電ミス「共通の謎」競作コンペ参加作品


読書する死体

本編は問題編・その2です。

INDEX ◆問題編・
◆解決編・
 

已岬佳泰

 問題編・その2

 倒れた植村は軽装だった。白の開襟シャツに灰色のズボン。履いている靴はどこにでもありそうな普通の革靴に見えた。黒のウィングチップ。合皮かもしれないが、真新しく光っていた。鑑識員が靴底にへらをあてがい、付着物をそぎとろうとしている。
 ほんとうにこれは事件なのだろうか。本多は冷静に自問した。
 仙次警部に言われるまでもなく、本多はミステリ好きである。そもそも刑事になろうと思った理由も、学生時代に読んだ欧米ミステリの影響が大きいと思っている。しかし、現実の事件は小説とは違うということも分かっているつもりだ。たとえば殺人を犯す人間。小説では用意周到に準備して、アリバイやら密室トリックやらを仕掛けた上で犯行に及ぶ。そしてなぜか犯行後も事件現場に残り、あれこれと捜査のミスディレクションをしたり、極端な犯人は警察に犯行のヒントを出したりする。
 ところが現実はそうではない。
 これまで本多が実際に遭遇した殺人事件では、犯人のほとんどがきわめて直情的で発作的に犯行に及んでいる。殺人犯に共通しているのは、人を殺したあとの行動だった。たいていは茫然自失。次に「どうしよう」となるらしい。この「どうしよう」にはふたつ意味があって、ひとつは目の前の死体をどうしよう。もうひとつは、ばれたらどうしよう。そして殺人犯が次に選ぶアクションは不思議なほどに似通っている。まずは現場を捨てて逃走するということ。ほぼ九割以上がこれだった。とにかく死体から離れたい。死体がそこにあることを自分の認識から消したい。あるいは、死体から遠ざかることで殺人は起きなかったんだと自分に思わせたい。逮捕した犯人に逃げた理由を問うとそんな心境を吐露する。そこに、死体やなんかに工作をして犯行を紛らわせるなんていう知恵はまず見当たらない。
 だから、本多は仙次警部が言うほどには、植村智彦の死に関する事件性について確信が持てなかった。

