2月


【映画】ブレッド・ラトナー「レッド・ドラゴン」

 トマス・ハリスの作品はとりあえず文庫本で一通りは持っています。スーパー・ボールの競技場を大統領ごと爆破するパレスチナゲリラを描く「ブラックサンデー」(1975)、そしてレクター博士の三部作となったサイコ・サスペンスである「レッド・ドラゴン」(1981)、「羊達の沈黙」(1988)、「ハンニバル」(1999)。全てがベストセラーとなり、全てが映画化されています。
 残念ながら映画の「ブラックサンデー」と「レッド・ドラゴン」の最初の映画版は観ていないのですが、原作、映画共に文句なしに傑作と言えるのは第三作「羊達の沈黙」でしょう。「羊達」のクラリスよりも「レッド・ドラゴン」のグレアムの方が捜査官としては有能なのですが、それ故に檻の中のレクターとグレアムとの関係は膠着状態のままに終わり、無防備のままレクターと接触するクラリスの危うさが「羊達」の物語をよりドラマチックなものにしているように思うのです。じっと機会を伺い突如として檻を破るまでがレクターの真骨頂であり、自由を満喫しつつ待ち伏せしていた敵にあっさりと注射弾をくらってしまい、クラリスに助け出されるという「ハンニバル」の展開はやはり正直言って物足りなかったのでした。近付きつつも重なりえないという「羊達」での主人公二人の関係こそが魅力的だったのだろうということで、「ハンニバル」の映画版では原作とラストを変更したものの、同じアンソニー・ホプキンス主演の「タイタス」をなぞったようなオチになってしまい、英国出身のホプキンスとしてはシェイクスピアの方に力が入らざるを得ないし。その意味では研ぎ澄まされた演技と見事な構図、犯人を象徴する被害者の口の中に入れられていた蛾の繭、そしてその蛾の存在と「沈黙」というタイトルの持つ意味を見事に表現したポスターをも含めて、まさに「羊達の沈黙」の物語の充実度は群を抜いているのであります。
 さて、三部作の第一作でありながら、再映画化された「レッド・ドラゴン」ですが、原作ではあくまで脇役の一人にしか過ぎないレクター博士を作品の中心に持っていこうとしている分ややバランスが悪いことは否めないし、原作において心身共に深い傷を負うことになるグレアムはそれほどダメージを受けないので、檻の中から「我々はいま原始時代に生きている……」と手紙をよこすレクターの底知れぬ 「魔」の側面もあまり表現されているとは言い難いです。もっとも、レクターへの注目度が増している分、前半のすべり出しは上々の出来。グレアムがレクターを捕らえ、事件が新聞記事をにぎわしているところがオープニング・タイトルと重なるあたりは効果 的。こりゃそんな目に遭えば引退もしたくなろう、という所で新たに連続殺人の捜査を依頼され、殺害現場となった流血の跡も生々しい被害者宅で、部屋の隅に並べられた人形達の有様から犯人の視線に対する異様なまでの反応に光明を見出す場面 など、ほんとに「ラッシュアワー」を撮ったワタシより5才近くも年下の監督の作品なんでしょうか、と思ってしまう。
 その分、後半はやや展開を急ぎすぎた感があり、二転三転するラストもやや粘りが足りない分あっさりした印象。上映時間二時間五分というのは、原作のボリュームを考えるとややきつい。「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」など二時間四十分くらい普通 の長さになっている今こそ、もう三十分くらい加えてダラハイトとグレアムの自壊する様をじっくりと描いて欲しかったのだけれど……。


