1月


【書籍】立花隆「サル学の現在」

 今年はサル年であります。というわけで、文庫本で買っておいた「サル学の現在」上下巻をこの際一気に読み通 すことにしました。「現在」といっても、初版は1991年なので既に情報としては古くなっている部分が多いとは思うのですが、猿に関する研究を分かりやすくインタビュー形式で解説した本というのはなかなか他にはないし、読み始めると結構面 白かったりするので。
 対象となるのはチンパンジー、ゴリラ、オランウータンといった類人猿から、ニホンザル、ヒヒ、ハヌマンラングールや広鼻類を中心とする新世界ザルまで多岐に渡り、内容も群の観察をベースとする社会学的考察から、遺伝子工学による分子生物学的分類まで幅広く扱い、意見の異なる学者の話も公平に扱っています。「ニホンザルの群にボスザルは存在しない」「ゲラダヒヒにはなわばりも順位 もない」「ゴリラには同性愛がある」「チンパンジーやゴリラには子殺しが見られる」等々、猿達の知らせざる一面 が様々な形で紹介されているのも興味深いです。
 中でも最も興味深いのは、全六章の中の第四章「子殺し」。以前はよく「わくわく動物ランド」等のテレビ番組で、「互いに同じ種族で殺し合うのは人間だけ」と言われたものだけど、実際には多くの動物で同種族間での殺し合いがあるようです。本書ではハヌマン・ラングール、チンパンジー、ゴリラそれぞれの「子殺し」が詳しく述べられています。まずオスが多数のメスを統括するハーレム型のハヌマン・ラングールでは、乗っ取ったオスが群にいた先代のオスの子供を片っ端から殺してしまう。これは自分の遺伝子を残し他の遺伝子を排除しようとするという点で合理的だし、子持ちのメスは発情しないのであえて子殺しをするという意味でも理にかなっています。子供を殺されたメスは殺害者であるオスに対して発情するわけで、ヒトの観念からすると不条理に見えますが、死んだ者にこだわってもしょうがないから忘れてしまうというのは、無駄 なストレスを背負い込まない点で理性的だとすら言えます。ゴリラの場合も同様で、非常に温厚で決して大人同士で争いをしない種族であるにも関わらず、はぐれオスは群のメスを手に入れるために、相手のオスではなくメスの子供を襲うそうです。
 さらに厄介なのはチンパンジーの例。チンパンジーの場合は乱交型なので、チンパンジーの群れの中で子殺しが起きた場合、それは自分の遺伝子を持った子供である可能性もあるわけです。にも関わらずオスによる子殺しが行われ、しかもそれは赤ん坊を生きたまま食い殺すという凄まじいもの。通 常の肉食行為の時よりもかなり興奮の度合いが激しいことから、何か儀式的な意味合いがあるのではとする説もあれば、殺されるのが子供のオスである場合も多いことから群のオスの間引きのためだという説もあるようですが、いずれにしても殺すだけならまだしも生きたまま食べてしまう必要性はないわけで、実際ハーレム型の猿ではむしろこうしたカニバリズムは見られないのだそうです。繁殖には全くマイナスでしかなく、かつ食料が危機的に不足しているわけでもないのに、ヒトに一番近い(遺伝子的に1パーセントも違わないという)チンパンジーでこういったカニバリズムが行われるというのは、非常に興味深い話であります。
 このあたりの話は以前に読んだことのあるランガム&ピーターソン著「男の狂暴性はどこから来たか」(三田出版社)にも詳しくて、実際日本での猿研究を引用した部分も少なくありません。この本でもチンパンジーの残虐性を取り上げて、ヒトの暴力性が決して特殊なものではなく、サル社会から受け継いだ非常に本質的なものであることを説いています。遺伝子的には、ヒトに近い類人猿はチンパンジーで、チンパンジーはゴリラよりもヒトに近い。かつ同族で殺し合いをする動物は他にも存在するけれど、他の群に攻撃をしかけて攻撃しやすい敵を見つけて殺す動物はヒトとチンパンジーだけだといいます。
 キューブリックは「2001年宇宙の旅」の冒頭で、人間の知性が同族の殺し合いの中で生まれる様を描いたわけですが、ある意味他に類を見ない残虐性は理性や知性と密接に結びついています。度を超えた暴力行為は「やられる前にやれ」という、危険を予知し回避しようという知性あってこその行動でもあるわけで、度を越えたカニバリズムの中にも、何かの合理的な解釈が成り立つのかも知れません。そう考えると何やら恐ろしい気がしないこともないのですが。


