2月


【小説】相沢沙呼「medium〜霊媒探偵城塚翡翠」
 女性ばかりを監禁しては殺害を続けるシリアルキラー鶴岡文樹。彼が次々と無差別な連続殺人を成功させていく間、推理作家の香月史郎は、女霊媒師城塚翡翠の力を借りて、三つの殺人事件を解決する。霊媒師である城塚が先に犯人を霊感で導き出し、香月はそれを出発点に、合理的な証拠を見つけ出して犯人を追い詰めるのだ。そして二人はついに鶴岡の犯罪に対峙することになる。
「全てが伏線」という煽り文句の通り、ネタバレなしに紹介しにくい作品ではあります。物語の構造自体が既にひっかけになっているという……いや、そう説明しただけでネタバレになりかねないという厄介なミステリー。しかしこの煽りが逆に話題を呼び、いまや押しも推されぬベストセラー街道をまっしぐら。映画化された「屍人荘の殺人」の再来、と「このミステリーがすごい!」と書かれていたけれど、いやいやゾンビが普通に出て来る舞台で殺人事件捜査って、どっちの謎が最優先なんだよと突っ込みたくなる「屍人荘」に比べて、霊媒師が探偵役である推理作家をサポートするというこの「medium」の、物語後半の畳みかけるような展開はまさに見事の一言に尽きます。
 短編連作にも関わらず、一度決着したかに見えた物語のさらに裏が暴かれる、という構造は、相当なベテランでないと手の出しにくい希有な展開。ましてや作者は、今まで「午前零時のサンドリヨン」「マツルカ・マジョルカ」といった、日常の謎を魅力的な女子高校生が解き明かす、殺人も起きないどこか平和でハートフルなミステリーを書いてきた方なので、そのストーリー展開に馴染んできた読者はよりこの意外な展開に「騙された」のではないでしょうか。
 ちなみに「屍人荘」とその続編の「魔眼の匣の殺人」の表紙も、この「medium」の表紙も同じ人、イラストレーターの遠田志帆さんによるもの。このどこかホラーのテイストとライトノベルのテイストのある、それでいて裏のある物語に共通するキャラクターを非常にうまく絵にされていると思います。

【映画】ポン・ジュノ監督「パラサイト〜半地下の家族」
 
アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞を総なめにし、英語以外を母国語とする映画として初めて作品賞を制したことで話題となった韓国映画。国際長編映画賞は妥当と思ったが、まさか作品賞まで制するとは思っていなかったので心底驚いた次第。しかし非常に分かりやすいストーリー展開と、今までとは異なるスタイルを備えた映像作品であることは間違いない。 「グエムル〜漢江の怪物」を観た時も感じたのだが、怪物に娘がさらわれて悲嘆に暮れる家族……という描写は前半まで、物語のラストのある意味意外な、それでいてどこか独特の余韻を残すポン・ジュノの作品のトーンは、この作品でもある意味健在なのである。
 大学生となった友人から富裕な家族、パク家の家庭教師代理を頼まれ、これをチャンスと捉えた貧しいキム家のギウは、うまくパク家に取り入り、妹を優秀な美術史家の後輩として紹介、妹のギジョンは車に下着を残すというやり方で運転手を追い出して代わりに父親を運転手として送り込み、父親はパク家が来る前からその豪邸で働いていた古株の家政婦を追い出して代わりに自分の妻をその後釜に据える。
 ここまでは殆どコメディのノリ。パク家が揃ってキャンプに行ったのを良いことに、豪邸で宴会を楽しむキム家のメンバー。何て騙されやすい家族なんだとうそぶいていたら、急遽キャンプからパク家が引き上げてきて大慌て。「後8分で到着する、ジャージャー麺を作っておいて」と聞かされて慌てるキム家の面々……いかにもスラップスティックの面白さ満載の展開である……。
 しかしこの当たりから雲行きが怪しくなる。人の2倍食べるという大食いの家政婦、家の中で幽霊を見たことがトラウマとなっているパク家の息子といった伏線がしっかり回収され、小気味良いシチュエーションコメディは、白昼の血みどろの惨劇となって、得体の知れないモヤモヤした雰囲気を残したまま幕を閉じるのである。そう、この映画の凄いところは、映画が始まって一時間経った後でも、この作品のラストが血まみれになると予測できないところにあるのだ。
 シェークスピアの昔から、大体において、物語は喜劇か悲劇かに分類され、少なくとも一つのトーンを基調として語られるのが常だった。もちろん笑いを含んだ悲劇も、悲哀を含んだ喜劇もいくらでも存在するが、「パラサイト」はまさに、喜劇で始まり、悲劇で終わる。そしておそらくどちらにも容易に分類できない。例えば、ロベルト・ベニーニ「ライフ・イズ・ビューティフル」も、ある意味喜劇で始まり、悲劇で終わるかも知れないが、独裁制と戦争を否定し、笑わせながら泣かせるという基調ははっきりしている。しかし、「パラサイト」はどうもそう簡単ではない。キム家を中心とした登場人物達は、状況に振り回されながらも観客の予測を超えたところまで突き進んでしまう。そこにはもはや皮肉な笑いも、哀しみにくれた慟哭や不条理に対する怒りもない、不思議な境地に連れて行かれてしまうのだ。
 格差社会がテーマなのは間違いないのだが、そこから一歩進んで描かれるのは、その気になれば乗り越えられる壁と、個人の画策ではどうにもならない壁とが並立している、まごう事なき現実社会の姿であったりする。この作品は、その社会の姿そのものに対して、安易に否定も肯定もしていない。物語のラスト、「全て計画しても計画通りにならない」と諦観する父親と、父親を救うために「新たな計画」を夢想する息子。同作品のアカデミー賞受賞には、サムスン傘下だった「CJグループ」の資金力が働いたという話もあるが、それらの話題も含めて、挫折と企て、失敗と成功、絶望と希望が交差する現実の「生活」の悲哀が詰め込まれた作品だと思う。
 


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