【映画】崔洋一「刑務所の中」

 先に花輪和一氏の漫画作品を読んでいたので、話の展開自体は把握していたのだけれど、何しろ主演が山崎努となると、失礼ながら花輪氏の役にしては格好良すぎやしないかと思ったりして……。こちらもどうしてもまだ「必殺仕置人」「影武者」伊丹十三映画とかのイメージがあるものだから……。しかし結果 的には、あの山崎努がまじめな顔付きでサバイバルゲームに興じ、刑務所のご飯の食べ方についてあれこれ悩むシーンを観ているだけでなんだか楽しくなってしまった訳で、こりゃこの配役は結果 的には大成功だったなと認めざるを得なかったのでした。この狭く閉鎖的で事件らしい事件も起こらない舞台での、観察者であり語り部であり、あまり個性を主張せずに存在感を出さなくてはならないという難しい役を見事に演じきっています。う〜んさすがにおそるべし山崎努。山崎努は、いい。うん。
 原作は不定期連載で時系列に話が進んでいるわけではないので、最初読んだときには何故主人公の花輪氏が独房にいたり五人部屋にいたりするのかよく分からなかったのですが(バカですね〜)、映画を観てあらためて納得がいきました。仲良く連絡先を交換しあっていたらバレて懲罰房行きになってしまったわけですね。そういや原作にもちゃんとそこは描かれていたっけ。
 主人公の煙草への執着は何故か映画では取り上げられてはいなかったのですが(業界自主規制でしょうか?)、その分食事への執着はしつこく描かれていて傑作でした。給食用のポリ容器に入って出される質素な食事は映像で見せられてもあまり美味しそうとは思わないのですが、それしか楽しみがない囚人達がひたすら食べ物こだわるのは分かるような気がします。考えてみりゃワタシ自身、毎日のご飯以外に楽しみがあるかしらと言われると「いや、ない」自信を持って断言してしまいそう人間結局偉そうなことを言っていても所詮はそんなものであります。


【小説】ソウヤー「ゴールデン・フリース」

 空想小説ワークショップとか通っていたにも関わらず、あまりSF小説の熱心な愛読者ではないのだけれど、それでも最近はダン・シモンズの「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」各上下巻と、ロバート・J・ソウヤーの長編を文庫本でかわりばんこに読んでいます。「ハイペリオン」シリーズから続く前者については「覚醒」を読み終わってから感想を書くつもり。
 ソウヤーの長編を読み始めたのは「さよならダイノサウルス」からだと思うけれど、実際どれを取ってもハズレがないです。「ターミナル・エクスペリメント」では、コンピューターの中に作りだされた主人公の複製人格が殺人を犯してしまうし、「フレームシフト」では遺伝病に脅える学者がネオナチに襲われるし、最近読んだ「イリーガル・エイリアン」では何と地球に来たばかりの異星人が殺人容疑者として法廷に召喚される……。いずれも純粋なSF仕立てでありながら、必ず「謎解き」というミステリー的な物語展開を見せるのが特徴的。ミステリーとSFの融合は古くは「鋼鉄都市」のアシモフや、最近では日本の西澤保彦氏あたりが試みている手法ですが、それを全く見事に作り上げているのがソウヤーかも知れません。
 第一長編の「ゴールデン・フリース」でも、既にそのスタイルが確立しています。「ゴールデン・フリース」とは「黄金の羊毛」の意味で、ギリシャ神話のアルゴ船の冒険(確かハリー・ハウゼンのストップモーション・アニメで映画化もされいてたと思う)に由来するもの。惑星コルキスを目指す宇宙船アルゴを完璧に制御しているコンピューター「イアソン」が、女性科学者ダイアナを殺害する場面 から始まるこの小説では、犯人たるイアソンは単なる有能な人工知能であるにとどまらず、乗組員達の生活をあらゆる場所から監視し、通 信データを自在に書き換え、人間達の内面的な思考を自らのメモリの中で再構築してシミュレーションすることさえ可能なのです。そんな卓越した存在を相手にいかにその犯罪を暴き告発することができるのか、そもそも殺人を犯した動機は何なのか……。物語の半分以上まで読み進めていて全く先の展開が予測できない良質のミステリーであるとともに、そのアクロバット的なラストでの「謎の解明」の行き着く先には、まさしくはっとさせられるSF的な世界が開けているのです。
 実際、こちらの考えを先読みすることができ、乗組員全員の生死を握っているとすら言えるコンピューターの犯罪を本当に暴くことができるのか? 物語ではそれがしっかりできてしまうんですね! しかも偶然や超自然現象に頼ることなく、文字通 り一人の生身の人間の力によって。機械が人間を支配する暗鬱とした未来を舞台に描きながら、読後にどこかすがすがしさを感じるのは、ロジックを構築しながらもそこに物語を突き動かす「意志の力」のようなものをしっかりと書き込んでいるからでしょうか。これは本作に限らず今まで読んできたソウヤーの長編全てに言えることで、その意味でも今一番注目株の作家ではないかと思います。



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