「あんたが死体を見つけた経緯をきかせてもらおうか?」
 第一発見者の久慈早苗、四〇歳は、頬のふっくらとした女だった。緑色の胸当てエプロンにはBUNKADOという店名ロゴが大きく入っている。仙次警部に真正面から向き合うとたじろぐ人が多いのだが、彼女は平気なようだった。二階非常口での立ち話になったが、丁寧にお辞儀をしてから彼女は話し始めた。
「私はパートなんですけど、勤務時間が正午から午後七時まで植村君と一緒でした。主に二階のレジ係をやってるんですが、今日は午後三時過ぎに休憩を取ったあと植村君の姿が見えなくなったんです。トイレかなとか思っていたのですが、一時間しても姿が見えないのでおかしいなと。いっしょに働きだしてまだ二週間くらいですが、彼は遅刻や欠勤もない、明るい真面目な青年でしたから変だなって思いました。ここは駅に併設していて、平日午後五時を過ぎると会社帰りにお寄りいただくお客様でとても忙しくなります。他の時間帯はともかく、そこだけは私ひとりではレジが追いつきません。それで他の店員にも声をかけて探してもらったのですが、一階にも三階にもいないというので、もしやと思って非常階段に出てみたのです。ここは店内全面禁煙で、タバコを吸う人は外に出てもらうことになっています。彼はタバコを吸わないみたいですけど、念のためにと思って。そしたら、こんなことになっていて。ほんとうにびっくりしました」
 一気に喋り終えるとほっとため息をつく。
「植村さんはあなたが発見したときには既に亡くなっていたのですか?」
 本多の問いへ、久慈早苗は「わかりません」と答えた。
「私、すっかり動転してしまって。とにかくすぐに店長に連絡しました。店長と文芸担当の山田さんが来てくれて、すぐに介抱してもらったのですが、植村さんの心臓が停まっているって。警察に電話したのは山田さんです。私はもうびっくりしてしまって……」
「午後三時の休憩はみなさんいっしょに取るんですか」と本多。
「いえ。三〇分おきに順番に取ります。昼食もそういうわけでみんなずれてしまいます」
 書店の営業時間中なのだから、そういうローテーションにしていることは理解できた。そうすると、植村智彦は午後三時にひとり職場を離れて休憩または昼食をとりに出たらしい。
「植村さんが休憩時間をどこで過ごしていたか、ご存じありませんか?」
 本多の問いに第一発見者の久慈早苗は申し訳なそうに頭を振った。
「普段なら駅ビルの食堂にいったりしていましたけど、今日はどうだったかわかりません」
「この様子だと、植村さんは三階の非常口から出てきて、階段を踏み外し、ここに落ちたように思われます。彼は三階に行く用事でもあったんでしょうかね」
 本多の問いに、早苗は首を傾げた。
「三階は専門書や全集が主体のフロアですから、植村君に用事はないハズなのですけどねえ。それに、三階のレジ係をしている人に私は何度も確認しています。たしか今日の午後は、植村君を見かけていないと言っていました」
 この久慈早苗の証言は後ほど三階レジ店員から確認された。三階は学術書、美術書、歴史関連書籍や文学全集などが集中しているが、本棚のレイアウトがフロア中央のレジから放射状になっていて死角はなかった。つまり、その日の午後、植村智彦は三階のフロアには現れなかったということなのだ。
 それならば、植村は非常階段から三階へ上り、そこからまた二階へ落ちたということになる。さきほどの仙次警部の偽装工作説がちょっとだけ現実味を帯びてきたわけである。
「ところで、植村さんが何かトラブルに巻き込まれたというような話はありませんでしたか?」
 本多が尋ねると、早苗は目線を三階非常口の方に泳がせた。何かに思い当たったようである。しかし、それを口にだそうかどうか躊躇しているらしい。
「どんな些細なことでも結構ですから、教えてください」
 本多の言葉に早苗は決心したように頷いた。

「奇妙な話で、誰もわけがわからないということで終わってしまったんですが」と前置きしてから久慈早苗は話をはじめた。
「私のいる二階は駅ビルとブリッジでつながっていますので、書店のメインフロアになっています。駅ビル側の入り口から向かって左半分が雑誌コーナー、右手すぐが新刊本の平積みコーナーとあります。平積み台を過ぎると、その奥がハードカバーやノベルズといった文芸書の本棚になっているのですが、先週そこでちょっとした騒動がありました」
 本多はさきほど通ってきた二階フロアを思い出そうとしたが、ムリだった。それで仙次警部に提案して、実際に二階フロアに入って話を聞くことにした。
 駅ビルへの出入り口のシャッターを下ろした二階フロアは人影がまったく途絶えて、深閑としていた。しかし、天井に並んだ照明とガラス窓をとおしての外の光で、フロア内はじゅうぶんに明るい。二階非常口から入ると目の前にびっしりと文庫本が詰まった書棚が八列並んでいた。駅ビル側から見るといちばん奥になる文庫本のエリアらしい。出版社別にあいうえお順に整理された文庫本と新書が著者名のポップとともに探しやすいように整理されている。それを抜けると中央に柱があり、その柱を取り巻くようにレジとサービスデスクがあった。柱の時計は午後五時をまわっている。植村智彦と久慈早苗がいつもなら忙しく客に応対している時刻だ。レジ右手、駅ビルから来ると二階左側に雑誌のコーナーがあり、平積み、ラック置き、棚収納と三列の陳列スペースがあって、色とりどりの雑誌であふれかえっている。本多たちはレジを左手に進んだ。新刊本の平積み台の奥に大型の書棚が五列あり、そこが問題の文芸書コーナーらしかった。久慈早苗がたちどまって、その内のひとつ、壁沿いにとりついた書架を指し示した。
「あそこなのですが……」


(問題編・その2終わり) 
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