電ミス「共通の謎」競作コンペ参加作品


読書する死体

本編は問題編・その1です。
 
INDEX ◆問題編・1・
◆解決編・

已岬佳泰

 主な登場人物

  仙次警部 某警察署刑事捜査主任、50歳
  本多刑事 仙次警部の相棒、25歳

  久慈早苗 書店2Fレジ担当、40歳
  植村智彦 書店バイト、20歳
  北原康太 書店の店主、60歳
  山田鉄二 書店文芸部担当、30歳、

  川北孟  監察医 50歳
  江永ユリ 捜査課鑑識班長 30歳

 問題編・その1

 朝から仙次警部は不機嫌そうである。
 捜査課の安普請のドアを閉めたときの、その大きな音で分かる。がっしりした肩をいからせて、自分の机にどすんと腰を落とすと、ふうと荒い鼻息を漏らす。ブルドッグのような顔は格別の表情を浮かべなくてもそのままでじゅうぶんに迫力があるのだが、虫の居所が悪いとなると、もはや凶悪と言ったほうがよい。充血した細めの目で捜査課をじろりと見回して、同僚たちがそろって机にへばりついているのを確認すると「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らした。
 こういうときには本多刑事ならずとも、あまり仙次警部に近寄らない方がよいと心得ている。いらいらするほどの難事件に関わっているわけではない。というか、どっちかというと管内ではここのところ珍しく平穏な日々が続いている。
 そういうわけで、本多刑事は、たまりに溜まった報告書やら精算書といった書類を片づけようとせっせとボールペンを走らせていた。そんな本多を見る仙次警部の目はもちろんきわめて冷ややかだ。そう言えば最近、仙次警部と本多がふたりして出かけた事件らしい事件というと、駅前の産婦人科病院から赤ん坊がいなくなったという通報くらいだった。それだって、初孫に有頂天の祖父が抱っこしたまま屋上に上がっていたというだけのことで「誘拐か」とざわめきたったわりには、あっけない結末だった。
 要するにヒマなのである。
 駅前の大型書店に著名なミステリ作家がサイン会に来るというので、昨日は警備課から応援要請が来た。混雑する最寄り駅での乗客整理をしてくれというのである。仙次警部は要請を無視した。「なにが悲しくて刑事が三流文士の警護にあたらにゃいかんのだ」と、これは仙次警部が捜査課長に吠えた言葉そのままである。課長は苦笑し「ま、それもそうだわ」とやんわりと警備部に断りをいれたのだが。そんな応援依頼がくるくらいヒマ。つまり世の中は平和なのだった。

 だから、夕方近くになってかかってきた110番に、仙次警部が小躍りしたのはムリもないことだった。
「階段の踊り場に人が頭から血を流して倒れています。階段から落ちた事故みたいに思うんですが」
 通報してきた山田という男はそう言った。
「事故と決めつけるな。行くぞ」
 最後の「行くぞ」は本多へのセリフだった。課長はと見ると、長い髪をかき上げながら顎をしゃくっている。つきあってやれというサインだ。ちょうど本多も書類書きには嫌気がさしてきたところだった。すぐに上着をつかんで仙次警部の後を追った。

 事件は、もし事件と呼ぶならばだが、至極単純そうに見えた。
 現場は駅ビルに隣り合わせでオープンしたばかりの文香堂書店。捜査課に応援要請があった「三流文士」のサイン会が日曜日の昨日あったばかりのところである。三階建て「文香ビル」の駅ビルとは反対側にはビル壁にへばりつくように非常階段があった。その二階非常口外の階段踊り場に男がひとり倒れていた。「臨時休業」のシャッターを開けて警察が駆けつけたときにはもうすでに息はなかった。
 発見者の店員、久慈早苗、四〇歳によると、死んでいたのは、植村智彦二〇歳。文香堂書店のアルバイト店員で二階レジを担当していたという。
「死因は頭部骨折による脳内出血だな」
 一足先に現場についていた監察医の川北医師が、ずり下がりかけたズボンを大きな腹に引き上げながら、そう言った。
「たったこれだけの階段をすべり落ちたというには、傷がちょっとひどすぎやしないか」
 仙次警部が指で示したのは一階上、三階の非常口だった。そこまで三メートルくらいの高低差しかない。本多たちが立っている踊り場からはまっすぐに鉄製の非常階段が三階まで一直線にのぼっていた。傾斜が特にきついということもない。植村智彦が階段を踏み外したのなら、このたった三メートルばかりを落ちたために、死んだことになる。
 丸顔の川北医師がにやりと笑った。
「警部は事件にしたくてしょうがないみたいだな。ま、この頃これといった事件もないし、その気持ちはわからんでもないが、残念ながらこういうのは珍しくはないんだな。十メートルの高さから落ちてもぴんぴんしている極楽者もいれば、道路でちょっと転んだだけであの世へいった不運なやつもいる。要するにそんなものはちょいとした打ち所の良し悪しで、人の命なんてあっけないものさ」
「屋上から落ちたってことは考えられませんか」
 本多は一応確認する。
「見てごらんよ、青少年。あいにくと非常階段はお互いが入れ子のようになっていて、最上階にはコンクリート屋根までついている。だから屋上からこの踊り場に飛び降りることは物理的には不可能だわな」
 確かに。
「頭の他に外傷は?」
 仙次警部がたずねる。
「足首を骨折している。右肩に打撲のせいか鬱血がある。顔面、右頬に擦過傷。外傷はそんなもんかな。頭は右側を強打、皮膚が裂けて骨が露出している。見るか?」
 川北医師に勧められて頭を確認するために仙次警部はしゃがみ込んだ。本多もそいの背後からのぞき込んでみる。倒れた男の茶髪がそこだけ黒っぽく変色して、川北が手を沿えると意外なくらい白い骨がむき出しになった。
「死亡推定時刻は、血の固まり具合と死後硬直具合からざっと二時間前ってところかな。後は死体検案書を読んでくれ。今夜遅くになるけどな」
 それでもう自分の仕事は終わったとばかりに、川北医師は古ぼけた大きな鞄を手に提げると、せかせかと歩き出した。

