電ミス「共通の謎」競作コンペ参加作品


読書する死体

本編は解決編・その1です。

INDEX ◆問題編・
◆解決編・
 

已岬佳泰

 解決編・その1

「それにしても、いわくありありの本だったわけね」
 本多からひととおり話を聞いた江永ユリが、腕を組みながらそう言った。仙次警部、本多そして江永班長は夕闇の濃くなった文香ビル二階の非常階段踊り場に立っていた。すでに植村智彦の死体は無く、遺留品もすべて鑑識班が持ち帰ったあとの現場には、立入禁止をあらわす黄色い紐が張り巡らされている他は、特に事件現場を連想させるものはなにもない。
 臨時休業となった三階建ての文香堂書店は売り場の照明が消え、ビルは夜の闇に溶けてしまいそうだった。わずかに一階と三階の事務所のものらしい灯りが駅前大通りの並木をそこだけ浮き上がらせている。
 しばらく黙り込んでいた三人だったが、本多が思い切ったように口火を切った。
「先ほどの江永班長の意見。もしも植村さんが殺されたのなら、犯人はこんな三メートルくらいの高さを落ちたように見せかけないで、いっそビルの外に突き飛ばした方が説得力ありという点には賛成です。仮に三階の非常口で植村さんの自由を奪い、そして墜落死に見せかけて殺すというのなら、犯人はおそらくそうしたろうと思います」
「うむ。しかし、現実には植村は二階踊り場までしか落ちていないぞ。つまり、オマエは植村が殺されたわけではないと言いたいのか?」
 仙次警部の指摘に本多はいいえと首を振った。
「植村さんが殺されなかったとすると、その本に疑問が残ります。なぜその本が階段の二段めや三段めあたりに落ちていたか。しかも、植村さんが靴で踏んだとおぼしき土埃のあとがある。ひとつご意見を聞きたいんですが江永班長。もしも植村さんがそれらの本を手に持っていたとして、彼が三階の非常口から足を踏み外したとき、それらの本を彼の靴が踏む確率はどれくらいでしょうか」
 江永がふむとうなずいた。本多の質問の意味をわかったらしい。
「なるほど、本多君の言いたいことはそこか。言われてみると靴で踏む確率は低いわね。いや、本が落ちている位置から考察するとありえないと言った方が正しいかしら。植村さんが本を手にしていたとして、彼が階段をおりようとして踏み外せばとっさに手を伸ばして体をささえようとしたでしょう。ですから、本が階段の上に落ちてしまうのは当然の結果ね。でも二段めに落ちた本を落ちかけた人間が踏むというのはむつかしいわ。本も人間も自由落下の場合はニュートンの法則に従ってほぼ同じ速度で落ちるからね。本だけが彼の体より先回りするというのは考えにくい。でもそうすると、この状況はいったいどういうことかしら?」
「こう考えたら理屈に合いませんか? 本はもともと階段の上に置いてあった。それを植村さんが踏んだから彼は階段を落ちてしまった」
 そう言うと、本多は江永から預かった本を二冊、階段の一段めに重ねて置いて見せた。二冊は重ねると階段の落差にきっちりと収まった。そこに足を乗せたら次は二段分の高さの階段落差が待っている。まず間違いなく、次の踏み出しでその人は足を踏み外すだろう。犯人の行動を思い浮かべる。おそらく非常階段に植村を誘いだした人間は、肩を組むかして彼の視線を下に向かせないようにしながら、三階非常口前まで連れて行った。そしてそこで彼の注意を引き寄せてから、彼を本の置いてあるところに誘導し、ちょいその背を押してやった。植村は犯人が置いた本の上に思わず踏み出してしまい、そこから転落した。
「あ、そういうことか」
 江永班長がそう言うと笑った。
「ちょっと待てよ。そんな中途半端な結論じゃ納得できないぞ」
 仙次警部は不満そうだった。ムリもない。彼はすっきりした殺人事件でなくてはダメなのだ。しかし、現実の事件なんてこういうことが多いものだろうと本多は思った。問題は誰がこんな罠を仕掛けたのか、ということなのだ。そして現実に植村は死んでしまっている。
「この仕掛けをした犯人は、植村さんが三メートルの高さから落ちてしまうことはじゅうぶんに認識していたはずです。その結果、死ぬことになっても仕方ないと思っていたら」
「未必の故意」
 答えたのは江永班長だった。

