電ミス「共通の謎」競作コンペ参加作品


読書する死体

本編は問題編・その5です。

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◆解決編・

已岬佳泰

 問題編・その5

 もうひとりの関係者、文香堂書店の文芸担当山田鉄二は一階の出版部で会議中だった。
「そうだった」
 呼び出しの電話をかけた北原店長が、自分の頭をぽかりとやった。
「私どもは小さな出版部を持っていまして、山田君にはそこの責任者もやってもらってます。毎日、この時間はその編集会議をやってるんですが、でも、もうすぐに終わると言ってますから、すぐに上がってくるでしょう」
 北原店長の言葉通り、五分もしないうちに山田はやってきた。北原が入れ替わりに部屋を空けてくれたので、店長室での事情聴取となった。山田鉄二はスーツを着た背の高い男だった。髪もさっぱりと短めで、本多の質問への返答もてきぱきしている。しかし、彼から聞き出せた話にはそれまでの久慈早苗、北原康太以上の情報はなかった。
 ふと思い付いて、本多はサイン会のことをたずねてみた。あれはこの山田の発案だったと北原社長が言っていたからだ。
「おかげさまで盛況でしたが、けっこう大変でした。いろいろなことに気を遣う必要がありますものでね」
 山田の意味ありげな口調に、本多はさらにつっこんでみる。
「植村さんも当然出勤していたんでしょう?」
「はい。もちろんです。猫の手も借りたい日でしたし、いろいろ心配なこともありましたからね」
「たとえば?」
 これは仙次警部である。
「書店が客であふれるというのはありがたいことなのですが、頭の痛いこともあるんですよ。ご存じですか、大型書店はどこでも売り上げの六パーセントに相当する金額を損金として処理しなければいけないということを」
「ほほう、それはどういうわけなんですか?」
 本多は興味を引かれた。
「万引き被害です。書店は店の外にまで本を並べる場合もありますし、客が多いと目が届きませんからね。とくに入り口に近いところに置いた雑誌や新刊本が狙われます。防犯カメラを設置してみたり、万引き対策に専任の警備員を置く店もあるくらいですが、なかなか被害は減りません。この週末のサイン会には二百名を越すお客が一度に押し寄せましたから、それがまず心配でしたね。思った通り、新刊本をごっそりやられましたが、まあ予想の範囲でした」
 万引きか。
「それで、植村君はその日どんな仕事をしたんですか?」
「彼にはレジ打ちと防犯カメラの監視を頼みました」
「待ってくださいよ。ここにも防犯カメラを設置されているんですか? 二階フロアにもあります?」
 本多がせきこむと山田は奇妙な顔をした。
「ええ、もちろんです。万引き対策のためにほとんどの書店でつけていますからね。えーと、雑誌と文芸書、それから文庫本のところにも一台、合計三台ですかね。原則的にはレジから盲点になっているところに設置しています。しかし、実際は防犯カメラだけではそれほど効果はありません」
 山田が意外なことを言う。本多が納得しない顔をしていたのだろう。山田が説明を付け加えた。
「ご承知のように、万引きは現行犯でしか警察にはつきだせません。でも、私どもが現行犯で捕まえるためには、防犯カメラの映像を常時監視する人間が必要になります。二階フロアに多いときで三名、普段は二名しか置いていない文香堂書店ですから、それは実際には不可能なわけです」
「要するに、監視モニターは警告に過ぎないということですか。ここにはカメラがついているぞというポーズだけで、実際は誰もチェックしていないから、本来の目的は果たしていないと」
 本多に山田がうなずいた。
「モニターテレビはレジの中にあります。しかし、レジ打ちに忙しくて、誰もモニターなんて見ていません。店の方でも見るような指導もしていませんからね」
「テープはどうしてるんですか? 記録したテープは?」
「エンドレステープを使っていますから、二時間くらいで次々と上書きされてゆきます。だからあとからチェックしようとしても、二時間分の録画しかないわけです」
 本多はがっかりした。例の本のひっくり返しをしたというサラリーマン風の男も、ひょっとしたら防犯カメラに映像として記録されているかもしれないと思ったからだ。
「それで、植村さんはサイン会の間、防犯カメラでなにか見つけたんですか?」
「ええ、もちろん。店内が大変混雑して、あちこちでお客様同士のトラブルが起きそうになりまして、それを彼が発見して、売り場の店員に連絡して事なきを得たというようなことが何回か。それが本来の目的でたのんだわけですから」
「肝心の万引き対策はどうだったんですか」
 本多の問いに山田は苦笑いした。
「そっちはさっぱりでした。見事に大量にやられていますから」
「ふーむ」
 本多は念のために二階におりて、山田と防犯カメラを確認した。たしかに文芸書のコーナーにも天井からカメラがつり下がっていた。しかも「防犯カメラでモニター中」という注意書きまでぶら下がっている。そこにあるだけで、万引き抑止にはじゅうぶん効果はありそうな大きめのカメラではあったが、しかし、実際にだれもチェックしていないとわかればたしかに山田の言うとおり、ただの飾りにしか過ぎなくなるのかもしれない。

