弄される物語で、眠りに対する強迫観念とやむにやまれぬ自責の念が主人公を追い詰めるあたりはやはり……。「バットマン・ビギンズ」はティム・バートン作に比べてかなりインパクトが弱く、今作に出演する渡辺謙演じるラーズ・アル・グールも、キリアン・マーフィ演じるスケアクロウも、悪役としては存在感がひたすら薄かったのですが、あえてジョーカーやキャットウーマンといった個性的な有名キャラクターを避けて、相手に恐怖症を植え付ける母殺しの精神科医ジョナサン・クレーンことスケアクロウを取り上げたのはかなりマニアックな選択で、相手の先入観を操るというテーマは今作でも生かされています。そしてシリーズ決定版となる「ダークナイト」では、その出生も背景も分からない文字通り悪夢をそのまま体現するようなキャラクターとして、ヒース・レジャージョーカーを怪演、敬愛するキューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」の主人公をモデルにしたというその風貌は、ダンディさと幼児性を併せ持つジャック・ニコルソン演じるジョーカーとは全く違う危うさを体現していました。化学薬品のタンクに落ちて体が真っ白になってしまった犯罪者は確かに少々非現実的ですが、顔を白く塗りたくり、自ら唇を裂き、自分の過去については適当に毎回違ったことを喋りまくり、何の関係もない人間をいたぶるというキャラクターは、案外現実の闇世界をうろついていてもおかしくはないような気にさせられます。悪夢に悩まされることも、不眠症や記憶障害に陥ることも、決して普通の人々に起こりえないことではないはず。その意味では、クリストファー・ノーランの映し出す世界は、私達の認識力の限界をちらつかせつつ、その中で前向きに生きる者と絶望に苛まされる者とを魅力的に描いています。限りないポジティブさと底知れぬネガティブさが同居するノーラン世界が、次にどんな異形の世界を見せてくれるのか……既に今から楽しみにしていたりするのです。


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