「しかし、いったい誰がそんなことを」
 江永班長の言うそれが、まさに問題だった。現場に残された本を見る。植村の靴跡が残った本。植村の目の前でひっくり返され、書棚に戻された本。植村が呼び出されたのはきっとこの本に関連している。少なくとも本多はそう確信している。植村が追いかけた男。そこから彼が知り得たと思われるひっくり返し本の真相とはいったい何だったのだろう。
「ひっくり返された本七冊になにか意味があるのかもしれません。たとえば七冊でひとつの意味になっているとか……」
 そう言うと本多は手帳を取り出し、七冊の本の見つかった日とそのタイトルを読み上げた。

 一日め(金曜)「哀しいユダ(志村勝樹著)」
 二日め(土曜)「暗喩としての騙し絵(島ケンジ著)」
 三日め(日曜)「死のジオラマ(識野秋雄著)」
 四日め(月曜)「雪のない斑尾(佐伯紀彦著)」
 五日め(火曜)「墜落、あの日きみは(逆波隆史著)」
 六日め(水曜)「気まぐれ遊び人(沢井次郎著)」
 七日め(木曜)「消えた蒙古斑(篠部みゆき著)」

「これがもし暗号だったとしたらどうでしょう」
「うーん」
 自分の手帳に書き留めた7冊のタイトルをにらみつけたまま、仙次警部が唸った。
「これが探偵小説とかだったら、ヘボ探偵が頭の文字をつないでみたりするのだが、かーあーしーゆーつーきーき……、意味にならんな」
「著者の頭文字も「し」と「さ」だけですから、これまた意味不明です」
「そもそも、暗号メッセージだとすることにムリがあるのじゃないかしら」と江永。「メッセージだとすると受け手がいるわけでしょう。でも、文芸コーナーの本を一冊ずつひっくり返していったい誰に気づかせようとしたのか。偶然見つけた二階レジ係の久慈早苗は意味不明で悩んでいたし、植村智彦だって久慈に言われるまでは気にもしていなかったのでしょう。その他にあれに気づいた人間がいたのかしら。それにもうひとつ。電話やメールとか、簡単にメッセージを送る方法は他にいくらでもあるという時代に、わざわざあんな手間をかけて伝えるものって何だろうかという疑問」
 江永班長の指摘はなかなか的を射ていると本多は思った。そうなのだ。ひっくり返された本の組み合わせに意味を求めるのはちょっと違う感じがする。もし誰かが何かのメッセージを送ろうとしたにしても、一日一冊本をひっくり返すという行為そのものに意味があったと考える方が妥当な気がした。選ばれた本はたまたまそれだったということだろう。
「これはやはり北原店長に教えてもらわないといけないな。彼なら、本をひっくり返すことについて違和感がないようだから、それがどんな意味なのか、おそらく知っているはずだ」
 仙次警部の意見に本多も賛成だった。
「じゃ、あたしはこれで引き揚げます。どうやら犯人逮捕も近そうだし、ひっくり返り本の謎も犯人が分かればきっと解けるでしょうしね。そしたらあたしにも教えてね」
 そう言い残すと江永班長は非常階段をすたすたおりていった。

