「ワインの歴史は英雄達の欲望の系譜」Part-3.新世界ワイン
〜ワインの歴史をおもしろおかしく解説する休日講座! 舞台はヨーロッパを離れて新世界へ!


●今話題の新世界ワイン、どこが一番早く誕生したのでしょうか?

 1551年 チリにてヴィニフェラ種導入
 1557年 アルゼンチンへチリから導入
 1659年 南アフリカにてワイン製造
 1769年 カリフォルニアにてミサ用にワイン作り
 1788年 オーストラリアでワイン生産開始
 1819年 ニュージーランドに葡萄の苗導入
 1860年頃 カナダにてワイン作り開始
     カリフォルニアのアゴストン・ハラジー、欧州から苗木を取り寄せる。

 15世紀後半に始まる大航海時代の幕開けによって、1551年には早くもチリにスペインからワイン用の葡萄が導入され、すぐにアルゼンチンにも伝わったと言われます。アメリカで最初にワイナリーを開いたのもスペインの修道士達です。南アフリカにワインをもたらしたのはオランダ東インド会社ですが、やがてナント勅令の廃止によりフランスからユグノー教徒が押し寄せてきて本格的なワイン造りが発展しました。イギリス経由でオーストラリア、そしてニュージーランドでも生産が開始されました。1800年代になると、フランスから北米、南米に苗木が取り寄せられ、いよいよ本格的な栽培が進むわけですが、この地球規模での生産の拡大は良いことばかりではなかったわけでして……。



●そもそもヨーロッパのワインを殆ど壊滅状態に陥れたフィロキセラは、ボルドーが研究の為によりにもよってアメリカから取り寄せた苗木に取り付いていたのです。従ってフィロキセラに耐性のあるアメリカの台木に接ぎ木することによって何とか解決できたというわけです。フィロキセラは結果としてワインの世界に多くの波紋をもたらしました。ボルドーの醸造家達が故郷を捨ててスペインのリオハに渡った結果リオハワインの質は大きく向上したし、1877年にはチリワインが既にヨーロッパの市場に参入しています。フィロキセラに荒らされたボルドーがすぐに回復できるはずもなく、品質を偽ったワインが幅を利かせた結果、AOC(原産地統制呼称法)が制定されることになりました。


●さて、フランスから葡萄を導入して頭角を現し始めたアメリカも、禁酒法の時代には当然ながら大きな打撃を受けます。この頃辛うじてミサ用のワインのみが製造を許されたといいますが、禁酒法の廃止された翌年には組合で組織されたワイン・インスティテュートが設立、再び勢いを盛り返します。

 1920〜33年 禁酒法
 1934年 醸造家組合設立
 1976年 パリ、仏VS米のブラインドテスト
      一位スタッグス・リープ(赤)
        シャトー・モンテリーナ(白)
 1983年 AVA法施行
 1986年 ニューヨークにてリターンマッチ
      一位クロ・デュ・ヴァル(赤)

 1976年にパリで行われたブラインドテストでその名声は世界にとどろきました。ロマネコンティの社長を含む9人のフランスのスペシャリストが、ボルドーのシャトー物とカリフォルニアワインをブラインドで評価した結果……一位を獲得したのは、赤はカリフォルニアのスタッグス・リープ、白はシャトー・モンテリーナ、シャトーといってもボルドーではなくこれもカリフォルニアだったのです。当然おフランスの方々が納得するはずもなく、フランスワインの真価は熟成にあり、同じ赤で10年後にリターンマッチだ! と言ってやってみたら、一位はクロ・デュ・ヴァル、やっぱりカリフォルニアでした。フィロキセラは移されるわ、コンテストでは負けるわ、でフランスちっともいいところなし。よし、20年後にもう一度、とはさすがに言わなかった。もうこういうのはやめにしようと……。



●で、どうしたかというと、「仲良くしましょう」ということに。たとえば「作品番号第一番」として知られる「オーパス・ワン」は、かのムートンのフィリップ男爵とカリフォルニアのロバート・モンダヴィの提携によって生まれたもの。そして「ドミナス」はペトリュスを作っているムエックスが手掛けている、という具合です。


●さて、もちろんフランスの方々の多くはやっぱりそれでも納得しない。ボルドーのカベルネ・ソーヴィニョンは非常に繁殖力の強い品種なので栽培も簡単だろうが、ブルゴーニュの名酒を作るデリケートなビノ・ノワールだけはマネできまい。それに挑戦した一人がジョシュ・ジェンセンです。

 1970年 ジョシュ・ジェンセン、ロマネ・コンティの門を叩く
 1972年 人工衛星を駆使して石灰岩土壌を探す
 1974年 マウント・ハーランの斜面を発見、開墾に着手。カレラ(石灰窯)と名付ける。
 1975年 ピノ・ノワールを植える(密輸?)
 1978年 はじめての収穫、700ケース
      4階でプレス、1階でボトリング
      (グラヴィティ・システム)
      →オーパス・ワン等が模倣

 彼はロマネ・コンティの畑に単身働きに出掛け、DRCの共同経営者ルロワに追い出された後は、人工衛星からの資料と小瓶に詰めた塩酸を手に旅をして、石灰岩に覆われた土地を探し出し、そこに自分の畑を作っちゃったのです。合衆国は消毒していない土地で栽培された葡萄の持ち込みを禁止していましたが、ヨーロッパでは逆に土壌の消毒を禁止している……という次第で、彼が植えたピノ・ノワールは検閲を避けてメキシコ経由で密かに持ち込まれたと噂されています。山の斜面を利用して、ポンプを使わず重力だけでワインを動かすために、四階でプレスして一階でボトリングするという仕組みを作りましたが、これは先のオーパス・ワンも取り入れているシステムだそうです。



●さて、そのカリフォルニアと優るとも劣らない品質を誇るのがチリワイン。高品質なのに低価格、その訳は……まず四方を海と山と砂漠に囲まれ、一度としてフィロキセラの被害に遭ったことがないこと、しかもフィロキセラ以前にフランスから持ち込んだ苗木が今も子孫を残していること。つまり本家フランスよりも本来の純粋な姿を残しているということ。そして価格の優位性ですね。人件費安い、土地代安い。ブルゴーニュの1haの土地が1億円以上するのに、チリの土地は17万円。フランスは青山の一等地でワインを作っているようなものなのです


●チリの注目銘柄としては、まずロバート・パーカーが絶賛しワインスペクテイター誌が世界のベスト12位に選んだことで注目されたコンチャ・イ・トロ・ドン・メルチョー。そして96年が初のビンテージとなったドムス・アウレア。謎の原住民のラベルがトレードマーク。このワインの香りは他に類を見ないものでした。もっともこれらはいずれも6000円近くするチリではトップクラスのものですが、お手頃なところではモンテス・アルファコールド・マセラシオンによって非常に柔らかくコクのあるボディを作っています。シエント・ベインテは独立戦争に120名の兵士がたてこもったことで知られるワインで、価格の割にはしっかりした味の白を作っています。

(Part-4.「今日のワイン」へ続く……)



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