9月


【映画】リサ・ジョイ「レミニセンス」

 地球の温暖化がより進み、海面が数メートル上昇した後も多くの人間が水没しかけた都市に住み続けている近未来のマイアミ。地主と呼ばれる上流階級が土地を買い占め、下層階級の人間がそれに対して暴動を起こしている。戦争終結後も未来に希望が全く持てない社会の中で、人々は自らの記憶を追体験できる装置「レミニセンス」を操る主人公の元を訪れる。元々戦争捕虜を尋問して情報を引き出す目的で造られたその装置は、被験者を水槽の中に浮かべ、ヘッドギアとオペレーターによる誘導によってその記憶を三次元投影させるというものだった。

 主人公のニック・バニスターは、鍵をなくしたので記憶を確認してほしいと訪れたメイという女性の記憶をよみがえらせ、それが縁でメイと恋仲になるが、メイは突然姿を消し、やがて彼女が、麻薬王から大量の麻薬を盗み出した人間であり、しかもニックの常連客の記憶ディスクを盗み出すために故意にニックに近付いたことが判明する。

 レビューを見る限りでは、本作に対して否定的な感想も多い。「水没する世界の設定と、記憶潜入の物語とがあまり関連性が感じられない」「記憶を具現化した映像が、記憶している本人を外から眺めているものとなっているのはおかしい」「これはストーカーの話ですか」等々。脚本・監督をつとめるリサ・ジョイが、クリストファー・ノーランの弟でノーラン作品の原案・脚本を担当したジョナサン・ノーランのパートナーということもあって、夢を具現化した「インセプション」や、時間逆行を映像化した「TENET」のような、斬新で鮮烈な映像を期待した人にとっては今ひとつ魅力が感じられなかったのかも知れない。実際、ヒュー・ジャックマン演じる主人公ニックも、あっさりと籠絡され、何でそこまで相手のことを好きになったのかこちらはピンとこないまま、無茶をして突っ走った挙げ句に助手に助けられたり、ボディーガードの元軍人に情けをかけられたりと、肝心なところで決まらないこともあって、観客の強い共感を得るまでには至っていない気もする。

 他人の記憶に潜入する物語と言えば、清水玲子の「秘密」シリーズが挙げられる。実際の所、「レミニセンス」のストーリーそのものは、「秘密」で既に描かれているシチュエーションが殆どだ。物語のラスト、メイが自分の記憶が後に他者にトレースされることを見越してメッセージを残すくだりなどは、「秘密」に既に先行例があるので、このシリーズに親しんだ者なら、「記憶」に関するよりリアルで切実な物語には、既に身近なところで触れていると答えるだろう。

 一方で、印象的な言葉がところどころに散りばめられていて、この物語が、単なる記憶潜入を題材にしたサスペンスではないことに気付かせてくれる。「幸福な物語は幸福なままでは終わらない。最後に必ず悲劇に行き着く」と語るニックに対して、「幸福なままの状態で物語を締めくくりたい」と答えるメイ。「記憶にしがみつくのは麻薬に依存するよりも危険だ。香水のように、ほんの少しばかり思い返すくらいがちょうど良い」と語ったはずのニックは、彼女を失った途端にそのわずかばかりの記憶を反芻するために「レミニセンス」の装置に自ら入り浸ることになる。

 人は皆過去に生きている。未来の行き着く先に確実に訪れるのは自分の死だけであり、その意味で人生の物語にそもそもハッピーエンドは存在しない。自分にとっての本当の幸福が過去に確かにあったと思っているなら、その過去を永遠に追体験することを願うのは当然のことだ。 物語の最後に、メイを失ったニックは過去の記憶と共に残りの人生を過ごすために、自ら「レミニセンス」の水槽に横たわる。助手のワッツは、彼は過去を選び、自分は未来を選んだが、どちらを選んでもそれほどの差はないと思いたいと語る。

 舞台がなぜ水没する未来世界なのか。確かにストーリーの必然性という意味では、舞台は普通の都市でも郊外でも構わなかったかも知れないが、沈みゆく建造物が広がる遠景と、最後に主人公が水槽の中に身を委ねる姿はしっかりとイメージが重なるのである。そこにいてもいずれ沈みしかない土地に執着し暴動を起こす人間達の有様は、失われるしかない記憶に命が尽きるまでしがみつくしかない人間の悲しさに、そのまま繋がっている。

 ニックはメイに、ギリシャ神話のオルフェウスの物語を語る。妻を失ったオルフェウスは妻を取り戻すために冥界に降りていく。どうなったのかと尋ねるメイに対し、ニックは当然妻を無事取り戻して幸せに暮らしたのだと答える。しかし、誰もが知っている通り、オルフェウスは決して後ろを振り向いてはならないという戒めを守ることができず、妻を冥界から取り戻すことに失敗する。ニックはこの結末をメイに話すことができない。そしてオルフェウス同様に、ニックはメイを取り戻すことはできない。オルフェウスが振り向きたいという衝動を抑えられなかったことはある意味当然だ。死んだ妻を取り戻すというその行為自体が、過去を振り返ることそのものだからだ。オルフェウスの望みが最初から断たれていたのと同様に、ニックの望みも最初から自分の力で何とかできる類いのものではなかった。

 ニックが自ら水槽に身を委ねるシーンは、今回新たな続編が制作された映画「マトリックス」の中盤のシーンに繋がる。「マトリックス」では、「このままずっと夢ばかり見て過ごすわけにはいかない!」と覚醒して、ポッドの水槽の中に横たわっていた身体を起こすのだが、一部の人間は「やはり夢を見続けていた方がましだ」と再びポッドで眠ることを選択する。別に何でもかんでもコロナ禍と結びつける気はないが、今は混乱した現実の中に飛び込むよりも、皆が個室に大人しく引き籠もることを優位に選択する時代と言えるかも知れない。その意味でも「レミニセンス」の主人公の、最後の選択は非常に象徴的だと思うのだ。


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