【映画】アンドリュー・スタントン「ファインディング・ニモ」

 以前、宮崎駿がアカデミー賞を取れるか、という話が内輪で話題になった時、私は自信を持って「NO」と答えたのでした。理由は「ディズニーが妨害するから」。創始者のウォルト・ディズニーは亡くなって久しく、アカデミー賞の黎明期からアニメーション部門を独占し、キャラクター商法で他を圧倒してきたディズニー社は、当時「千と千尋の神隠し」の配給を大幅に制限しているという話もあったので、当然うまくいかないだろうと思っていたのでした。
 しかし実際には、ディズニー社の傘下にありながらCGアニメで独自の路線を進むピクサー社ジョン・ラセターが宮崎駿のファンで、英語版の製作を買って出るなどあらゆる面 で援助をしてくれたということのようです。正直なところ、今ディズニーの各映画作品の中で一人気を吐いているのがピクサー社のCGアニメ映画作品だと思います。一番メカニカルなコンピューターグラフィックス専門の会社なのに、仕上がる作品はどれもとてもハートウォーミングで、クレイアニメーションや初期のセルアニメーションの手作り感覚を継承しています。「トイ・ストーリー」「バグズ・ライフ」「モンスターズ・インク」どれも皆傑作揃い。クレイアニメーションを得意とするアードマン(「ウォレスとグルミット」のシリーズを手掛ける)の作品のトーンとも似ているところがあって、今回の作品に登場する無表情なカモメ達なんか、絶対「ペンギンに気を付けろ!」に登場する黒目のペンギンを意識していると思ったりして。
 さて、「ファインディング・ニモ」ですが、これも人間に捕まった息子を探しにグレートバリアリーフからシドニーまで旅をする、カクレクマノミの父親マーリンの冒険物語。良く出来た子供向けファンタジーと行ってしまえばそれまでなのですが、冒頭、新居を構えて孵化一歩手前の数百個の卵を前に奥さんと戯れているマーリンが、一瞬にして巨大肉食魚バラクーダに襲われ妻と卵を失ってしまうという残酷なシーンから一気に物語に引き込まれてしまいます。考えてみれば海の生物達の親子関係は実に様々。生みっぱなしで知らずに幼魚を食ってしまうようなものもいれば、オス・メスつがいになって必死に卵や幼魚を守るけなげなものもいるわけで……。どうしても高等な哺乳類ほど愛情が強いと錯覚しがちですが、チンパンジーなんか母親は決して見つけた食物のオイシイところを子供にやったりはしないし、父親のオスにいたっては群のどの子供が自分の子供か分からない上に平気で食い殺したりするといいます。それに比べれば、自らの命が尽きるまで卵に新鮮な水を送り続けるマダコや、自らの身体を餌として与えてしまうオオガケジグモなどの方が、余程子孫のために自己犠牲を厭わないレベルの高い生き物だと言えるでしょう。
 ピクサーの作品は、前作「モンスターズ・インク」もそうなのですが、弱者に対する製作者の暖かい眼差しが感じられることが一番の魅力となっています。コンピューターグラフィックスなのに冷たさを感じない……というより表情の一つ一つが真剣で、こまやかで、インパクトがあるのです。キャラクターデザインそのものは非常にシンプルで、絵としては正直それほど魅力を感じないものの、いったん動き出すと「確かにこんなふうに動きそう」という観るものの期待通 りの絶妙な動きを披露するのです。「モンスターズ・インク」に登場する少女も、ろくに喋らないのにその感情一つ一つの動きが全て伝わって来ます。
 一方で「単なる教育番組」には終わらないアヤシイ一面も。何しろ主人公マーリンの旅の道連れとなるナンヨウハギのドリーは極度な健忘症で、覚えたことをすぐ忘れてしまうというキャラクターなのですが、これがあの「メメント」の前向性健忘の主人公とそっくり。「付いておいで」と言われて付いて行くと「何で追っかけてくるの?」と怒りだすという始末で、これではまともに付きあいきれないと主人公でなくても思うはず。さらわれたマーリンの息子ニモも、片方のヒレが極端に小さく泳ぐのが不得意という、言ってみれば奇形児。お魚だから「まあ大変ね」で済むけれど、果 たしてサリドマイドの子供をキャラクターにコメディ映画が作れるだろうかと思うと、このさりげない設定か結構きわどいものであることが分かるかと思います。「トイ・ストーリー」の終盤で少し顔を出す、子供にいたずらされて作り替えられてしまった人形達も結構「フリーク」していましたから、単なる弱者を越えて、有る意味「不具者」まで画面 に登場させてしまうピクサー社の作品群に、ふところの広さを感じた次第でありました。


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