「どう思います?」
 山田が一階に帰り、ふたりになったところで本多は仙次警部に聞いた。文芸コーナーを見つめながら、仙次警部は無表情である。
「あの店長は、嘘を付いたな」
 それは本多も同感だった。例の本のひっくり返しのことだ。彼は思わず「珍しくもない」と口走ってしまった。それはおそらく彼にとってはそうなのだろう。しかし、そこを問うとなぜか若い頃の経験話にすり替えてしまったのだ。
「北原店長にとっては本をああいう風にひっくり返すこと自体は珍しくないんですね。こっちには想像もつかないんですけど」
「らしいな。問題はそんなことをやる意味だ」
「ひょっとしたら、植村さんにとってもそれは珍しいことではなかったとも考えられます」
 本多はそう言って仙次警部の顔を見た。
「どうしてそう思う」
「さっきの久慈早苗の話ですよ。彼女がひっくり返しの話をしたとき、植村が自分も見たって言ったらしいじゃないですか。しかも彼は金曜、土曜、日曜と三日続けて見ていた。しかし久慈早苗が言い出すまではそれを誰にも言わなかった」
「植村は秘密にしておきたかったんじゃないか」
「そうでしょうか。それなら、久慈早苗がそのことを言ったときに自分も見たなんて言い出さないと思いますけど」
「つまり、植村にはそれが格別変なことでもなかったってことか」
「だと思います」
 本多の確信は強まっていた。植村は、ああして本をひっくり返すということに大きな違和感はなかった。しかし、それはなぜだろうか。少なくとも、本多にも仙次警部にも想像がつかない。二階レジ係の久慈早苗にも奇妙にうつった本のひっくり返し。その理由は?

 仙次警部と本多が二階非常口に戻ると、すでに植村の死体は運び出された後だった。鑑識班も仕事を終え引き上げるところのようだった。
「ユリ、何か目新しい情報はないのか」
 仙次警部が問うと、小柄な江永班長が顔の前でひらひらと手を振った。
「残念ながら、事件性を裏付けるものはないわね」
 そう言うと、ビニール手袋をした手で本を差し出した。
「これが階段に落ちていた本か」
「そうよ。この表紙が土埃で汚れているのがわかる? これと植村さんの靴底についていた土埃は同じモノね。だから、植村さんは階段を落ちるときにこの本を踏みつけた……」
「ふん。そんなものは偽装できるだろ」
 仙次警部が言うと「まあそうかもね」と意外とあっさり江永班長はうなずいた。
「もうひとつ付け加えると、この土埃は三階非常口に溜まったものとも同じよ。その他に靴底に付着物はないし、細工の跡も見えないから、結論を言ってしまうと、植村さんは転落間際まで三階非常口に立っていたということは間違いないわ」
「植村さんは三階の非常口から転落した。それに疑いはないということですか?」
 本多が念のために確認すると、江永班長は「そうです」と応えた。そして「他に質問は?」と問い返す。
「ユリの第六感も外れることもあるってことか」
 仙次警部がそう言うと、江永班長の目がメガネの奥で光った。
「お言葉ですが、さっきの主任のお話こそ噴飯モノでしょう。それを棚に上げて変なことを言わないでください」
「なにを。いったい俺の言ったどこが噴飯モノなんだ」
 仙次警部の顔色が変わる。しかし、江永班長はまったく動じない。
「犯人があらかじめ被害者を殴り倒しておいて、それから突き飛ばしたという話ですよ。それなら、こんな三メートルちょっとの階段から落とさないで、ビルの外に突き落とせばいいじゃない。その方がもっと墜落死に信憑性が出てくるし、この下はコンクリート道路で頭蓋骨陥没の説明も付きやすいわ」
 なるほど。江永班長の説にも一理ある。
 そう思いながらも、本多はなにかが引っかかった。
「ちょっと待ってください。江永班長。その本はいったどこに落ちていたんですか?」
 本多にいぶかしげな目を向けた江永班長だったが、黙って階段の上を指さした。どうやら上から三段めくらいのところだったらしい。
「もう一冊、落ちていましたよね。それは?」
 今度はそこからもう一段上を指した。本多の胸の中である考えがむくむくと頭をもたげてきた。そのけはいをいち早く察したのは江永班長だった。
「本多君、何かに気づいたみたいね」
「ええ。もしも二冊の本がそこにあったのなら、やっぱり植村さんは殺されたのかもしれないと。そんな気がしてきました」
「へん?」
 仙次警部だけがおもしろくなさそうに鼻を鳴らした。そんな仙次警部の鼻先に本多は江永班長から受け取った二冊の本を突きつけた。
「タイトルを見てください」
 それらは「消えた蒙古斑(篠部みゆき著)」と「暗喩としての騙し絵(島ケンジ)」だった。正体不明の男たちがひっくり返していった七冊の本のうちの二冊と同タイトルだったのだ。仙次警部の表情が変わった……。

(問題編・終わり)



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