「不運な男ね」
 うつぶせに倒れている植村智彦。その死体を見下ろしている仙次警部に声をかけたのは江永ユリだ。トレードマークの銀縁眼鏡にボブカット。ちょっと見ると高校生と間違えそうなくらいに華奢な外観だが、メガネの奥には鋭く光る聡明な目がある。辣腕の鑑識班長だった。
 彼女の後ろには紺の制服を着た男たちが数人、所在なさげに立っていた。川北医師の検視が済むのを待っていたのだ。事件性がないと思っているのかさほどの緊張感はない。
「不運? どういうことだ」
 仙次警部に江永班長は階段の方を指さした。
「あそこに本が落ちているわ。おそらく、この人、本を読みながら階段を下りてきていたのね。本に夢中になってしまって階段を踏み外したんじゃない?」
 なるほど、階段途中にハードカバーの本がひっくり返っている。
「いったいどこにぶつけたんですかね」
 本多が言うと江永班長は踊り場の手すりに歩み寄った。
「これをご覧なさい。手すりの根もとを固定しているコンクリートブロックに血痕がついてるわ」
 それは三〇センチ四方のコンクリートだった。踊り場の床面からもわずかに十五センチくらいしか高さがない。しかし確かにその角のひとつに赤黒い血痕がついていた。
「ここに頭をぶつけたということは、被害者は頭を下にして真っ逆様に落ちてきんですかね」
 本多が疑問をそのまま口にすると、江永班長が「そうね。あ、ちょっと待って」と言った
「あそこにも本があるわ」
 江永の言うとおりだった。最初に見つけた本の場所から一段上がったところにもう一冊、本があった。二冊を同時に読んでいたというわけでもあるまい。本多の胸がざわっと騒いだ。
 本を抱えて階段を下りかける男。後ろからその背中を突き飛ばす犯人……。

 江永班長が部下に向かって合図した。するとカメラを持った鑑識員を先頭に、鑑識班がきびきびと動き出した。現場写真、指紋、階段の上、床の遺留品、死体の身の回りなどを調べている。
「被害者の靴に注意して」と江永。
「どういうことですか?」
 本多が尋ねると江永班長は片目をつぶった。
「シックスセンス」
「は?」
「ユリの第六感が働いたんだよ」
 仙次警部だった。ブルドッグのような顔に笑みが浮かんでいる。
「つまり、靴になにか細工がしてある可能性が?」
 本多の問いに仙次警部が大きくうなずいた。
「殺人事件を事故に装うっていうのは、おまえの好きな探偵小説ではよくある陳腐な筋立てじゃないか。あん?」
 顎を突き出し、仙次警部は続ける。
「犯人は被害者の頭を硬い凶器で殴って昏倒させ、断崖から突き落とした。警察は単純な投身事件として取り扱うが、意外なところから犯人はボロを出す。靴だ。被害者が断崖の上から飛び込んだのなら、その靴には断崖の土が付着しているはずだ。ところがそれがない。つまり、被害者は断崖から飛び降りたわけではない。そうさ、犯人は車の中で被害者を殴ったのだ。投身自殺は否定され、やがて犯人は追いつめられる。クライマックスはなぜか断崖の上だ。そこで警察と犯人が対峙する。がはは。そういう探偵小説があったな。くだらん、じつにくだらんが、これもそうだろうって」
「それは探偵小説というよりも、テレビの二時間サスペンス……」
 言いかけた口を本多は自分で押さえた。本多が見ても退屈な二時間サスペンスドラマを気の短い仙次警部が見ているとは考えられない。が、とっさに本多の脳裏に……テレビの前に座り込んだ仙次警部の後ろ姿が浮かんでしまったのだ。警部は右手に缶ビール、左手にポテトチップの袋を握りしめていて……。妙にシュールでリアルな光景だった。本多は必死で頭を振り、その映像から目の前の現実に目を向けた。


(問題編・その1終わり) 
続き



電ミスへ戻る問題編・その2へ進む