 江永班長を見送る本多の視界に、黄色のトラックがゆっくりと入ってきた。
 ライトアップされた駅前ロータリーから薄暗い測道に入り、そこで一度方向転換をするとそのまま文香ビル一階に近づき停止した。ビル壁の外灯がトラックの車体を闇に浮かび上がらせている。二階の非常階段踊り場からほぼ真下に黄色いトラックは停まっていた。
 荷台の幌が外されると、プラスティックの箱がいくつも重なっているように見える。クリーム色の制服を着た作業員が二名でそのプラスティックの箱を三個下ろした。背広姿の男……山田鉄二らしい男が文香ビルから出てきて、プラスティックの箱の中を見ている。その後、伝票らしきものにサインして、作業員二人が頭を下げた。山田がプラスティックの箱を運搬台車に載せ、ビルの中に消える。作業員のひとりは伝票を一度運転席に入れると、今度は荷台の上によじ登った。 
 しばらくして、運搬台車がビルの中から現れた。今度は段ボール箱が一個乗っているだけだ。それを山田らしい男が持ち上げると、作業員ふたりが協力して荷台に引きずりあげた。段ボール箱は蓋が閉まっていて中味は見えない。しかし、それがなんであるか本多には想像はついた。
 荷台からおりた作業員ふたりに対して、山田が頭を下げる。それに軽く会釈を返すと、作業員ひとりは再び運転席に戻りエンジンをかけたようだ。もうひとりの作業員は運搬台車を押して、文香ビルに入った。その間、わずか五分ばかり。すぐに黄色のトラックは動きだし、文香ビルから離れて駅前ロータリーをゆっくりまわると、大通りへと出ていった。

「おい」
 仙次警部が本多に声をかけた。本多は「はい」と答える。
「あれは本の仕入れか」
「そうでしょう。でも入るだけじゃなくて、出てゆく本もあるようですね」
「うむ」
 ふたりはそのまま黙って三階へ、北原店長の部屋へと向かった……。

 それから約二時間後。

 腕時計は午後九時をまわっていた。
 北原店長と話したあと、仙次警部と本多はいったん署に戻って課長に経過を報告し、それから、覆面パトカーに乗って戻り、再び文香ビル二階非常口外にいた。文香堂書店は臨時休業でなくても営業時間が終わっている時刻だった。一階の事務所から灯りは漏れているが、その他はしんと静まりかえっていた。飲食店が多く、たくさんの人が行き交う隣の駅ビルとは好対照であった。
「そろそろいいですかね」
 本多がもう一度腕時計を確認してから低い声でそう言った。 
 非常口ドアは内側から施錠されていた。しかし、事件現場ということで合い鍵を警察は預かっていた。それを使って非常口の扉を静かに開く。目の前に文庫本棚がまるで大きな影法師のように林立していた。それらの影法師がゆらゆらと揺れている。いや、その向こうを照明がゆらゆら動いているのだとわかった。誰かが懐中電灯でも提げて二階フロアを歩いているらしかった。
「北原店長でしょうか?」
 人影は暗闇にぼやけていて、特定はできない。自然と本多の声は低くなっている。
 二時間ほど前、店長室で仙次警部と本多に向かって彼はこう言ったのだ。
「今夜午後九時十五分に二階フロアにおいでください。そこには警察が知りたい事柄がすべて用意されているはずです」

 一歩足を踏み出そうとしたその時、本多の視界がいきなりまぶしくなった。二階フロアの天井照明がいっせいに点灯したのだ。
「誰だ」
 叫ぶ声。走る足音。
「動くな。警察だ」
 仙次警部のひと吠えに、乱れていた足音が停まった。本多の目が光に慣れてくる。文庫本棚の間をゆっくりと歩き抜けると、文芸コーナーに人影がふたつあった。ちょっと離れて、二階入り口あたりにもうひとり。それらの人影を確認するより先に、本多の目に飛び込んできたのは、文芸書棚の異様な光景だった。
「いったいこれは……」
 おもわず言葉がこぼれた。
 文芸書棚は白い隙間があちこちにできていた。いや、多数の本が前後ひっくり返って収められていたのだった。

(解決編その1・終わり)  
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